バボラ社のテニスラケットと共に
築き上げたGS22冠の軌跡
「まさかここで優勝スピーチができるなんて、自分でも驚いているよ。私にとって最も重要なコートで、また優勝できたんだ。
全仏オープン2022、V14を達成したラファエル・ナダル(スペイン)は優勝セレモニーで目を潤ませながら語った。前哨戦では、足を引きずりながらプレーし、「足の怪我は治らないから痛みをコントロールしてプレーする方法を見つけなければならない」と語っていたナダル。試合後の記者会見で告白したことだが、大会中、左足に注射を打って患部を麻痺させながらプレーし、グランドスラム通算22度目の優勝を成し遂げたというのだから驚きである。
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1986年6月3日、スペイン・マヨルカ島マナコルで生まれたラファエル。父セバスチャンは実業家、叔父のミゲル・アンヘルが元スペイン代表でFCバルセロナのレジェンド級選手、祖父ラファエルは音楽家というから、さまざまな才能に囲まれて幼少期を過ごしたのだろう。
ナダルが初めてテニスボールを打ったのは3歳の時と伝えられている。叔父でテニスコーチのトニ・ナダル(※現フィリックス・オジェ・アリアシム/カナダのコーチ)と打ったのだが、4歳になるとグループで週2回テニスをやるようになったという。8歳の時、ナダルは12歳以下の地域大会で優勝。ここからトニ氏の本格的指導がスタートしたのだが、興味深いのは、当時ナダルはフォアハンド、バックハンド共に両手打ちだったということ。そのメリットを考えて、トニは左手でフォアハンドを打つように勧めたのだという。この判断がなかったら、今の栄華はなかったのかもしれない(ナダルは右利きである)。
当時、トニ氏はナダルがとてもいいメンタルを持っていることに気づいていて「グランドスラムで優勝する可能性は高いとは言えないけど、ありえることだ」と思っていたという。
ナダルは、今年出演したスペインの大手通信会社「テレフォニカ」の動画の中で「テニスを始めたころ、両親や叔父(トニ氏)は、コート上でネガティブな態度を取ったり、大声を出したり、ラケットを破壊したりを許さなかった。ネガティブなどんな行動も許さない。次の大会に出られなくなるんだ。コートの中では特に自制心を持つように教育されてきたと思う。結局は自制心とイライラを我慢する能力なんだ」と語っている。決してラケットに当たるようなことはしないのは、幼少期の教えにあるようだ。
15歳でプロ入りしたナダル
2シーズン目目から
「アエロ」シリーズに変える
12歳になると、スペインやテニスヨーロッパでタイトルを獲得するようになったナダル(ジュニア時代はバボラ「ピュアパワー」やバボラ「ピュアドライブ」などを使用。ちなみにITFジュニア大会には出場していない)は2001年、15歳の時にプロ転向を果たす。同年、そして2001年はITFツアー、チャレンジャーツアーにチャレンジする期間となる。ちなみに、2002年9月には現在内山靖崇(積水化学工業)のコーチを務める増田健太郎氏がナダルと2試合戦っている(いずれもナダルの勝利)。
2003年は198位からスタート。
さて、ご存じの方も多いと思いかもしれないが、ツアーデビュー当時、ナダルはバボラの青いラケット「ピュアドライブ」を使用している。
同年8月4日付ランキングで84位とトップ50をクリアしたナダル。2004年から、ラケットを「アエロプロドライブ(2004)」に変更する。全豪オープンで3回戦に進出すると、3月ATPマスターズ1000「マイアミ大会」では2回戦でロジャー・フェデラー(スイス)と初対戦している(6-3、6-3で勝利)。しかし翌月、左足首を疲労骨折。クレーコート・シーズンを棒に振り、全仏オープンデビューは翌年に持ち越されることに。それでも、7月に復帰を果たすと、8月のソポト大会でツアー初優勝を果たしている。
2005年、一気にスターダムへ!
初代「アエロプロドライブ」を操り
全仏オープン初出場初優勝の快挙達成
そして2005年、ナダルはついにスターダムにのしあがる。
2月コスタ ドゥ サウイペ大会、シーズン序盤から連続優勝を果たすなど好スタートを切るとATPマスターズ1000「モンテカルロ・マスターズ」で優勝、さらに「バルセロナ大会」、ATPマスターズ1000「ローマ国際」と前哨戦3大会連続で優勝して全仏オープンを迎えると、初出場初優勝の快挙を達成するのだ。翌2006年大会で連覇を達成すると、2007年は「アエロプロドライブ(2007)」を操って大会3連覇を達成。
2009年は、「アエロプロドライブ(2010)」を使用してシーズンを開始。全豪オープン決勝でフェデラーを下して、ハードコートのグランドスラム初制覇を果たす。そしてクレーコート・シーズン、「モンテカルロ・マスターズ」「バルセロナ大会」「ローマ国際」と前哨戦3大会連続優勝を果たすが、全仏オープン直近の「マドリード・オープン」は決勝でフェデラーに敗れる。そして5連覇を狙った全仏オープン、3回戦でレイトン・ヒューイット(オーストラリア)にストレート勝利を果たし、臨んだ4回戦、ロビン・ソダーリング(スウェーデン)に敗れる。この敗戦後、ナダルは膝の故障を理由に休養。ウィンブルドンも欠場して復帰は8月となった。
「アエロプロドライブ(2010)」で
2010年にグランドスラム3冠
生涯ゴールデンスラムを達成!
膝の問題は2010年にも引きずることに。全豪オープン後(ベスト8)、医師の勧告もあって約1ヵ月休養し、リハビリを行う。故障がナダルをスローダウンさせるのか? そんなことはなかった。
2011年、2012年と全仏オープンを連覇したナダル。しかし、2012ロンドン五輪は膝の故障のため欠場となる。それでも翌2013年シーズンは、「アエロプロドライブ(2013)」で挑み、全仏、USオープンと2冠を達成。全仏優勝後には、「5ヵ月前、私のチームの誰もが、こんなカムバックができるとは夢にも思っていなかった。でも、今日ここにいる。本当に信じられないことが起きた」とケガに苦しみながら、成し遂げた優勝について“信じられない”と喜んでいる。2014年でも全仏オープンで5連覇、9度目の優勝。グランドスラム数はこれで14。当時17冠だったフェデラーに次いで歴代2位タイ(ピート・サンプラス/アメリカとタイ)とする。
デビュー以来、順風満帆に過ごしてきたプロのキャリアだが、2015年、2016年はタフな時間を過ごすことになる。2015年シーズンは、グランドスラムでベスト4以上に残れず。10年、毎年グランドスラム優勝の記録がここで途絶えてしまう。2016年シーズンからは「ピュアアエロ(2016)」を使用開始する。左手首を痛めたこともあるのかもしれないが、ポジションを前にしてラリーのテンポを早めるなど試行錯誤をした年でもあった。新モデルのデビューシーズンとしては寂しい結果となったものの、2017年以降、この“ピュアアエロ”でまた強い姿を見せることになる。
「ピュアアエロ(2016)」と共に
“クレーキング”たるプレーを披露する
2017年最初のグランドスラム、全豪オープンでは決勝でフェデラーと1年3ヵ月ぶりに対戦。しかし、4-6、6-3、1-6、6-3、3-6とフルセットの末に敗れている。それでも、全仏オープンでは決勝でスタン・ワウリンカ(スイス)にストレート勝ち。“ラ・デシマ(スペイン語で10)”と呼ぶ、10度目の優勝を達成。「個人的には、ここ数年、ケガやプレーの不調などトラブルがあったのに、今年は信じられないようなことになったよ」とコメントしている。
ナダルは同年USオープンを優勝。
2019年シーズンは「ピュアアエロ(2019)」で挑む。前哨戦を欠場し、ぶっつけ本番で臨んだ全豪オープンで決勝に進んだものの、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)にストレートで敗戦。その後、右膝を痛めるトラブルが起こると、クレーコートシーズンも、「モンテカルロ・マスターズ」で4連覇が途絶え、「バルセロナ大会」ではティエムに敗戦、さらに「マドリード・マスターズ」ではステファノス・チチパス(ギリシャ)と3大会連続ベスト4に勝ちきれない大会が続く。
コンディションが不安視されたものの、直前の「ローマ国際」で優勝し、全仏オープンを迎えると決勝では、2年連続でティエムと対戦。6-3、5-7、6-1、6-1とセットカウント3-1で、またもその挑戦を退けて12度目の全仏制覇を成し遂げている。ウィンブルドンはベスト4となったものの、USオープンでは決勝に進出。ダニール・メドベデフ(ロシア)を下し、7-5、6-3、5-7、4-6、6-4とフルセットの末にGS19冠目を達成している。10月、ナダルはATPマスターズ1000「BNPパリバ・マスターズ」に出場。しかし、準決勝で腹筋を痛めて棄権している。
「ピュアアエロ(2019)」でも全仏の
タイトルを連続防衛、その後
左足の治療に取り組むため休養
2020年は新型コロナウイルスのパンデミックのため、ツアースケジュールが変則となり、全仏オープンは9月開催に。本来、暖かい中での戦いが、気温が低い中でのプレーとなり、ボールのバウンドなど、多くの選手がそのコンディションに苦しんだものの、ナダルは順調に勝ち進んで決勝へ。ジョコビッチと対戦するが、6-0、6-2、7-5とストレートで下して全仏4連覇を達成。
2021年シーズンはまたもタフな時間となる。全豪オープンは、準々決勝まで進むものの、ステファノス・チチパス(ギリシャ)に2セットアップから逆転負けを喫する(グランドスラムでは自身2度目の2-0からの敗戦)。
21回目のグランドスラムを目指して臨んだ全仏オープンでは決勝で世界No.1のジョコビッチに完璧なテニスを披露。6-0、6-2、7-5のストレートで勝利し、前人未到の全仏オープン13度目の栄冠を手にした。これでグランドスラム優勝回数は、フェデラーと並び男子歴代最多タイとなる20回となったナダル。記者会見では「より多くのグランドスラム優勝を果たして、自分のキャリアを終えたい。ロジャーとこの数字を共有することは自分にとって大きな意味のあることだ。でも、私たちが辞めるときにどうなっているだろうね。私たちはまだプレーを続ける。何が起きるかわからない」と“もっと勝利を積み重ねたい”と語っている。
しかし、その後、ナダルは故障に悩まされることになる。コンディションの問題からウィンブルドン、オリンピックを辞退すると、同年8月、長年悩まされてきたという左足の怪我の問題のため、残りシーズンの欠場を発表。治療に専念する。
2022年、左足痛を抱えたまま全豪で優勝
全仏では麻酔を打ちながらGS制覇
年末のエキジビション大会で復帰を果たすも、新型コロナウイルスに感染。左足の痛みもあるという中、全豪オープン出場が疑問視されたが、前哨戦で優勝すると、全豪オープンで21度目のグランドスラム制覇を達成する。ケガ、病気、重なるトラブルの中で優勝を果たしたナダルは、セレモニーで「こんなに感動的な優勝は今までなかった。私にとって、最後の全豪になるかもしれないと思って臨んだんだ」と特別な思いを持ってチャレンジしたと明かしている。
その後、開幕からの連勝記録を伸ばし、ATP500「アカプルコ大会」で優勝、ATPマスターズ1000「インディアンウェルズ・マスターズ」でも準優勝と快進撃を続ける。しかし、この大会でナダルは肋骨を疲労骨折。2ヵ月近く休むことになる。トラブルはこれだけで終わらない。全仏直前、ATPマスターズ1000「マドリード・マスターズ」は3回戦敗退。続くATPマスターズ1000「ローマ国際」では2回戦敗退となるが、敗れたデニス・シャポバロフ(カナダ)戦では、左足の痛みが再発。試合終盤は、満足に動けなくなっていた。
それでも、ナダルにとってトラブルは乗り越えるべき壁でしかない。全仏オープン、4回戦の対フィリックス・オジェ・アリアシム(カナダ)ではフルセットの苦しい試合となったが、22度目のグランドスラム制覇を果たしてしまう。その記者会見で、冒頭で綴ったとおり、ナダルは、痛む左足に注射を打ち、感覚がない状態でプレーしていたと語ったのだ。
大会後、左足の神経の治療を受けたナダルは、“出場できるかわからない”と語っていたウィンブルドンに出場。順調に勝ち上がっていくが、準々決勝のテイラー・フリッツ(アメリカ)戦でまたもトラブルが発生する。今度は、腹筋を痛めてまともにサーブが打てなくなってしまうのだ。途中棄権という選択が普通と思われた試合だが、ナダルはフルセットまで粘り、タイブレークの末に感動的な勝利を挙げてベスト4進出を果たす。
しかし、ナダルのチャレンジもここまで。ニック・キリオス(オーストラリア)との準決勝前日、会見を開いて「残念ながら、トーナメントを棄権しなければならない」と発表。「腹筋が切れている。今度ばかりはプレーを続けたら悪化する」と苦渋の決断をしている。
「ラファエル・ナダル物語」はまだ続く
「ピュアアエロ」と共に
どんな姿を見せてくれるのか!?
今年6月、自身のアカデミー「ラファ・ナダル・アカデミー・バイ・モビスター」の卒業式でナダルは祝辞を送っている。そこで語ったのは『謙虚さと忍耐力』の重要性だ。
「私はすぐ結果を求める社会で廃れてしまった2つの美徳、『謙虚さと忍耐力』を再認識するようにしている。忍耐強く、粘り強く、あきらめない。楽観主義であれば、この人生で多くのものを得ることができる。<中略>小さな積み重ねが、いずれ大きな違いを生み、あなた方をより良いプロフェッショナルに、そして社会にとって素晴らしい人間にするんだ」と人生には苦難が待ち受けているが、立ち直ることが大事なんだと説いている。
それはまさに、ナダルのキャリアを象徴すべき言葉と言ってもいいだろう。膝、左足、腹筋…さまざまなトラブルがあっても、その中で最後まで最大限の努力をし、乗り越え、史上最多となる22度のグランドスラム制覇を成し遂げてきた。もちろん、「ラファエル・ナダル物語」はまだ終わりではない。続いているのだ。36歳となった今、残された時間は少ないのも事実ではある。生ける伝説となったナダルが、相棒バボラ『アエロシリーズ』と共に、残るキャリアでどんな姿を見せてくれるのか。それは見逃せない時間となる。
取材協力:バボラVSジャパン