巨人や米大リーグ・Rソックスなどで活躍した岡島秀樹さん(49)は、長嶋茂雄さん(享年89)の巨人での第2次政権下で名リリーフとして成長した。ミスターが監督でなければ巨人入りがなかったこと、たった一度、とてつもなく怒られたことなどを思い返して、故人をしのんだ。
岡島のプロ野球人生は、ミスターが巨人の監督だったからこそ、始まった。出身は京都。
「家族はみんな阪神ファンだったんですが、監督が長嶋さんだったら巨人に入っていいよ、って言われて。家族は『長嶋さんとは会いたい!』って(笑)。それでそんな神様みたいな人に会いたい、その人の下でやれるなら行きたい、って思ったんです」
プロ2年目から、1軍キャンプに参加。そこでまず、“神様”のオーラを感じた。投球練習をするブルペンで、長嶋監督はバッターボックスに立った。
「『インコースに投げてこい!』って言うんですよ。でも、当てたら大変じゃないですか。ちょっとシュート回転して抜けたりすると、『ダメだ! どんどん来い! どんどん来い!』って言われて」
ただ、左腕にもプロとしての意地がある。右打席に立つ長嶋監督には「当てない自信があった」。だが、それで終わらない。
「左にも立たれるんですよ。それで内角に投げろ、と。足場が悪い時は、ひょっと抜ける時があるんです。そうすると、インハイに行くから危ない。だから、左打席に立たれた時は、怖かったのでアウトコースにしか投げませんでした。『変化球を試したいんです』って言って。そしたら『ナイスボール!』って、特にカーブを褒めてくれました(笑)」
6年目の1999年、中継ぎに転向した。そして、あの日を迎える。
「先発をしているときから『しっかり腕を振れ、球を置きにいくな!』とはよく言われてました。でも、あの試合だけは忘れられません。ホントに、めちゃくちゃ怒られたんです」
2000年6月23日、敵地での横浜(現DeNA)戦。6―4で巨人リードの7回に3番手でマウンドに上がった。
「監督に『ウォーミングアップちゃんとしたのか! 足りなかっただろ! 今からブルペンで投げてこい!』って言われて。とにかく『はい!』って返事して…」
試合が続く中、観客の前を通り、左翼にあるブルペンへ慌てて走って戻った。中継局にはブルペンを映さないようにお願い。そして、ひたすら投げた。
「監督は負けてる試合じゃなくて、ベンチ内のモニターに映るブルペン映像で、僕の投球をずっと見ていたそうです。あそこで気を抜かずにちゃんと投げたから、その後、即2軍行きも免れました」
岡島の島の方を強調して「オカ・ジマ~」と独特の呼び方をしてくれたミスターの声はもう聞けない。
「本当に感謝しかありません。ありがとうございました」
◆岡島 秀樹(おかじま・ひでき)1975年12月25日、京都府生まれ。49歳。東山高から93年ドラフト3位で巨人に入団し、中継ぎや抑えとして2000、02年の日本一に貢献。