不動の「1番打者」として長嶋巨人を支えた仁志敏久さん(53)。共に過ごした日々から得た、今も受け継ぐ思い、忘れられない師の姿を思い返した。

現在は西武の野手チーフ兼打撃コーチを務め、ミスターにならったスター選手育成を誓った。(取材・構成=柳田 寧子)

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 仁志が貫く長嶋イズムがある。

 「たとえコンビニに行くにしても、だらしない格好は、ちょっとね。自分だとバレた時に恥ずかしいから。人に見られている自分を常につくっておく。これは長嶋さんの下にいないと分からなかったかも。『人前に出たら長嶋茂雄である』みたいなことは、ジャイアンツの教えと同じなんだろうけど、今でもそのクセは抜けないよね」

 長嶋政権下で2度のリーグVを経験。1996、2000年と1番打者として、松井秀喜、落合博満、清原和博、高橋由伸らと共に最強打線を組んだ。

 「やっぱりあれだけ、俺らみたいなやんちゃな人たちがいっぱいいるのに、その人たちが黙ってみんなチームのためだから、ってやるんだから、それだけ(ミスターには)有無を言わさない何かがあるんだよね」

 思い出す姿は数え切れない。春の宮崎キャンプでのある夜。主力選手と当時ヘッドコーチだった原辰徳を従えての会食後、スナックでカラオケ。ミスターもマイクを握った。

 「演歌だったね。画面に映し出された人を見て『よっ! (高倉)健さん!』って…そしたら原さんに『監督! (小林)旭さんですよ!』って突っ込まれてた。その時楽しそうだったことは覚えてる」

 教える時は、例外なく擬音だった。

 「『ビュッ』とか『シュッ』とかそんな感じ。『この辺をブワッっと、ククッといってな』とか」

 でも、それで良かった。

 「選手って印象で動いてて、文言で動いているわけではない。実は言葉じゃなくて、そういう感じとか、見た印象で動いているから」

 長嶋巨人の1番打者としてのプライドはあった。

 「面白くないとダメ、かな。選手それぞれの個性、面白みというか色が出てないと好きじゃない。長嶋さんにそういうのは感じてた。だから、おとなしく無難にやってたら、代えられてたと思う。ちょっとハチャメチャな、型にはまらない自分でいいんだな、と」

 忘れられない夜がある。

ルーキーイヤーの96年6月15日、甲子園での阪神戦。延長13回、三塁・仁志の失策でサヨナラ負けを喫して4連敗となった。宿舎に戻って食事も取らず、部屋から一歩も出ずにいた。するとマネジャーから「監督が呼んでいる」と部屋に行くよう促された。「あしたからまた頑張れ。キミが頑張らなきゃダメなんだからな」。その言葉に救われて名手へ成長していった。

 「近くにいないと、長嶋さんがどれぐらい華やかでかっこいいのかも、知らないんだろうな、って思う。それを知っているだけでも誇り」

 今、西武で指導者を務める。

 「華のある選手をつくりたい。長嶋さんはスター選手をスターとして扱うからスターになるんだよ。僕もうまく演出したい」

 ◆仁志 敏久(にし・としひさ)1971年10月4日、茨城県生まれ。

53歳。常総学院から早大、日本生命を経て95年ドラフト2位で巨人に入団。96年新人王。2007年に横浜(現DeNA)に移籍。米独立リーグでプレーした10年6月に引退。NPB通算1587試合で1591安打、打率2割6分8厘、154本塁打、541打点。135盗塁。ゴールデン・グラブ4度受賞。20年11月にDeNAの2軍監督に就任し、23年で退団。24年10月に現職の西武の野手チーフ兼打撃コーチに就任した。右投右打。

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