長嶋茂雄さん(享年89)は巨人のキャンプ地・宮崎市内の釜あげうどん店「重乃井(しげのい)」に通い続けた。約40年の交流があった、おかみの伊豫(いよ)展子さん(75)は「先代から数えて58年間、途切れることなく付き合っていただいた」と感謝している。

しょうゆとだしとみりんだけで8時間かけて作るつゆ、もちもちの麺。キャンプで宮崎を訪れる野球人が堪能した釜あげうどんを、特に愛したのがミスターだった。「ここのうどんが一番だよ」。注文はいつも大盛りと稲荷ずし。店では野球の話をせず、ファンが握手やサインを求めれば必ず応じた。

 長嶋さんのリクエストで、第2次政権時代(1993~2001年)はキャンプ地の宮崎市営野球場(現・ひなたひむかスタジアム)に一日限定で出店。ブルペンにシートを敷いて機材を運び入れ、選手や関係者のために200人分を準備した。「今日は俺が釜あげうどんを振る舞うんだ」と上機嫌の長嶋さんは、さながら一日店主。練習中も「俺はここでみんなが来るのを待ってるんだ」と釜のそばを離れなかったという。

 夫の史之さんを66歳で亡くした直後の2013年2月。長嶋さんは脳梗塞(こうそく)の影響で右半身にまひが残る中、予定を1泊延ばして来店した。弱音を吐く展子さんの背中をたたき、「これからという時に何をやってるんだ! 店を守ってくれよ」と大きな声で激励。

これが最後の来店となった。

 展子さんは毎年12月に正月用のうどんを贈り、手紙のやりとりを続けた。訃報(ふほう)を聞き、左膝の手術後ながら6月下旬に、つえをついて上京。葬儀後で弔問はかなわなかったが、「お礼とお別れをしたい」と都内の自宅前で手を合わせた。「長嶋さんが食べた味を守っていかなきゃいけない」と80歳までは店に出るつもりだ。店内に設けた写真コーナーとともに、息子夫婦にミスターが愛した味をつないでいく。(堀北 禎仁)

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