「ゲージツ家のクマさん」として親しまれた美術家の篠原勝之(しのはら・かつゆき)さんが17日、肺炎のため84歳で亡くなった。公私にわたって親交があったタレントの山田邦子が思い出を振り返り、追悼した。

 飲み友達で、新宿のジャズバーでタモリさんや山下洋輔さんとワーワーやってよく飲みました。クマさんと呼ばれるほどの大きくていかつい風体ですから、よくけんかとか武勇伝のような話がありますけど、長く朝まで飲んでもベロベロになることはなく、用心棒のような方でしたね。私もからまれた時に助けてもらったことがありますし、唐十郎さんが言い過ぎてトラブルになった時にはよく止めに入ってましたね。

 着物にいかつい靴。『首に巻くものがほしいから、邦子、何かくれよ』というので、私の長いスカーフをたくさんプレゼントしました。七色のものや真っ赤なものなど、テレビに出るときは派手なものをいろいろ着けてくれましたね。スキンヘッドも病気で耳が不自由で髪があると聞こえにくくなるからということでした。北海道にいた子供の頃は貧乏で病気をされたり苦労されたようですが、悲しい話を笑い話にしてよく語ってくれました。小さいときにロクというニワトリを飼っていて、ある日、気付いたらおかずになっていて「俺はロクを食べちゃったんだよ。悲しかった」と涙ぐんで。

 最初に会ったのは唐十郎さんのポスターを描かれていた時で、女性の絵を細い線の連続で描いたり、繊細なガラス細工を作ったり。最初は強烈な貧乏で、道に落ちてる鉄くずを拾ってたんですよ。

変わった人だなと思ってたら、ダイナミックな鉄のオブジェができあがったんです。それでもずっとナイーブでていねいで優しい人でした。

 ゲージツ家ですから、バラエティー番組に出ていたのは一時期で、作品を作るために、地方からの依頼を受けて、その県に住み込んで鉄のオブジェを作るために3か月ぐらいいなくなるのは当たり前。山梨に溶鉱炉を作って、寝泊まりできる工場を建てたときも、檜の浴槽をプレゼントして、そのお風呂に入りに行ったこともありました。またいなくなったなと思ったら、バーにふらりと来たり。どこかで作品作りに没頭してると思ってたんですけどね。また新宿のバーに現れてほしいですけどね。残念です。(談)

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