ドルトムントで爆発していた当時の香川 photo/Getty Images
2012年夏の判断はキャリアの分岐点に
セビージャ、トッテナムからの関心が噂されるFW鎌田大地、ベルギーのシント・トロイデンからのステップアップが近いFW鈴木優磨、アタランタ移籍案が盛んに報じられるDF冨安健洋など、今の日本サッカー界にはキャリアの分岐点を迎えている選手が複数いる。
重なるのは、今から約10年前。
問題は、正しい判断を下せるかどうかだ。ステップアップは素晴らしいが、判断によっては出番を失ったり、フォームを崩してしまうこともある。
過去には本田圭佑がオランダのVVVフェンロからロシアのCSKAモスクワへ移籍したが、100点満点の選択だったかは微妙なところだ。ロシアで成長した部分もあったが、欧州5大リーグ参戦が遅れる原因にもなってしまった。
ならば、香川真司の判断はどうだっただろうか。香川は2010-11、2011-12シーズンとドルトムントのブンデスリーガ連覇に貢献し、2012年夏にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。クラブの規模を考えると、これもステップアップだ。

当時はエジルも凄かったが…… photo/Getty Images
白い巨人でプレイする香川も見たかった?
ただ、同じタイミングでジョゼ・モウリーニョ率いるレアル・マドリードも香川を狙っていたというのは有名な話だ。モウリーニョが香川のプレイを好んでいたと言われており、香川にはリーガへ向かうチャンスがあったとされている。
モウリーニョはメスト・エジルの控えとして香川のことを見ていたようだが、当時の香川ならエジルにも勝負を挑めたかもしれない。
2011-12シーズンの香川は全コンペティションを通じて17得点14アシストと圧巻の成績を残している。
一方でレアルの司令塔だったエジルは2011-12シーズンに7得点28アシストの成績を残している。さすがにチャンスメイク力は群を抜いており、リーグ戦だけで19アシストも決めているのは見事だ。
得点力なら当時の香川も負けていないように思えるが、あの時香川がレアルへ向かっていればどうなったのか。マンUでは早々にアレックス・ファーガソン氏が退任してしまい、デイビッド・モイーズ政権になってからは迷走が続いていた。香川も本領を発揮できず、やや不運な移籍になってしまった。
モウリーニョ率いるレアルならばもう少し攻撃的なサッカーが出来たはずで、あのマンU移籍は成功だったとは言い難い。
すべては仮定の話だが、別のビッグクラブへステップアップした香川の姿を見てみたかったと悔やむ日本のサッカーファンもいるだろう。それほど当時の香川の衝撃は大きかった。
移籍の決断は選手の運命を大きく変えてしまうが、香川が別の選択を下していればどうなったのか。当時のマンUでは香川以外にも新戦力が苦労するケースが目立っており、その波に呑まれるような形となってしまったのは残念だった。