18日放送のNHK総合「新プロジェクトX~挑戦者たち~」(土曜・この日は午後7時半)では「大谷翔平 二刀流誕生~“はぐれ者”たちが野球の歴史を変えた~」と題し、もはや伝説となったドジャース・大谷翔平の投打二刀流誕生までの舞台裏に83分の拡大版で迫った。

 この日の番組は2012年10月25日のドラフト会議でメジャー志望を表明していた大谷を日本ハムが強行指名した一幕からスタート。

 当時、交渉にあたったのが、ゼネラルマネジャーだった山田正雄氏とスカウトディレクターだった大渕隆氏。大渕氏は「ドラフト1位に関しては取れる選手じゃなくて、取りたい選手を取るんだと。ずっと強いチームを続けるには欲しい選手を取りにいくんだという姿勢は変えないようにしようと」と回顧。

 指名後、大谷の実家での入団交渉にあたった。メジャー志向は強かったが、「(大谷家には)エースっていう犬がいるんですね、ゴールデンレトリバーの。ウチの山田が犬が大好きで犬の所にパッと行ったんですよ。すごいかわいがってる様子を見て、犬好き同士みたいな雰囲気ができたんです」と大渕氏。

 「世界のトップで活躍したい。長く現役でいたい。誰も成し遂げていない新しいことをしたい」と、大谷がその場で明かした思いについて、「何か新しいことをしたいと言ったので、僕が『パイオニアになりたいってことかな』と確認したのを、よく覚えています」と大渕氏。

 同氏は大谷の壮大な夢をかなえるため、資料作りを開始。「国内で実績を残さずにメジャーで成功した事例は、わずか5・7%」などの数字を提示した結果、大谷の対応も変化。

 「なんとなく早く(米国に)行けばいいと思っていた、一般的に。僕自身もそう思っていた」という大渕氏は「急がば回れ」の語源とされる琵琶湖の写真も資料に添付。自身が大学まで野球を続けた後、IT企業で営業マンに。30歳を過ぎて高校教師となり、野球部の監督になった経歴をもっていた。

 「17歳、18歳の子らって純情だし、まっすぐなんで、正面から押すんでなくて、向き合って一緒に考えていく」という思いのもと作った資料で大谷の両親を説得。席上、大谷の母が漏らした「(投打)両方やるってのはないのかね?って昔、(大谷と)話したんですよ。そしたら、そんなの日本の球団が許すわけないだろ!って言われちゃったんですよ」という言葉を聞いた大渕氏は「(投打)両方やりたいんだなって思った」と話していた。

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