巨人やメジャーで活躍した左腕・髙橋尚成氏(50)にとって長嶋茂雄さん(享年89)は、新人時代の監督であり、プロ野球人生を切り開いてくれた恩師だ。一部のOBから苦言も呈された“若気の至り”を水に流すどころか「宴会部長」の通り名まで与えた長嶋さんの寛容な素顔を明かした。
いても立ってもいられなかった。現在、生活の拠点を米国に置く尚成は、長嶋さんの訃報(ふほう)に接し6月中旬だった帰国予定を急きょ早めた。ルーキーの時の監督で、プロ野球人生の序章を切り開いてくれた恩師。告別式に参列し、感謝を伝えた。
「長い間、野球界のために尽力してくれた方と、ジャイアンツで監督と選手としてやらせていただいた。本当に感謝の言葉しかないし『今まで突っ走ってきた分、ゆっくり休んでください』と心の中で声をかけさせてもらいました」
初めて会ったのは、1999年12月16日の入団会見。とにかく長嶋監督の雰囲気に圧倒された。
「人ってあんなにオーラが出るんだと思った。長嶋さんのスーツ姿が本当におしゃれで格好よくて。本当に後光が差してるっていうか。『頑張れ』的なことを言われたと思うんだけど、会話を覚えてないんだよね、そのインパクトが強すぎて」
“親孝行”もできた。東京の下町、墨田区で生まれ、幼少期から夢見た巨人入団をかなえたことで、長嶋さんの大ファンだった父・隆男さんを喜ばせることもできた。
「ルーキーの時のキャンプに、球団が家族を招待してくれたんだよね。それで、長嶋さんと写真撮れるっていう時間を作ってくれて。その時にオヤジがすごいうれしそうな顔をしてたっていうのも覚えてる。親孝行できたなって思ったよ」
尚成は1年目となる00年から24試合に登板して9勝6敗、135回2/3を投げ、ドラフト指名された球団のルーキー左腕では初となる規定投球回に到達した。ON決戦として注目を集めた日本シリーズでも第5戦で先発し、9回2安打で初登板初完封。史上10人目、新人では今でも1人しかいない。プロでやっていく自信を持たせてくれたのも長嶋監督だった。
「同い年の上原(浩治)もいたし、岡島(秀樹)もいたし、その世代を何とか育てたいっていうのもあったんだと思う。もちろん勝たなくちゃいけないのが第一だけど、我慢して使ってもらって今の俺がこうある一つの要因だと思うから。感謝しかないね」
長嶋さんとの一番の思い出は―。その問いにじっくりと考え、「やっぱり…」とあの“事件”を挙げた。首脳陣や選手、球団幹部、職員らが参加した1年目オフの納会。
「やらかしちゃったよね。球団の年間行事は納会で一段落だから、長嶋さんと会う機会がもうなくなってしまって。その後、V旅行で会えて謝りに行ったの。ゴルフ場だったね。そしたら『いや、いいんだ。ああいうことをどんどんやりなさい。お前は宮本(和知)の次の宴会部長だから』みたいなこと言われて」
寛容な精神で許しを得たどころか、背中を押された。その裏にあった配慮が身にしみたという。
「ちょっとホッとした。自分の中では酔った勢いで、しかも長嶋さんの前でやってしまったっていう気持ちがすごくあった。だから、あの一言ですごく救われた。
尚成にとって長嶋茂雄とは―。問われ、即答した。
「勝負の神様だよ。誰よりも巨人軍は勝たなくちゃいけないって考えていた人。グラウンドを離れれば、みんなの知ってる朗らかな方だけど、ユニホームを着ている時は本当に勝負に厳しい。学ばせてもらったね」
◆髙橋 尚成(たかはし・ひさのり)1975年4月2日、東京都生まれ。50歳。修徳―駒大―東芝を経て、99年ドラフト1位で巨人入団。2007年に最優秀防御率。09年オフにFA宣言しメジャーへ。メッツ、エンゼルスなどでプレーし、14年にDeNAで日本球界復帰。15年に現役引退。