巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第8回は元中日の谷沢健一さん(77)だ。
* * * *
子供のときはもちろん巨人ファンだよ。父がファンだったし、テレビでは巨人戦しかやっていない。千葉は長嶋さんの故郷でもあるしね。
長嶋さんの立大時代、僕は小学生。すごく影響を受けた。近所の連中と空き地に集まって、三角ベース。僕は左利きだったけど、それでもサードをやって、プレーをマネしたものだ。
1969年のドラフトで中日から1位指名を受けた。その年の12月、新聞の対談企画で、当時、東京・世田谷区上北沢にあった長嶋さんの自宅に呼ばれた。阪神の田淵幸一さんと3人でね。
最後に僕は、色紙を書いてほしいと頼んだ。長嶋さんは少し考えた後、やおらペンを持って、書き出した。
「一本のバットにすべてを託し、努力に努力を重ねた谷沢君 君の背番号14番に音のしない誰にも負けない大きな大きな拍手を送る」
一瞬で、そんな言葉が浮かんでくるのがすごい。そのメッセージは僕の生きがいになった。
プロデビューは70年4月12日の開幕戦、後楽園での巨人戦だった。水原茂監督が「7番・左翼」で使ってくれた。巨人の先発は高橋一三さん。2回の初打席、バッターボックスで急に膝が震え出した。三塁に長嶋さんがいて、一塁に王貞治さんがいて…舞い上がったんだね。
いったん落ち着こうとボックスを外して、手に砂をつけているときに、長嶋さんが目に入った。そしてひらめいた。「長嶋さんはデビュー戦で金田正一さんの前に4打席連続三振した【注1】。オレが1回くらい三振してもいいだろう」。そう考え直して打席に入ったら、ピタッと震えが止まった。次の球、一三さんのスクリューが甘いところに入ってきた。本能的にバットを出したら、センター前に打球が抜けていった。
あの開幕戦でのヒットがなければ、野球人生は変わっていたかもしれない。
【注1】1958年4月5日、巨人のルーキー・長嶋は3番・三塁で国鉄戦でプロ初出場も、金田の前に4打席連続三振。
◆谷沢 健一(やざわ・けんいち)1947年9月22日、千葉・柏市生まれ。