スクリーンデビューは1988年、そして1989年には『マグノリアの花たち』でゴールデングローブ賞・助演女優賞を受賞し、その美貌が世界に注目されるようになったジュリア・ロバーツ。リチャード・ギアと共演した『プリティ・ウーマン』(1990年)の大ヒットは世界中にジュリア・ロバーツ・ファンを作り、2000年に制作された『エリン・ブロコビッチ』では悲願のアカデミー主演女優賞を獲得した。
そんな若き日のジュリアを語るうえで絶対にはずせないのが男性遍歴である。多くの共演俳優と恋愛を楽しんでいた彼女は、キーファー・サザーランドと1991年に婚約したものの挙式3日前にキャンセルし、その4日後に彼の友人である俳優ジェイソン・パトリックと駆け落ち旅行に出た。
運命の相手と彼女が実感したのは映画カメラマンのダニエル・モダー氏で2002年のこと。しかし2人は不倫の関係で、略奪という形でモダー氏と結婚した彼女は2004年に男女の双子を、2007年に次男を出産した。『ザ・メキシカン』ほかカメラマンの夫とは撮影現場で十分なほど一緒に過ごしてきたため、「公私にわたり今ではお互いが一番の理解者なの」と語ってきたジュリア。
「ダニーと出会ってやっと私自身の立ち位置や母性、自分らしい人生というものが見つかり、私の中に輝きを実感できるようになったの。それはダニー。私の中で彼の存在はとても輝いてみえたの。すべての幸せは彼との出会いから始まったといえるわ。」
「夫と一緒に仕事をするのは安心感とともに怖さもあるわ。心地よいコンビネーションよ」とジュリア。
若い頃、キャリア構築に夢中でがむしゃらだった頃の自分を思い出し、「私は超がつく生意気なクソガキ、若い頃は本当に自己中心的な人間だったわ」と反省を口にしたジュリア。
そんなジュリアも今月28日でついに50歳になる。「不惑」の40代を経て「天命を知る」50代へ。仕事も人の世の酸いも甘いも十分に知り尽くし、己の持つ体力、気力の限界を知り、いろいろなことへの諦めがつくようになる年齢が50歳だといわれている。ハリウッドの若手から憧れの女優、目標とする女優と呼ばれるようになっているジュリア。自らの反省を活かして後輩たちを諭す側になっているのであれば何よりである。
(TechinsightJapan編集部 Joy横手)