TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。
ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。
今回評論した映画は『岬の兄妹』(2019年3月1日公開)
宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今回はこの映画、『岬の兄妹』。
(曲が流れる)
音楽もこれもね、すごい良かったですよね、はい。ポン・ジュノ監督作品や山下敦弘監督作品などで助監督を務めてこられた片山慎三の初長編作品。舞台は、とある港町。自閉症の妹が体を売って金銭を得ていたことを知った兄は──いやでもあれは、「体を売って」っていうよりは、勝手にお金を持たされたって感じだと思うけどね──罪悪感に苦しみながらも、生活のために売春の斡旋をし始める。そんな中、妹の心と体には少しずつ変化が起きていく。作中で圧倒的な存在感を見せる兄妹を演じるのは、松浦祐也さんと和田光沙さん。
ということで、この映画をもう見たというリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。
一方、主な否定的な意見は「露悪的な要素を並べてセンセーショナルにしているだけ。中身は普通」などが多かった。また、「なぜ主人公たちは行政や福祉に頼らないのか? リアリティがない」という批判の声に対して、「福祉に頼れない人や行政へ意識が向かない人は現実にいる。絵空事ではない」といった意見もございました。まあ当然ね、こういう題材ですから、それなりにコントラバーシャルというか、議論が巻き起こるのは当然じゃないでしょうか。
■「もう二度と見たくないです。でも、見てよかったです。」(byリスナー)
代表的なところをご紹介いたしましょう……「カサゴ」さん。「『早く終わってくれ!』と思いながら見ました。『もう勘弁してくれ! 映画なんだから適度に甘くていいんだ!』と思うけど、最後まで見届けずにはいられない。
お兄ちゃん自身の望みや欲望すら抱く余裕のない生活。私も昨年、辛いことがあり追い詰められた時の苦しさや、視野が狭くなってしまうことは覚えがあるので、お兄ちゃんが犯す過ちの選択、その愚かさを批判することはできません。正論なんて本当に辛い時には役に立たない。そして妹の真理子がどこまでこのことを理解しているのか? それが分からないことが苦しい。そして、分からなければいいのか? 分かっていればいいのか?
(ある青年の発する)彼の『僕なら真理ちゃんと結婚すると思ったんですか?』という言葉も、友達の肇ちゃんの立場だったらどうかとか、何ができたかとか。あと題材や脚本だけでなく、映画的上手さ、カメラワークなど、何気に超絶技巧が光ります。海辺で舞い上がるビラ。もう二度と見たくないです。でも、見てよかったです。
一方ですね、「みひろ」さん。この方はね、「私自身、ちょっと体が不自由で、劇中のお兄さんより障碍が重いので、突き刺さる内容でした。特に兄が健常者になり、自由に動き回り遊んだ夢を見た後、起きて現実の不自由な体で水を飲んだ後の絶望感は障碍者あるあるかもしれません。実際の障碍者を取り巻く環境は、福祉にある程度つながればあそこまで過酷な生活を強いられることもないのですが、一部は福祉に全くつながらない人もいるのも事実だと思います」ということですね。
一方ですね、ちょっと否定的なご意見もご紹介しましょう。「はっちゃん」さん。「私の感想はズバリ、残念の一言です。映像も音楽も演者さんたちも素晴らしいのに、とにかく脚本に矛盾点が多すぎます。私が見た劇場でも途中退場していた方もお見かけしましたが、やはり福祉関係の方面の方々からは怒りにも近い感想を耳にします」。まあ、退場された方がその理由かどうかはわかりませんが。非常にエグい描写が多いから、それで出ていった可能性もあるとは思いますが。
「……この作品の題材に貧しさの要素はいらなかったのではないかと思います。何やら設定にいろいろ詰め込みすぎて、あまりにも現実からかけ離れて矛盾に満ち、すべて滑稽になってしまい、後半は美しい映像にもほぼ集中できなくなってしまいました」というはっちゃんさん。はっちゃんさんは途中でですね、その実際に、遠い親戚にいらっしゃるその知的障碍を持つ方が遭った、なかなかちょっとハードなひどい目というのがあって。「現実というのはこういうことなんだから……」というようなことも書かれています。
まあ、たぶんそういう、それぞれの障碍というものに対するリアルな立ち位置とかによっても、そしてそれによって何か得た経験とかによっても、当然感想は分かれてくるあたりだとは思います。
■なんて映画として豊かな作品なんだろう!
といったあたりで『岬の兄妹』、私もヒューマントラストシネマ有楽町で2回、見てまいりました。なかなか入ってましたね。ムービーガチャで、とにかくリスナー枠で公開後にすごい熱烈なリクエストが本当に多数来た作品なんですね。で、先週見事にガチャが当たり、ということでございます。
で、実際に見たら、なるほどこれは評判が広まってるのもうなずけるという……これは、好き嫌いは別にしても、非常に映画としてレベルが高い、とんでもないレベルの作品だったと思います。監督・脚本・製作・プロデューサー・編集を一手に手がけた……要は製作費も全て自分で出して、完全自主制作体制で本作を作り上げた、片山慎三さんという方。
もちろん超低予算。有名俳優なども出ていない、本当に本当に小さな映画のはずなんですけど……描かれているのは社会の最底辺、極貧生活なのに、僕は、「なんて映画として豊かな作品なんだろう!」というところに、本当に心底、感心いたしました。ここで言う「豊かさ」っていうのは、たとえば場面場面に含まれるニュアンスの豊かさであったりとか……たとえば、目を背けたくなるほど悲惨な事態が起こっているのに、同時に、しっかり笑えてしまう。人間臭いユーモアが含まれていたりとか。
あとは、とんでもなく醜悪な状態のはずなのに、どこか美しさや明るさをたたえている、というような感じ。そういう複雑なニュアンス、レイヤーが重なったニュアンスがある。そして、そういうニュアンス豊かな場面場面を成り立たせている、映画としての見せ方の豊かさ、というのも確実にあると思いますね。後ほどちょっと具体的に触れていきたいと思いますけども、全てのシーンやショットに、実は多彩な厚みをもたらす工夫が凝らされていてですね。あと、省略とか飛躍も非常にテンポが良くて、一時も飽きさせない、という感じだと思います。
わずか89分の中に、これだけの豊かさを無駄なく盛り込めるという、これはなかなか……しかも、そもそもこの作品、1年間かけて、季節の変化を含めてじっくり撮影をして、という。
■語り口のたしかさ、スマートさ、手際の良さに唸る
順を追って話していきましょうね。まず冒頭。大変手際のいい、人物紹介がされていくわけですね。片足に障碍を持つお兄さん・良夫が、自閉症の真理子さんを探している。で、そもそもどうやら、その妹の足に紐を付けて、扉に外側から鍵をつけて、っていう……これは、お兄さんとしては「妹を守るため」っていうつもりであっても、この時点で既に、決して褒められたもんじゃない。明らかに「正しくない」状態にいるらしい兄妹がいる。
この映画、全編に渡って、特にこのお兄さんの良夫は、こういう決して褒められたもんじゃない、明らかに「正しくない」選択や行動っていうのを取り続けて。それがまた、更に悲惨な事態を招きまくったりする、というような話なんですけど。これ、普通ならただただ陰惨な、感情移入も困難な話にもなってしまいかねないところをですね、これはお兄さんの良夫を演じている、松浦祐也さんという方。僕がこの松浦さんのいままでの役で強烈に印象に残ってるのは、冨永昌敬監督の2015年の『ローリング』っていうね。あれも変わった映画でしたけど。
あれで、あの電動ドリルを持って追っかけてくる、あの役柄、というね。だから今回とかなり印象が違いますけどね。松浦祐也さんの今回の役柄に関しては、文字通り「憎めない」っていう佇まい、まさしく本当に天性の愛嬌っていうか。どんな最悪の状況もどこかユーモラスに、あと「正しくない」行いをしてても、やっぱり一応は彼に肩入れして見させてしまう、というような。非常に説得力を持っていると思います。
あと、これは片山慎三監督のたしかな演出力の部分だと思うんですけど、彼にはずっとあの黄色のTシャツと、オレンジのキャップをかぶらせているわけですね。もちろん、貧乏だからずっと同じ服を着るしかない、っていうキャラクターでもあるんだけど……対する妹の着用する、だいたいピンクと青っていうのを着ているんですけど、とにかくその黄色とオレンジ、そしてピンクと青っていうので、画面に一定のポップさ、明るさをキープするという。これは計算ずくのスタイリングだと思います。
で、とにかくその、片足をいつも引きずって歩いてるお兄さんがですね……ロケ自体は三浦半島などでしたらしいんですけど、劇中では特にどことは特定されない、一種抽象化された、日本の海沿いの寂れた地方都市をですね、妹を探して彷徨っている。ここでタイトルがドーン! と思い切りのいいデカさで出るのもいいですけども。で、まあそこに、古くからの友人でもあるらしい警察官の肇くんっていうのが来て。これを演じる北山雅康さんの人柄に合わせて、元々もうちょっと嫌なやつのキャラだったらしいんですけど、完全に善意のキャラに変えていて。これが大正解。
つまり、このキャラクター、警察官の肇くんは、この兄妹のことを一応は本当に気にかけてはいるんだけど、全力で援助するほどのモチベーションもない。そこまでの義理もない、っていう距離感。で、これはすなわちこの兄妹と、いわゆる「正しい社会」っていうのの距離感そのものでもある、というわけですね。で、それをサラッと提示しておくこの語り口のたしかさ、スマートさ、っていうのもまず素晴らしいと思いますね。
■「テイッシュなんか食べちゃダメ!」「あまい」「……ホントだ」
で、まあようやく妹の真理子が、見知らぬ男に送られて帰ってくる。これを演じている和田光沙さん。僕はこれ、本年度の映画賞とか総ナメでもおかしくない、相当な名演だと思いますね。自閉症っていうのをリアルに演じている、ということはもちろんですけども……自閉症なんだけど、おそらく非常に、知的に幼いのかなとも思えるんだけど、同時に彼女なりの意思とか、彼女なりのユーモアとか、もっと言えば彼女なりにやっぱり悲しみを感じている、っていうのを、非常に見事なバランスで演じているな、という風に思います。和田光沙さん。
あと、この送ってくる見知らぬ男。これ、ナガセケイさんという方が演じている。「海鮮丼男」と一応言っておきますけども(笑)、その海鮮丼男の、後ろ髪だけ伸ばしたあの怪しげなヘアスタイルを含めたそこはかとないキモさ感も、絶品!という感じだと思いますね。本作は全編で、こういう脇のキャスト、そしてそのキャストに対する演出も、非常に冴え渡っていて。たとえば、全体で2人だけ登場する、関西弁の人物……関西弁の持つユーモラスな側面じゃなくて、強面感とか、なんなら冷淡さの部分みたいなのを切り取ってみせる。その視点の鋭さ、新鮮さ。これだけでも本当に片山さん、只者じゃないな、という風に思ったりしますね。
ともあれ、どうやら妹用語で言う「ぼうけん」の果てにですね、その海鮮丼男と性交して。で、1万円を渡されて。妹・真理子はたぶん、意味もわからず1万円を持たされただけだと思うんですけど。で、これがもちろん、その後の売春行為の常習化とつながっていくわけですけど。ここのくだりで、いわゆる真理子さん用語ですね。「ぼうけん」とか言ったりする真理子さん用語とか。あとは「かみつく」。真理子さんは気に入らないと「かみつく」という件であるとか。大事にしてる貯金箱(しげる)とかね。あとは、コンクリブロックというね、後でも出てくる小道具が出てきたりとか。ポンポンと手際よく自然に、実は後の重要な伏線になるような要素が、すごく自然にポンポンポンと出されてくる。これも本当に語り口として巧みだな、と思いますし。
で、最終的にはこの2人、テイッシュを食って「意外とイケるな!」っていう風なところに行くまで、食い詰めてしまうわけですね。ただこのテイッシュを食うところまで食い詰めてしまう、本当にこれ、悲惨な話のはずなのに、やっぱりなんかどこか、笑えちゃうんですよね。「おい、真理子! そんなテイッシュなんか食べちゃダメ!」「あまい」「(ちょっと食べてみて)ホントだ……」っつってね(笑)。だからどこか笑えちゃう、っていうところ。
ちなみにここも、「なにも食べていないからウンコも出ない」っていうのが、しっかり後の巨大な伏線になっている。本当に上手いな!って思いますけどね。で、そこまで食い詰めたという結果、最終的には、兄が女衒、まあピンプ、ヒモとなってですね。「1時間1万円、最後まで」の売春行為を妹にさせていく、ということになるわけですね。
■我々が現実世界で考える「正しさ」を掘り下げていく映画ではない
ここのプロセスも、たとえば途中で突然、視点が切り替わって、ちょっと虚を突かれる。いきなり奥さんを亡くしたと思われるおじいさんの視点に変わって、「あれっ、なんか別の話が始まった?」と思いきや……という。その視点の切り替えで、フッと映画のリズムを変えるのも、すごく上手いですし。そのおじいさんが(真理子の)お客さんとなるシーン。あのおじいさんは、あえて演技経験が少ないエキストラの方を使って、アドリブ込みで、長回しで撮っている。それによって、もう次から次へと出てくる、自然かつ思いもつかないような名台詞。あの仏壇を真理子さんが開けようとすると、「ダメダメ、開けると変な匂いがするから」とかね(笑)。
あとは服を脱ぐ時に真理子さんが、「きすぎ!」っていう(笑)。そんな、すっごい名台詞が飛び交ったり。かと思えば、これは片山さんが助監督を務めたポン・ジュノの、『TOKYO!』っていうオムニバス映画の中の『シェイキング東京』という作品の演出にインスパイアされたという、要は真理子と寝る男の客たちが、次々と入れ替わっていく、という。あの工夫(がこらされた)、不思議な感じがする見せ方をやってたりとか。かと思えば、そこの流れで出てくる、真理子と気持ちが通じ合う小人症の青年がいて。これは中村祐太郎さんという方(が演じている)。非常に素晴らしいですね。特に彼は、声がすごくいいですね。
後半、この2人の絡みのところを、スチールで、ピッピッと静止画(の連続)で見せるところとかも、フレッシュな見せ方をしていますし。で、その彼と出会って、すごく喜んでる真理子さんと、お兄さんの良夫が2人で歩くという、あの電柱がずらっと並んだ道の、引きの美しいショットであるとか。とにかく場面場面に1個1個、とっても違う工夫がこらされていて。非常に画面も美しいしテンポもいいしで、とにかく飽きさせない、というあたり。本当に見事なものだと思います。
もちろんですね、劇中で行われていることは、何から何まで完全に間違ってる。「正しくない」。そしていずれ、本当に遠からず、なんらかの形で破綻するしかないのも目に見えているようなこと、なわけですよね。もちろんご指摘の通り、たとえば生活保護や障碍者年金とか、そういう福祉に頼るというのが普通、僕たちが現実に考える「正しさ」。現実にあの兄妹がいたら、それを勧めるのが当然、いちばん「正しい」わけです。で、片山さんご自身も実際、そういうシーンも脚本段階では考えたんだけど、「そっちを掘り下げる作品じゃない」という風に思って、それをやめたということなんですね。
あとやっぱり当然、メールにもあった通り、たぶんあの兄妹は、そうやって福祉に頼るという知恵もない、っていうようなレベルの2人かもしれないし。プラスですね、やっぱりこの『岬の兄妹』の主人公たちも、彼らなりに、その福祉の力を借りて食いつないでいくということを良しとしないというような……自分たちの力で稼ぎ、生きていくことに、一抹の誇りと喜びを感じてもいる、というあたり。妹さん、真理子さんも、最初は何の気なしに男と寝てお金をもらっていただけだけど、途中から明らかに意識的に「おしごと」に臨むようになっていく、という。
■悲惨だし、間違いすぎている。でも同時に激しく胸を打つ
で、たとえばその、何度かの失敗を経て、公衆便所で、お兄さんが妹に口紅を塗ってあげる、というシーン。(口紅を唇になじませるために)「ん~、ぱッ」ってやるという……あれはおそらく、お母さんの形見なんでしょうね。きっとね。お母さんがやっていた仕草を、2人して真似してるんだろうと思うんだけど。そこで、鏡に映った、口紅を塗った自分の姿を、一瞬真理子さんが見て、目を輝かせる。そこをスローモーションで捉える。あれはまさに、本当に悲惨の極み、お兄さんが妹に売春をさせるという、悲惨の極みの中にある、美しい瞬間だし。彼女自身も、売春をしながら、他者から認められ求められる、っていう充実を感じてもいるらしい、ということが、端々に示される。
「わたしのこと、好き?」っていうのは、そういう意味ですよね。まあ、もちろんそれは悲惨でもあるんだけど。あと、稼いだ金で、マクドナルドのハンバーガーをものすごく汚く貪りついている、という場面。あそこで、彼らが住んでいる部屋の窓をずっとダンボールが塞いでいたのを、一気にバッと取り払いますよね。で、部屋が一気に明るくなる。つまり、これまでは社会から隠れるように生きてきた彼らが、「どうだ! オレたちは自分で稼いで、自分で食っているんだぞ!」っていう風に、初めて胸を張ってみせられた瞬間でもあるわけです。
もちろん、その手段が間違いすぎている、というのは事実でもあるんだけど、同時に激しく胸を打つ、という場面でもあるんですよ。だから、複雑なんです。正しくないんだけど、彼らの立場に立つと、そこにポジティブなニュアンスもある、というようなことだったりもする。あるいはその、ダンボールで部屋を覆っているというのが……さっき言った小人症の青年の部屋も、同じように新聞でずっと周りを覆っている。そして、その部屋で後半、兄とその青年が交わす会話の、差別する側/される側が幾重にも入り組んだ対比、というのも、非常に鮮やかとしか言いようがないあたりだと思います。
で、こうやって話しているとどうしても、「ハードな現実を描いた、重苦しい作品」という風に思えてくるかもしれないけど、驚くべきことに本作は、さっきから言ってるように、全編すごく笑える喜劇でもあるんですよね。いちばん近いのは、今村昌平の作品群に「重喜劇」っていう表現があるんですけども、その重喜劇、というのがいちばん近いかもしれない。序盤ね、あの警察官の肇くんのところにお金を借りに行くくだりでね、「ねえ、肇くんはソウルメイトだと思っていたのに……」「どこで覚えたんだ、そんな言葉?」っていう(笑)、ああいうくだりとか。
あとは、さっき言ったおじいさんのくだりなんか、ずっともう、「おもしろうてやがて悲しき」っていう感じがただよっているし。あとは、さっきから言っている小人症の青年。真理子が気に入っちゃって帰ろうとしない、ってくだりで、「いつもはこんな子じゃないんですけどね」「あ、そうなんですか」っていう(笑)。この「あ、そうなんですか」っていう、大変な騒ぎになってるのに、なんかそのくだりとか本当におかしいし。いちいちおかしみが滲み出る、非常に喜劇センスがある監督だな、と思います。
■自分が映画に求める要素がしっかりと盛り込まれた、これぞ「最高の映画」!
で、その最高潮が、中盤、最大の盛り上がりを見せる、真夏のシーンですね。高校かな? いじめっ子といじめられっ子たちの、あのシークエンスですね。もう、詳しくは語りません。とにかく映画を見て、口をアングリしてください。僕はとにかく初見で見た時は、あの場面で、「……この映画、ヤベえな……」って思わず、小声で口に出してしまって(笑)。「ヤベえな、この映画……」って。でもここも、単にダーティーでぶっ飛んでいるだけじゃなくて、最初に、海で泳ぐ真理子さんの水中撮影。水中撮影も入れているんです。ここもやっぱり、バリエーションを出しているし。
水中撮影と、水の入っていないプールっていうのの、対比にもなっていますよね。あと、プールのブルーと、さっきから言っているお兄さん・良夫の、あそこではオレンジのキャップ。そして、やや黄色寄りにカラーリングされた「アレ」の、ポップな色合い(笑)。やはり、最低最悪の現実を描きながらも、どこか図太い明るさをたたえてもいる、という演出なんですね。で、ここだけ良夫が女衒として、ピンプとして、妙に上から目線になってるのも笑えるし。で、本当に本年度、ベストセリフ候補ですよね。「まだまだ出るぞっ!」っていう(笑)。最高ですね、本当にね。
こんな感じでとにかく、各シーンで演出や見せ方、語り口が、本当に多層的で豊かという。たとえば後半、風祭ゆきさん、昔ロマンポルノ女優として活躍されました風祭ゆきさんが特別出演をしている、産婦人科医院のシーンとかでも、向こう側が幼稚園になっているとか、そういうシチュエーションをちゃんと選んでいて。その次に続くシーンでは、肇ちゃんの家に赤ちゃんが生まれている、とか。とにかくシーンや流れの構成が実に周到、ということだと思います。
個人的にはですね、映画というものに求めるもの……「実人生では、自分では絶対に味わいたくないことを疑似体験できる」。そして、「“正しくない”人々にもつい心を寄せてしまう」。さらには、「それらが最終的にはやはり、見ているこちらの現実を打ち抜いてくる」というような、フィクション、特に映画に僕が強く求める要素が、しっかりと盛り込まれている、という。僕はこれもまた、「最高の映画である!」という風に思いました。
ただ、これから「じゃあ、宇多丸がそんなに褒めるなら見ようかな」という人に一応言っておくと、まず、性描写や貧困描写はかなりハードです。特に性描写は、かなり露骨です。で、さっきから言ってるように、「正しくなさ」を大量に含むというか、はっきり言って「正しくなさ」ばっかりで出来ているような話です。そこを不快に感じる人は当然いるでしょうし、露悪って言えば露悪だと思います。ただこの露悪は、インディー映画として、メジャー映画ができない戦い方をするという、非常に戦略的な露悪でもある、と思うんですけどね。
しかし、そこに覚悟と理解をした上でなら、89分間みっちり、大変豊かな映画的な面白さっていうのが味わえる作品でもある。そして、非常に歴史に残るような名演も見られる、というあたりだと思います。片山慎三監督、本当に凄まじいレベルのスタートを切ったと思います。何でも、樋口毅宏さんの『民宿雪国』っていう、僕もすごい好きな小説があるんですけど、これを映画化したい、なんてことをおっしゃっているらしくて。この人にちゃんとバジェットを渡したら、今度はどういう使い方になるのかというあたり、本当に見てみたいですし。ぜひぜひこれ、好き嫌いは別にしても、今年の日本映画最大の衝撃がまずは来てしまったと思いますので。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 次回の課題映画は『大脱出2』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。