国民的アイドルグループ「」が、5月末をもって活動を終了する。スポーツ報知では、グループのラストステージとなる「We are ARASHI」の東京ドーム公演(5月31日)まで原則毎週水曜に連載「嵐メモリアル」を掲載。

歴代担当記者や、関係者らの取材をもとに嵐の約26年の軌跡を振り返る。

 「嵐」とは何であったか。ファンの方や仕事仲間、お茶の間…それぞれが表現する「嵐」があるだろうが、私にとっての「嵐」は「船」だった。船上でデビュー会見を行ったということもあるが、レールのない航路を運命共同体として進んでいく姿は、まさに船のようだったと今でも感じる。

 2011年から15年まで担当した中で、たくさん思い出深いことがあるが、やはり記憶に残っているのは14年、デビュー15周年を記念した米ハワイでのコンサート。5人にとっての原点の地だ。デビュー会見時に使用して以来見つからなかった個人所有のクルーザーが現地のハーバーに係留されているのが偶然見つかり、15年ぶりの再会を果たした姿を強く覚えている。

 公演では「嵐」という船が、順風満帆なクルーズではなかったことを振り返っていた。櫻井翔はデビュー当時に訪れた荒波を「(当時は)漕(こ)いでも漕いでも空振りだった」という表現で回想していた。当初はCDの売り上げも伸び悩み、米同時多発テロや新型肺炎SARSなど世界情勢の影響で海外進出も何度も白紙になった。

 「僕らは『仲がいい』ってよく言われるけど、本当は寄りかかって、支えながらじゃないと立っていられなかったんだと思う」と櫻井が表現したことが忘れられない。荒波や逆風に結束して立ち向かっていったからこそ、嵐は嵐という船であり続けられた。

 ハワイ公演の最後、大野智は「ハワイで当時、訳が分からないモヤモヤを抱えていたのを思い出しました。今そのモヤモヤはもうありません」と男泣き。「これからも、ともに人生を歩んでいきましょう!」とファン、メンバーに呼びかけた。あれから12年、「嵐」という船は5月末日で港に戻るが、偶然あの場所に係留されていたクルーザーのように、ふと再会する日が訪れるかもしれない。

 大野があの日誓ったように、“嵐とともに歩んだ人生”は失われることはない。(宮路 美穂)

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