プロレスデビュー40周年記念大会「蘇ったサムライ 闘宝伝承2025」(大阪・梅田ステラホール)を21日に成功させた船木誠勝(56)が23日、青森・弘前市から応援に駆けつけた母・とも子さん(78)が帰るのを大阪国際空港まで見送った。

 船木は40周年大会10日前の11日の試合で右肩を脱臼し、腱板損傷で全治1か月の重傷を負いながら強行出場した。

「心配させてはいけない」と母には脱臼を報告していなかったが、とも子さんは、通院先の看護師から息子の負傷のニュースを聞いていたという。

 「息子の試合はほとんど見たことがありません。やられてばかりで、見ていられない」船木は1984年に中学卒業と同時に青森を飛び出し、新日本プロレスに入門。85年3月3日に当時は最年少の15歳でデビューした(北茨城市民体育館での後藤達俊戦)。青森巡業があった新日本時代は、勝てない修業の日々だった。デビュー40周年試合でも、右肩から腕全体をテーピングして入場した船木を母は直視できなかった。

 メインイベントで船木は負傷させられた黒潮TOKYOジャパンとタッグマッチで対戦し、痛む右手で張り手合戦の末、9分47秒、胴締めスリーパーで勝利した(レフェリーストップ)。第2試合には船木の長男・ライアン船木(20)がデビューした。

 グラップリング スペシャルエキシビションマッチ(無差別級3分1回戦)で、元キング・オブ・パンクラシストの近藤有己(50)と対戦。とも子さんは「孫が試合するとは聞いてませんでした。びっくりしましたが、がんばりましたね」と打撃がない試合のため、応援して見られたという。ライアンはリング上で「お父さん、お母さん、強く育ててくれてありがとうございます」と船木夫妻に向かってマイクで感謝を伝えたが、それは船木が母に思い続けてきた言葉だった。

右肩脱臼で悲壮感が漂った40周年大会だったが、母の笑顔が成功を物語っていた。

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