「47」を最も長く背負ったのは、リリーフとして活躍した左腕・山口鉄也の11年間だ。
横浜商からダイヤモンドバックスの入団テストに合格しマイナー契約。
07年4月に球団育成初の1軍出場を果たし、5月9日の阪神戦で初勝利を飾る。08年、中継ぎで67試合に登板し11勝を挙げ、育成出身初の新人王を獲得。常に育成初という枕ことばがつく経歴だったが、翌09年も73試合に登板。9勝1敗4セーブ、44ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手賞を獲得。12年に史上初の5年連続60試合登板を達成した。14年には史上初の200ホールド、15年250ホールドと次々と記録を塗り替えていった。
08~16年まで9年連続60登板はプロ野球記録。最優秀中継ぎ投手のタイトルは09、12、13年と3度獲得した。これは中日・岩瀬仁紀、日本ハム・宮西尚生と並ぶNPBの最多タイ記録だ。通算642試合登板は球団最多。「鉄人」と称されるゆえんだ。