立派なトラス橋の“なか”にあるという珍しい駅が四国に存在。外から見ても橋梁にしか見えず、駅の待合室には通過する特急列車の轟音が響きます。

なぜ橋の上に駅が作られたのでしょうか。

相次ぐ災害 線路が付け変わったJR土讃線

 JR四国の土讃線は、高知県の県都・高知を中心に、四国を縦断する路線です。1924(大正13)年、港から平坦な高知平野へ延びる須崎~日下間を皮切りに、高知駅、土佐山田駅へと路線を延ばし、1934(昭和9)年に今回紹介する土佐北川駅(高知県大豊町)の区間を含む豊永駅まで延長されます。

 この辺りは四国山地に分け入っており、峻嶮な地形と複雑な地質を特徴としています。
線路は当初、吉野川とその支流である穴内川に沿った急崖に敷設されていました。当時、土讃線は香川県の多度津から南へも「土讃北線」として開業しましたが、豊永駅開業時はこの地形に阻まれ、南北の路線が接続していませんでした。

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JR土讃線の土佐北川駅(2023年12月、安藤昌季撮影)。

 1935(昭和10)年の全通後も、土讃線はたびたび大規模な地すべりや土砂崩壊で不通となりました。土佐北川駅はそうした山間区間に、戦後の1960(昭和35)年に新設されています。ただし蒸気機関車は停車せず、気動車のみの停車だったそうです。

 開業からわずか2年後の1962(昭和37)年、国鉄は「土讃線災害対策委員会」を設置します。0系新幹線のデザインで知られる島 秀雄技師長を委員長として、新線建設を含む抜本的な対策を協議します。

その結果、土佐北川駅のすぐ北にある大王信号場まで6.78kmのトンネルが掘られるなど、土讃線は新線に切り替えられていきました。

 しかし、こうした努力にも関わらず1972(昭和47)年、土佐北川駅の2駅南にある繁藤駅構内で地すべりが発生し、死者・行方不明者60名を出す大惨事となります。こうしたこともあり、大杉~土佐北川間も新線付け替え対象となったのです。

東海道新幹線とも関連あり?

 ただ、ここの旧線には大王信号場と土佐北川駅を含んでいました。再度の工事は線路を穴内川右岸から左岸に移設すると共に、延長2067mの大豊トンネルを建設する大規模なものとなりました。新線の大半がトンネルのため、平地がありません。新線の土佐北川駅は500m北の第3穴内川橋梁上に置くしかない、という結論となったのです。

 あわせて大王信号場も廃止され、土佐北川駅は単線である土讃線の交換駅としての役割も担うことになりました。1986(昭和61)年に再開業した新駅は穴内川の上にありますが、国道32号上でもあるので、橋梁に沿って側道もあり、出入口は2か所となっています。

 ホーム延長は95m、ホーム幅3mで、橋梁のホーム側は長さ50mの防風板を設置して、乗客を暴風から守っています。ホームがある関係で、幅は11mあり、鉄道橋梁としては広めです。ホーム上からは穴内川の絶景が楽しめます。

 ホームの一部には7.7mの屋根があり、階段で外に続いています。階段下には待合室がありますが、ユニークなのは「列車の通過」時刻表があることです。待合室にいても、特急通過時は凄まじい轟音がして、迫力がありました。

「橋です」「いや、駅です!?」 異色すぎるJR駅ができたワケ 背景に悲しい過去
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待合室には、0系新幹線のビュフェで採用されたFRP座席にヒントを得たベンチがある(2023年12月、安藤昌季撮影)。

 待合室のベンチは、0系新幹線のビュフェで採用されたFRP座席をヒントにしたもの。原型はアメリカ人デザイナーであるチャールズ・イームス&レイ・イームス夫妻がデザインしたものです。軽量かつ安価で量産にも適しており、東海道新幹線や東急電鉄のホームベンチ、青函連絡線の甲板ベンチ、東京オリンピック(1964年)の会場でも採用されています。

 ベンチの白と青は東海道新幹線をイメージしたカラーです。日差しが届かない待合室では退色もほとんどなく、東海道新幹線開業時の座席が残されている場所ともいえます。

日中の訪問は厳しい…

 この駅に停車する列車は1日5往復のみで、早朝と夜に集中しています。筆者(安藤昌季:乗りものライター)は「四国フリーパス」を使い14時16分着の琴平行き普通列車で降り立ち、15時2分発の高知行きで駅を離れましたが、正直、景色が見られる日中にこの駅を訪れるには、この組み合わせ以外は考えにくいダイヤでした。

 待合室から出ると道が二手に分かれており、橋梁に沿った側道を行くと国道32号に出られます。

「駅前食堂」という食堂もあり、昭和な雰囲気です。ちなみに、すぐ近くにバス停もありますが、停留所名は「枯谷」。土佐北川駅は眼中にないようでした。駅の住所は高知県長岡郡大豊町小川です。

 もうひとつの出入口は、コンクリートの岸壁に通路があります。歩いていると分からないのですが、国道から見ると、岸壁に貼りつくように設置されており、かなり怖い雰囲気です。そして駅の外見は、国道からでは「橋」にしか見えず、標識があるとはいえよほど注意しなければそこに駅があることすら分からないのではないでしょうか。

 筆者が下車した際、利用客はいませんでしたが、物珍しさからか乗客が記念撮影していました。

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至近バス停の停留所名は「枯谷」(2023年12月、安藤昌季撮影)。

 なおJR四国に尋ねたところ、「橋梁、停車場それぞれで、ほかの駅と同じ点検・検査をしています。清掃や維持の特殊性はありません」とのことでした。

 そのうえで「訪問される際には、列車に向けてのスピードライト発光や、列車に接近する行為は危険なので、絶対におやめください。

ホームでの三脚や脚立の使用も、倒れたり足を取られたりする(筆者注:かなり風も強い場所です)ことで怪我や事故につながるので、おやめください」とのことでした。

 今後、JR四国が大歩危~高知間にも観光列車を運行したならば、観光客を楽しませられるポイントになりそうだと感じる駅でした。

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