2008年北京五輪で卓球女子日本代表監督を務めた近藤欽司(こんどう・きんじ)さんが急性心不全のため22日に死去したことが23日、分かった。関係者が明らかにした。
**********
突然の訃報(ふほう)に言葉を失った。関係者によると、近藤さんは亡くなる前日まで卓球大会の会場に足を運んでいたという。21年に実業団のサンリツ監督として78歳で現場復帰した際など取材でお世話になった。「選手に伸びるきっかけを与えて、それが成果に出てくるのが監督の面白さ。卓球って素晴らしい」と目を輝かせて選手に接する姿が印象に残る。14歳だった石川佳純さんを「人にはない感覚がある」と代表に抜てきするなど、功績は数知れない。
もう一つ、近藤さんを語る上で欠かせないのが“ダジャレ”だ。トップ選手への指導やテレビ解説など、さまざまな場で織り交ぜる意図を聞くと、「ダジャレを言うと気持ちが近付く。教えたいことの伝わりがいいんですよ」と返ってきた。多くの選手から愛された名将だった。(2017~23年卓球担当・林 直史)
◆近藤 欽司(こんどう・きんじ)1942年9月25日、愛工大名電高(旧名古屋電気高)3年時に全国総体団体、国体優勝。