橋さんを語る上で、国民栄誉賞を受賞した遠藤実、吉田正という昭和の2大作曲家の存在は不可欠だ。

 橋さんは中学2年の時から遠藤さんの歌謡教室で学び、その後、1960年に吉田さん作曲の「潮来笠」でビクターからデビューした。

もしも、遠藤門下としてコロムビアからデビューしていたら、芸名が「舟木一夫」だった―というのは有名なエピソードだ。

 当時、作詞家・作曲家はレコード会社との専属契約制度だった。遠藤さんは日本コロムビア専属で、その門下生の橋さんは同社のオーディションを受けたが、落選。遠藤さんの計らいでビクターのオーディションに合格した。それは遠藤さんの下から離れ、ビクター専属の吉田門下生になることを意味していた。

 橋さんは2020年にスポーツ報知の取材に応じ、当時を回想。「コロムビアでデビューしたかったですよ。でも、それがかなわなかったことで、吉田メロディーとの出会いにつながった。人生は巡り合わせですね。僕にとっては両先生とも恩師。どちらもすごい方」と語っている。

 遠藤さんからは「舟木一夫」という芸名を聞かされていたが、デビューが実現せず、幻に。

ビクターの師匠・吉田さんが提案したのは、本名の「橋幸男」から一字変えた「橋幸夫」だった。

 デビューから3年後の63年、タクシーの車中でラジオから流れてきたのは「高校三年生」だった。「コロムビアからデビューした舟木一夫さん」というアナウンスに、ハッとしたという。

 「聞いたことある名前で大笑いしちゃったよ。『舟木一夫』でデビューしていたら、全く違った人生になっていただろうね」。舟木さんとはその後、「御三家」として一時代を築く。橋さんは、運命のいたずらを喜んでいた。

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