大阪では1970年の大阪万博、1990年の「花の万博」、そして2025年4月の大阪・関西万博と、計3回の万博が開催されています。大阪万博と大阪・関西万博、これら2地点の会場周辺の鉄道を空から見てみます
55年前の大阪万博会場を空から2025年4月13日、2025年日本国際博覧会「EXPO 2025 大阪・関西万博」が開会しました。
北大阪急行。1970年の大阪万博の際、万国博中央口駅まで線路が延びていた(画像:写真AC)
大阪にとっては1970(昭和45)年の日本万国博覧会(大阪万博)、1990(平成2)年の国際花と緑の博覧会以来、3回目の万博となります。そこで、最初に行われた大阪万博と今回の大阪・関西万博、それぞれ2地点の周辺を、空からの視点で紹介します。
まずは大阪万博が開催された万博記念公園へ。ここは万博開催後の跡地を整備した公園です。岡本太郎作の「太陽の塔」がシンボルとなり、多くの人々を魅了したパビリオンは77か国が参加し、のべ6400万人の入場者数を記録しました。パビリオンは解体されて公園の森となっていますが、「太陽の塔」は現在も健在です。
大阪万博では、アトラクションのひとつとしてモノレールによる周遊運転がありましたが、モノレール軌条や駅施設などは開催終了後に撤去されたため、痕跡はすでにありません。公園内の周遊道路が、モノレールの軌条とだいたい重なっています。
ただし、万博の閉会から20年が経った1990年に、万博記念公園のすぐ南側に大阪モノレール線(南茨木~千里中央)が開業。これにより、千里丘陵の地に再びモノレールが登場しています。
また、大阪モノレール線は1998(平成10)年に万博記念公園駅から分岐して彩都線が開通し、全国でも珍しいモノレールの支線が誕生しました。彩都線は万博記念公園をグルッとなぞりながら軌条が延びており、上空から見ると公園がモノレールで囲まれているように見えます。
2つの臨時駅 いまはどうなっている?また大阪万博のアクセス鉄道として、北大阪急行の線路が現在の千里中央駅(大阪府豊中市)手前で右へカーブし、「太陽の塔」の前にあった万国博中央口駅へ達していました。こちらも万博終了後に線路が撤去され、跡地は中国自動車道へと変貌。千里ICの地下には右へカーブしたトンネルが残されています。

手前のかまぼこ状の白い屋根が大阪メトロ中央線の夢洲駅。そのすぐ先に、大阪・関西万博入場口の東ゲートが構えている(2025年4月、吉永陽一撮影)
万博記念公園の西側には、阪急千里線の線路が近接しています。大阪中央環状線道路を越えた先の府道・千里けやき通り北側の築堤には、大阪万博開催中の臨時駅、万国博西口駅がありました。仮駅構造であったため、これまた現在は跡形もありません。
さて、次は大阪・関西万博の会場上空へ。夢洲は1990年代に造成が開始され、夢洲大橋と海底トンネルである夢咲トンネル開通によってコンテナターミナルが整備されました。夢咲トンネルは沈埋函を沈める沈埋工法によって、2009(平成21)年に竣工。
工事は夢咲トンネル前後のアプローチ部分と夢洲駅部分を実施し、2023年にトンネル工事が完了。駅は2025年1月に開業しました。駅は東ゲートに面しており、カマボコ状の大きな屋根が特徴となっています。
夢洲は地下駅です。上空からでは全く姿が見えませんが、中央線の朝潮橋駅付近にて、シルバーボディに緑と青の縦線がアクセントとなった400系電車に出会いました。20系電車の置き換えと大阪・関西万博輸送を目的に投入された、大阪メトロの新型車です。正面は斬新な八角系スタイルで近未来さを連想させますが、これは宇宙船をイメージしたためです。
アクセス鉄道となる中央線はピーク時に2分30秒間隔で運行されるとのことで、空撮していても前の電車に接近し徐行運転する光景に出くわしました。大阪・関西万博はまだ開催したばかり。大阪港一帯はしばらく大混雑しそうですね。