長嶋茂雄さん(享年89)はグラウンド上はもちろん、グラウンド外でも絵になる男だ。監督時代を取材した軍司敦史カメラマンが、過熱するミスター撮影合戦の秘話を明かした。
まずい。焦った。室内練習場を出た長嶋監督が、駐車場の隅に置いてある黄色い自転車へ向かって歩き始めた。背番号3が復活し、朝から晩までミスターの一挙手一投足を追いかけた2000年の宮崎キャンプ。豊富な話題の中で、3番のお披露目とともにカメラマンが狙っていたのが、自転車に乗る姿だった。
ただの自転車じゃイマイチ“絵”にならないが、関係者がプレゼントしたのは時価12~13万円、18段ギアを装備した本格的なマウンテンバイク(MTB)。ハンドルや泥よけの下に「3」のシールが貼ってある。キャンプ地の宮崎県総合運動公園は、敷地内にグラウンドやブルペン、室内練習場が点在している。フットワークのいいミスター。気になる選手の練習を見に行くには、最適な移動手段なのだ。
欲しいのは自転車でさっそうと走るショット。撮るには、スピードが乗る所を予想して先回りするしかない。
すると、背後に自転車の気配を感じた。ピントを目測で合わせると、意を決して全力疾走のまま振り返り、バババババと連写した。そんな姿がコミカルに映ったからだろう。「カメラさん、撮れましたか~」の言葉と笑顔を残して、黄色のMTBはスピードを上げた。疲れ果てた我々を置き去りにして、あっという間に視界から消えた。
「今の自転車は速いね。若者が夢中になるのが分かるね。乗り心地? 最高」とご機嫌のミスター。こちらを見て得意顔の1枚には、後れを取ったカメラマンの姿も映り込んでいて、今でも25年前の取材合戦を思い出す。
◆軍司 敦史(ぐんじ・あつし)1969年、茨城県生まれ。92年入社。巨人やアテネ五輪、ドイツW杯などを取材。写真部長。