長嶋茂雄さん(享年89)の髪のカットを、亡くなる2年ほど前まで半世紀以上にわたって担当していたのが、現在は東京・洗足に店舗を構える「文化理髪室」。店長・吉田博さん(79)と、店の“長嶋番”だった弟・吉田明さん(76)が、甲子園での阪神戦(1998年7月31日)でガルベス投手が審判にボールを投げつけた騒動を巡り、当時の長嶋監督が責任を取って頭を丸めた秘話を思い出と共に語った。
大荒れの甲子園から3日後の1998年8月3日。休養日だった長嶋監督は、渋谷東急文化会館内の文化理髪室に足を運んだ。明さんはいつも通り個室に案内した。帽子をかぶり、予約の時間より早く来店したことで異変を感じたという。
現役時代はスポーツ刈り、監督就任後はオールバックが基本。新たなリクエストは、ほとんどなかったが、この日だけは違った。「ガルベスのことがあって、けじめをつけたい」と申し出ると、「5ミリがいいか7ミリがいいか」と聞いてきたという。明さんは突然の注文に「5ミリだと丸刈りになっちゃうな」と戸惑いつつ、7ミリの手動バリカンで約20分かけて“おしゃれな”丸刈りにした。
途中、言葉を交わすことはなかったものの、鏡を見た長嶋さんは「すっきりした。学生時代に戻ったみたいだ」と、照れくさそうに帽子をかぶって車に乗り込んだという。翌4日、広島戦前の東京ドームに丸刈りの長嶋監督が姿を見せると、予想外のけじめのつけ方に、マスコミやファンが騒然となった。「大騒ぎになって。
58年に創業した同店を長嶋さんは球団関係者を通じて知り、プロ入り間もない60年頃から通った。監督時代は髪が絡まりやすく、洗いづらかったため「自分で頭を洗わなくて済む」とシャンプーセットを気に入り、3日連続で通ったこともあった。94年、中日との「10・8ナゴヤ決戦」を制して優勝した後は、ビールかけの4日後に来店するまで頭を洗っていなかった。
明さんが初めて長嶋さんを担当したのは80年10月。第1次政権を終えた21日の会見の後だった。子ども時代から長嶋さんの散髪風景を見ていたが、ハサミを握った時は「緊張感しかなかった」。散髪中には週刊誌を読んでいることが多かったが、リラックスして気を許すと、たまに「言っちゃいけないことを言った」と笑う。「新聞では辞任と書かれたけど、本当は解任だ」と言っていたのが忘れられないという。
2004年3月に長嶋さんが脳梗塞(こうそく)で倒れた後も関係は続いた。同年、店長の博さんの自宅があった現在の場所に店を移転。長嶋さんの自宅とも近くなった。13年5月5日の国民栄誉賞表彰式の前にも来店。
長嶋さんは「来られるだけでも楽しい」と来店を喜んでいたという。明るく、快活な姿を40年近く見てきた明さんは「リフレッシュに来ていたのでしょう」と懐かしむ。店内には長嶋さんが置いていったメガネ、ヘアトニックが残されている。色紙、グッズ、本紙カレンダーなども飾られている。突然の別れを惜しみながら、博さんは「50~60年も来てくれるお客さんは、なかなかいない。いつでもこの店を頼りにしてくれた」と感謝している。
甲子園で球審の判定に不服 ◆ガルベスのボール投げつけ騒動 1998年7月31日、バルビーノ・ガルベス投手が阪神戦(甲子園)の6回裏、橘高球審の判定を不服として激高。降板の際に球審へボールを投げつける暴挙に出た。ガルベスは侮辱行為で退場処分。