巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第8回は元中日の谷沢健一さん(77)だ。

1974年に巨人の10連覇を阻んだ中日の主軸であり、持病のアキレス腱(けん)痛を克服してカムバックを果たした不屈のスラッガー。6月3日に永眠した長嶋茂雄さんとの縁や、復活の裏にあった「酒マッサージ」との出会いまで、「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫)

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 子供のときはもちろん巨人ファンだよ。父がファンだったし、テレビでは巨人戦しかやっていない。千葉は長嶋さんの故郷でもあるしね。

 長嶋さんの立大時代、僕は小学生。すごく影響を受けた。近所の連中と空き地に集まって、三角ベース。僕は左利きだったけど、それでもサードをやって、プレーをマネしたものだ。

 1969年のドラフトで中日から1位指名を受けた。その年の12月、新聞の対談企画で、当時、東京・世田谷区上北沢にあった長嶋さんの自宅に呼ばれた。阪神の田淵幸一さんと3人でね。

まだ小さい一茂君が庭で遊んでいた。六大学の後輩、同郷の後輩ということで、「頑張っていこうぜ」って励まされた。亜希子夫人が鉄板焼きをごちそうしてくれたのも覚えている。

 最後に僕は、色紙を書いてほしいと頼んだ。長嶋さんは少し考えた後、やおらペンを持って、書き出した。

 「一本のバットにすべてを託し、努力に努力を重ねた谷沢君 君の背番号14番に音のしない誰にも負けない大きな大きな拍手を送る」

 一瞬で、そんな言葉が浮かんでくるのがすごい。そのメッセージは僕の生きがいになった。

 プロデビューは70年4月12日の開幕戦、後楽園での巨人戦だった。水原茂監督が「7番・左翼」で使ってくれた。巨人の先発は高橋一三さん。2回の初打席、バッターボックスで急に膝が震え出した。三塁に長嶋さんがいて、一塁に王貞治さんがいて…舞い上がったんだね。

1、2球目はストライク。どんなボールだったかいまだに思い出せない。

 いったん落ち着こうとボックスを外して、手に砂をつけているときに、長嶋さんが目に入った。そしてひらめいた。「長嶋さんはデビュー戦で金田正一さんの前に4打席連続三振した【注1】。オレが1回くらい三振してもいいだろう」。そう考え直して打席に入ったら、ピタッと震えが止まった。次の球、一三さんのスクリューが甘いところに入ってきた。本能的にバットを出したら、センター前に打球が抜けていった。

 あの開幕戦でのヒットがなければ、野球人生は変わっていたかもしれない。

 【注1】1958年4月5日、巨人のルーキー・長嶋は3番・三塁で国鉄戦でプロ初出場も、金田の前に4打席連続三振。

 ◆谷沢 健一(やざわ・けんいち)1947年9月22日、千葉・柏市生まれ。

77歳。習志野3年時の65年、第1回ドラフト会議で阪急から4位指名を受けるが、早大進学。69年ドラフト1位で中日入団。70年新人王。76、80年首位打者。ベストナイン5度。81年9月20、21日の巨人戦では4打席連続本塁打。85年10月23日の広島戦(広島市民)で2000安打、86年オフに引退。94、95年には西武で打撃コーチを務めた。左投左打。

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