毎週月曜日は東京新聞との紙面連動企画。

今日は「原発の再稼働を見守る、ある被災者」を紹介した記事に注目しました。

2月9日午後2時、新潟県の東京電力柏崎刈羽原発が、福島第一原発の事故後初めて、およそ14年ぶりに再起動されましたが、起動の工程では不具合が相次ぐなど、4月中の営業運転開始に心配の声も出ています。

福島から新潟に避難した方の家が、柏崎刈羽の再起動の日に解体

今回の記事は、その再起動の日、福島県大熊町で、新築のご自宅を解体することになった被災者・大賀あや子さんを取材したもの。東京新聞の記者で、福島のことを長く取材している片山夏子さんにお話を伺いました。

東京新聞 前福島特別支局長 片山夏子さん

「たまたまの部分もあるんだと思うんですが、その日に、大賀さんのお家が壊されるということで、その現場に立ち会わせていただいたということですね。今は、だいたい申請をして、ちょうど帰還困難区域の中で、お家を壊したいというか、壊さざるをえないってことなんですけど、大賀さんの場合は、住まれるところがとても気に入って、ここにずっと住もうねってことで、そこを買い取ってお家を建てられた。

そこには色んな思いがこもっていて、お家にお邪魔した時に、15年経っていても、ものすごくしっかり建っていて、しかも柱とか、天井とか、ものすごく綺麗な状態で、もちろん中は動物が荒らしてしまったりしてるんですけども、そういうものを壊すっていうことは、帰るお家が形として無くなってしまうっていうことなので、すごく辛い場面だと思うんです。

だから、このとき大賀さんは、実はお家の中に最後入りますか?って言われた時にかなり躊躇われたんですね。どうしようって言われた後に、やっぱり最後だからって入られて、ここは玄関だったんですよ、ここは吹き抜けになっていてとか、色々説明を頂く途中で、どうしよう、体が震えて止まらないっておっしゃったんですね。だから、普通に話されてるように聞こえていたんですけれども、でも、体の震えが止まらなくなってしまうっていう、もうホントに、どう声をかけていいのかっていうか、何も聞けなくなるような気持ちになりました。」

今、福島の浜通りでは、毎日誰かの家が解体されており、片山記者は、泣きながらそれを見守る人を本当に多く見ているそうです。

大賀さんもその一人。

大賀さんは福島県大熊町に家を建て、あと数日で住むはずだったのですが、そのとき福島原発事故に遭ったのです。その後、ご自宅は帰還困難区域に指定され、避難した先は新潟県。

福島から新潟に避難した人の家が、柏崎刈羽が再起動された日に解体された、ということなのです。

解体の日、大賀さんは、もうこれ以上見てるのは辛いですとおっしゃって、その日の工事の最後まではいらっしゃらなかったそうです。見ていられないですよね。

原発再稼働に賛成でも反対でも、万一の事故のときはみんな被害を受けるのに・・・

福島の原発事故から15年。各地で再稼働が進む中、大賀さんにお話を伺う機会をいただきました。どんな思いでその動きを見ているのでしょうか?

福島県大熊町から新潟県阿賀野市に避難している 大賀あや子さん

「たまたま、この15年っていう頃が再稼働、試運転や、そういう時期になりましたけれど、被災者・避難者にとっては節目っていうことは特にない。何て言うんですか?毎日毎日忘れることはない被害、で継続してる被害っていう実感なので、はい。

そして、福島原発事故現場が、また大地震や何かで今の状態よりも危機的状況になりうるっていう心配を常にしていいるわけですけど、そこに私なんかは柏崎刈羽原発で、いつ何時事故が起こるかもしれないリスクがある、ということに直面しているという感じです。

電力供給とか、原発再稼働による経済効果?ね、そのメリットを受ける方もすべてが万一の事故の際の被害受けるわけですし、その一時的なメリット、利益が、万一の被害と釣り合うのかっていうことをね、福島原発事故のときに被害を見たら気づけられたかと思うんですけれど、忘れてでも再稼働したいという力があるんだという現状なんですかね。」

おっしゃる通り、原発稼働に賛成でも、万が一の事故が起きれば、みんな被害を受けることになりますからね。

大賀さんの避難先・新潟県は、福島原発の事故直後から官民あげて避難者を受け入れてくれていて、県内の原発に関する関心は薄くならないでいると感じている。しかし、その新潟でも、住民投票で再稼働の是非を、と14万人もの署名が集まったが、議会では否決。全国的にも、脱原発という話は、事故直後には確かにあったはずですけどねと。

また、原発立地県を離れたら、原子力災害の防災対策、防災計画やその周知がほとんど無いことが、とても不安に感じるともおっしゃっていました。

怖いと震えているだけではいられない。
物言う被害者として出来ることをしたい。

それにしても、避難した先で原発再稼働なんて・・・と伝えると、大賀さんからはこんなお話がありました。

福島県大熊町から新潟県阿賀野市に避難している 大賀あや子さん

「いやぁ~まあでもね、私はもういいおばちゃんですけど、若い方、お子さん、そのお子さん育ててる方っていうのは、ほんとにその未来が原発事故で揺らぐ可能性があるっていうこと。

私が新潟で知り合いである避難者の母子家庭の方、お子さんが白血病の闘病してるんですね。あの時避難が遅れたからではないかって親御さんが思う気持ちっていうのが、当然なことで、当然の親御さんの悩みなんですね。そんな方々のところにもう一度被害が・・・及ぶかもしれないっていうことは、本当にそのことを思うだけで、今、口にしているだけで、もう胸が詰まる思いなんですね、私。

でも、そういった方々のことを思うと、怖いとかって震えているだけではいられない。柏崎刈羽原発6号機もトラブルもかなり多くて、そういう状況ですから、このまま再稼働していいのかっていうような議論を、それは賛成の方反対の方問わずですね、そういったところに意識を向けていきたい、現状見据えて、私自身は物を言う被害者として出来ることをしていきたいという考えです。」

何度も、言葉に詰まりながらお話を聞かせて下さった大賀さん。ご自身も、強いトラウマで震度1の地震でも固まってしまうし、原発に異常がない、と分かるまで警戒が解けないのが現状。でも、こういうトラウマの強い人が周りに警戒を与えられるカナリアみたいな感じになるのかな、原発事故後の現実をしっかりと伝え続けていきたい、と話していらっしゃいました。

「原発の再稼働にはリスクがある」

よく耳にする言葉ですが、リスクの三文字では足りない現実を、大賀さんのお話を聞くことによって強く感じました。

原発再稼働には国も舵を切っていますから、こうした声がかき消されないように、ぜひ大賀さんにはあきらめずに伝えていただきたいですし、私たちもしっかり耳を傾けなければいけません。

そして、 その声を踏まえた原発政策であってほしいですね。

(TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ』より抜粋)

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