計画から40年が経過した、お台場を含む東京の臨海副都心が大きく変わろうとしています。2021年から翌年にかけて大規模施設が相次いで閉鎖、アフター・コロナを見据え再開発されますが、歩みは今までも波瀾万丈といえるものでした。

一時代の終わり? 変化の入口にある臨海副都心

 いわゆる「お台場」をはじめとする臨海副都心エリアの景色が大きく変わろうとしています。2021年7月21日には、「VenusFort」や「MEGAWEB」、「Zepp Tokyo」などで構成される大規模複合施設「パレットタウン」が、12月から翌年夏にかけて営業を順次終了すると発表。お台場のシンボルとして親しまれた「大観覧車」も、22年の歴史に幕を下ろすことになりました。

 これに先立ち、年間約100万人の来場者を集めていた「東京お台場大江戸温泉物語」もなくなります。同施設は2003(平成15)年3月に開業しましたが、東京都との事業用定期借地権設定契約が2021年12月に期限を迎えるため、9月5日に営業を終了する予定。跡地の活用方法は未定です。

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東京東部の臨海副都心を経由し、新木場~大崎間を結ぶりんかい線(草町義和撮影)。

 目玉だった大型の観光施設が相次いで閉鎖される形ですが、そもそも、臨海副都心は観光メインのエリアとなるはずではありませんでした。その計画は幾度もの頓挫を経験しており、もし当初の計画通りだったなら、新型コロナや無観客となった東京オリンピック・パラリンピック後の姿も、現在とは異なっていたかもしれません。

 臨海副都心計画の構想が浮上したのは1979(昭和54)年のこと。1986(昭和61)年の「第二次東京都長期計画」で、遊休地となっていた東京湾の埋立地を開発し、東京の第7の副都心として「東京テレポートタウン」を建設する方針が決定しました。

 新たな街の建設には交通網の整備が欠かせません。

1987(昭和62)年に策定された「臨海部副都心開発基本構想」では、新交通システムの整備と京葉貨物線の一部区間(新木場~臨海副都心)の旅客線としての活用が掲げられました。前者は現在の「ゆりかもめ」、後者は「りんかい線」です。

二度の挫折 その最中に開業したゆりかもめとりんかい線

 こうして事業化に向けた具体的な検討が始まり、バブル経済真っ只中の1989(平成元)年4月に「臨海副都心開発事業化計画」が策定されます。この計画ではバブルによる地価の高騰、オフィスや住宅の不足を背景に、「21世紀初頭までに6万人が住み、11万人が働く未来型都市をつくる」とされましたが、まもなくバブルは崩壊。地価は大幅に下落し、オフィス需要も低迷。進出予定だった企業の辞退が相次ぎ、計画は修正を迫られました。

 窮地に陥った臨海副都心開発の起爆剤として期待されたのが、1996(平成8)年3月から10月まで開催予定だった「世界都市博覧会」でした。ところが前年1995(平成7)年4月に「都市博中止」を公約に掲げた青島幸男氏が都知事に就任し、開催10か月前に中止が決定します。

パレットタウンも消滅へ お台場どうなる? 再開発&新地下鉄で挫折の歴史は報われるか

大規模複合施設「パレットタウン」の観覧車(画像:写真AC)。

 ゆりかもめの新橋(仮)~有明間は1995年11月、りんかい線の新木場~東京テレポート間は1996年3月に開業していますが、これらは都市博のスケジュールに合わせたものでした。

 二度の挫折を経て臨海副都心計画は見直されることになり、1997(平成9)年3月に「臨海副都心まちづくり推進計画」が策定されますが、開発は思うようには進まず、2006(平成18)年には臨海副都心開発を担う第3セクター企業3社が破綻する事態に陥っています。

 当初はオフィス街としての開発が想定されていた臨海副都心ですが、1996年に東京国際展示場(東京ビックサイト)開業、1997年のフジテレビ本社移転、そして1999(平成11)年にパレットタウンが開業すると、次第に都心近くの観光地として注目を集めるようになります。

 2002(平成14)年に、りんかい線東京テレポート~大崎間が開業し、JR埼京線との相互直通運転を開始。2006(平成18)年には、ゆりかもめ有明~豊洲間が開業し、交通の便がよくなったことで臨海副都心の開発は徐々に軌道に乗り始めました。

“四度目”の正直? アフター・コロナを見据えた再開発

 そうした中、新たな起爆剤として期待されたのが東京オリンピック・パラリンピックです。バレーボールの「有明アリーナ」、体操競技の「有明体操競技場」、自転車競技・スケートボードの「有明アーバンスポーツパーク」など、多くの競技会場が臨海副都心に設置され、都心と臨海部を結ぶ東京BRTも開業し、人々で賑わうはずでした。

 ところが新型コロナウイルスにより大会は無観客開催となり、三度、目論見は外れてしまいました。ただ、アフター・コロナを見据えた時、国際化、情報化の拠点の重要性が益々高まることは間違いありません。パレットタウンの営業終了と再開発が示すように、今後は臨海副都心を含む臨海エリアでオフィス、商業施設、住宅の整備が加速する予定です。

パレットタウンも消滅へ お台場どうなる? 再開発&新地下鉄で挫折の歴史は報われるか

東京オリンピック・パラリンピック開催に伴い、一部の交通を規制すべく臨海副都心の道路に設けられた「優先レーン」(ピンク色の実線)(2021年7月、恵 知仁撮影)。

 ちなみに、パレットタウンも当初は大江戸温泉物語と同様、事業用定期借地権設定契約により都から貸し出された土地で営業していましたが、2008(平成20)年に森ビルとトヨタ自動車に売却された経緯があります。

 両社はパレットタウン跡地にオフィスや商業施設、ホテルなどが入居する高層ビルを建設する計画でしたが、リーマンショックの影響で延期となりました。現時点では新たな開発計画は未定とのことですが、森ビルとトヨタが中心となって、新たな施設の整備が進められる予定です。

 ただ開発が本格化すると、人口増加に伴い現在のゆりかもめとりんかい線、東京BRTだけでは輸送力が不足するため、東京駅から銀座を経由して、りんかい線の国際展示場駅まで結ぶ臨海地下鉄構想も浮上しています。

長期的な構想であり、すぐに事業化される見込みはありませんが、この路線が必要とされるほどに開発が進んだのなら、臨海副都心という壮大な計画はようやく成功したと言えるのかもしれません。

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