◆JERA セ・リーグ 巨人4―2中日(30日・東京ドーム)
巨人の田中将大投手(36)が待望の日米通算200勝(日本122勝・米国78勝)を達成した。中日戦(東京D)に先発し、6回2失点の粘投。
想像を超える景色だった。心から、田中将は喜んだ。熱く抱き合ったのは幼なじみの坂本だった。「彼から花束をもらえる。これまでの野球人生で想像していなかった。思い出です」。日米通算432試合目。ずっと待ち焦がれた200勝の勲章を手に入れた。
「感無量。最高です。ジャイアンツに入団してから、早く東京Dで勝ちたい、ヒーローになりたいと思っていた。ものすごく苦しかった」
8月21日に王手をかけてから4度目の挑戦で、今季最終登板。何度も2軍で組んできた小林を自ら「指名」し、1軍初バッテリーで6回2失点。持てる力を全て出しきり、23年6月26日以来となる東京Dでの白星。最後はベンチで両腕を突き上げた。「集中したくても、打たれたらどうしようとか自分の弱さ、雑音が入ってきた。向き合って、打ち消して。その繰り返しだった」
07年3月29日のプロ初登板は2回持たずKO。18歳から野村克也監督に使ってもらって今がある。「マー君、神の子、不思議な子」と笑ってくれた恩師には、降板後ベンチで毎回呼ばれた。
海を渡り、ヤンキースで日本人初の6年連続2ケタ勝利。地元ニューヨーク紙の痛烈な批判、連日のてのひら返しにも「英語やし分からん。読まんようにしてた」と鋼の心が盾になった。そんな名門の元エースが、深い闇に迷い込んだ。頭と体が連動しない。「フラストレーションがたまった」。
トンネルでもがく時、再び“師”と巡り会った。197勝で足踏みする姿を見て久保巡回投手コーチは言った。「あれだけの王様が崩れすぎや。もったいないわ」。キャンプ初日から猛特訓を受け、軸足が潰れて腕が下がるフォームを縦回転で体を使う動きに一新。「分岐点は久保さんと出会ったこと。感謝しかない」。2月1日から約8か月。共に歩んだ先に200勝があった。
昔から「努力の田中」だった。坂本は小学生の頃から「天才」と称され、周りが習得に1週間以上かかる練習を2日でクリアした。
今年で37歳。「先は長くない」と引き際もよぎるようになった。練習日は朝6時前に目を覚まし、開始2時間以上前に球場入りして体をほぐす。手には、まい夫人特製のワカメとタラコのおにぎりが2つ。力になった。
諦めなかった。「もう期待はされていない」と楽天を退団し、求めた新たな勝負の場。阿部監督からはCSでの先発起用も明言された。「ここがゴールじゃない。一つでも勝ちたい。変化を恐れていたら、進化はできない」。盟友のいる笑顔の輪の中で大偉業にたどり着いた。(堀内 啓太)
◆田中 将大(たなか・まさひろ)1988年11月1日、兵庫県出身。