TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』毎週土曜17時から放送中!
12月10日(土) 放送後記
ゲストは、武井壮さんです。
今週も、最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』で
東京湾を眺めながら、お話伺います。
オリジナルのトレーニング理論…誕生のきっかけは?
武井壮さんは、十種競技の元日本チャンピオン。
十種競技は、2日間で10種の種目を順に行い、その記録の合計得点を競う陸上競技です。
初日は、100m、走幅跳び、砲丸投げ、走高跳び、400m、
2日目に、110mハードル、円盤投、棒高跳び、やり投げ、1500m...
武井さんは、7つある”走る競技”に特化して伸ばすことで、戦略的な勝利をあげられていました。
幼少期は、少年野球チームに所属していたものの
人見知りもあり、チームに馴染めず補欠。
それでも、走ることは得意で、チームでも1番だったとか。
武井「小学校3年生から運動理論を勉強していたので...」
近藤「小学校3年生から?!」
武井「そうなんです。2年生の時、徒競走で負けかけて...実際負けたんですけど(笑)負けたのが認められなくて、1位の旗の前に無理矢理立って白い目でみられて。それがトラウマで、二度と負けたくない!と思って、同じマンションに居た日体大の学生さんに行って、足がどうやったら早くなるか聞いたら『これ全部読めたら早くなるよ』って去年の教科書を全部くれて。それを毎日読み始めたのが、小学校3年生でした。」
要「すーごいな...小学校3年生の時そんなこと全く考えてなかった(笑)」
武井「でも、教科書には、足が早くなる答えは書いてないんですよ。 ”どうやったら重たい物を水平に早く動かせるか”これは 、物理や科学を学ぼうと思って、違う大学の先生にご挨拶に行って...小5の時かなぁ、それは。」
要「小5!?!?! 」
武井「話聞いて、教科書読んでっていうのが日常でした。だから小学校の勉強は簡単でしたね(笑)意外といい時間を小学校の時過ごしました。知識がベースにあって、自分でトレーニング理論を書き始めました。運動はこういうもので、うまくいく... それが未だに僕が使っている身体の鍛え方なので当時がなかったら、今の僕はないですね。」
自身のトレーニング理論を持ち、数々のスポーツをされてきた武井壮さん。
このOA翌日にホノルルマラソンを控える近藤アナから、質問を...
近藤「どうやって乗り切ればいいですか?42キロ...」
武井「まずは、42キロを何時間で走るか、っていう目標によります。」
近藤「5時間半から、6時間くらいが希望です。」
武井「そうすると、6時間で42キロ、1時間で7キロ。時速7キロを6時間続けられる機能をまず調べるべきですね。時速7キロだと、歩くよりほんのちょっと早いくらいですからそのためには、どういうエネルギーを地面に加えるのか、足以外の筋肉はどれだけ稼働させなくちゃいけないのか、酸素負荷を下げるためにどれだけ稼働させないか、そういうバランスもあります。距離、スピードによって、エネルギーを使うのか使わないのかっていうバランスは大事です。何歩必要か、一定のスピードを保って...」
近藤「本気でメモってます!!」
要「でも、そうかも。400メートル走ってた時は、歩数を数えてるって感じでした。時速7キロでちょっと早く歩くくらいだと思ったら、できる気がしてきたね」
武井「普段の歩きを、今よりも早くキツくして、マラソンの時速7キロが楽って思えるように脳をセットしておくのもいいですね。」

全てのスポーツ経験は、『芸能界での武器のため』
大学卒業後、希望する年俸が得られないと分かり、実業団に所属するという選択をせず、十種競技を引退。
ゴルフ留学のため、アメリカへ渡られました。
亡きお兄様の想いである芸能界を視野に入れ最も多く放送されるスポーツである、野球とゴルフを経験しようと考えたそう。
武井「陸上の知名度を生かして、ゴルフのためのスポンサーを取ろうと思ってゴルフメーカーに履歴書送って、テスト受けに行ったら初めての時のヘッドスピードがジャンボさんとタイガーウッズの間で(笑)
それで決めていただけましたね。」
要「え?! それまでゴルフはやってなかったんですよね?」
武井「ポテンシャルがあるんじゃないかってことで、アメリカでゴルファーを育てるキャンプに全額免除で行ける権利をいただきました。4年近くアメリカにいたんですけど、最初のキャンプで、10ヶ月で 73までスコアが伸びたんですけど...そこで諦めました。」
近藤「え!?」
武井「1年目で、U.S PGA(全米プロゴルフ選手権)の予選会の1次試験に合格したら仕事にしようと思ってたんですよ。」
要「そんな人いませんよね?!」
武井「居ない人にならないと、と思っていたので...ただのゴルファーになるつもりは無くて。73がベストじゃ通らない。

ゴルフ留学から戻った武井さんは、次なるスポーツである野球を習得するための相談をしに、恩師の元へ行かれました。そこで紹介されたのが、台湾プロ野球のフィジカルトレーナーのコンペでした。
経歴書を送ったところ、なんと、見事通過。
元阪神:郭李建夫選手も所属していた投手も所属していたチームで”野球を覚えたい”と 選手たちと同様の練習をし、メキメキ上達...最終的には、選手同様の技術を習得できたとか。
武井「外国人選手枠が日本のプロで埋まってたので、残念!ってことで帰国しました。で、キャリアもあるのでそれを生かして、社会人野球チームの入団テストを受けたらすぐ合格して!1年ピッチャーやって。よし、これでテレビで沢山やるスポーツを身につけたタレントになる可能性を持って、いつかチャンスがくる、と思って修行していました。」
近藤「明確なゴールが強みなんですね。」
武井「みんなが思う『それって難しいでしょ』って、やってないからでやっちゃえば、競合がいないので突き抜けるんですよ。でも、皆やらないですよ、なんだかんだ不安だし。...自分は、やっちゃうタイプなんで(笑)」
来週も、武井壮さんにお話伺います!お楽しみに。
OA楽曲
I Dream Of Christmas / Norah Jones