「映画撮影」で戦闘機を密輸!? 武器なきイスラエルがひらめいた前代未聞の奇策

 今日、強大な軍事力を背景に中東屈指の重武装国家として認識されるイスラエルですが、その出発点は驚くほど脆弱でした。

【まるで映画のレプリカ!】建国当初のイスラエルが独自製作した戦車&装甲車です(写真で見る)

 1948年、国際的合意を経ることなく一方的に独立を宣言したこの新生国家は、同日ただちに勃発した第一次中東戦争において、周辺アラブ諸国を同時に相手取る多正面戦争へと引き込まれます。

 ただ、その時のイスラエルの手元にあった軍備は、国家の存亡を左右する戦争を勝ち抜くにはあまりにも貧弱なものでした。ゆえに彼らは、生き残りを賭けて世界各地から武器を掻き集めるという、極めて困難な課題に同時並行で直面することになったのです。

 とはいえ、当時の国際環境はイスラエルにとって苛酷そのものでした。とりわけ旧宗主国イギリスは、地域の均衡維持を名目としてイスラエルへの武器供給を厳格に制限し、事実上の禁輸体制を敷いていました。

 このようなイギリスの措置は新生国家、すなわちイスラエルにとって致命的ともいえる足かせでしたが、同時にイスラエルという国家の特質、すなわち既存の枠組みに拘泥せず、あらゆる手段を現実的選択肢として取り込み得る柔軟性と大胆さを覚醒させる契機にもなったのです。

 折しも第二次世界大戦の終結から間もない当時、世界各地には余剰化した軍用機が市場に溢れていました。その中でイスラエルの工作員が着目したのが、イギリス製の双発多用途戦闘爆撃機ブリストル「ボーファイター」です。

 民間へ払い下げられたこの機体は中古市場で数多く流通しており、ほとんど廃品同然の価格で入手可能でした。手に入る武器ならば何でも欲しいイスラエルにとってこの機会を逃す理由はありません。架空名義を用いることで、合計7機の取得に成功します。

 問題は、その後でした。イギリス当局の監視下にあるこれら機体を、正規の手続きで国外へ搬出することは事実上不可能です。

ここで構想されたのが、常識的な軍事作戦の範疇を逸脱した欺瞞計画、すなわち「映画撮影」を偽装する作戦でした。

 この発想の中核を担ったのは、1人の女優です。彼女が提示した「撮影名目で飛行許可を取得する」という着想は、単なる奇策にとどまらず、緻密な準備を経て現実の作戦へと昇華されます。航空機の運用は撮影という名目で正当化され、最終的に5機が飛行可能な状態へと整備されました。

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 1948年8月31日、作戦は決行されます。すべては、あたかも台本に従うかのように進行しました。パイロットたちは撮影スタッフを装い、カメラが回る中で機体へと駆け寄ります。コックピットに収まりエンジンを始動する一連の動作は、建前上は演技に過ぎません。

「映画撮影」と見せかけて戦闘機を複数“お持ち帰り”!? 女優...の画像はこちら >>

ブリストル「ボーファイター」戦闘爆撃機。写真は第二次大戦中のイギリス軍の機体(画像:イスラエル空軍)。

しかしその実相は、国家の命運を賭した密輸作戦だったのです。滑走路を離れた瞬間、彼らは俳優としての仮面を脱ぎ捨て、再び戦闘員としての本来の役割へと回帰しました。

 離陸に成功した4機の「ボーファイター」は、提出された飛行計画に記されたスコットランド行きの経路を逸脱し、イタリアへと進路を転じます。その後、ユーゴスラビアを経由して最終目的地であるイスラエルへ向かい、最終的にラマト・ダビド空軍基地への着陸を果たしました。イギリス当局が着陸していない行方不明機が存在するという事実に気付いた時にはすでに遅く、イギリス国内に残された機体こそ押収されたものの、結果として4機の国外搬出は完遂され、母国イスラエルに軍用機を届けるというミッションは見事、成功したのです。

 この作戦によってもたらされた戦果は、数的にはわずかと言えるでしょう。事実、第一次中東戦争に投入されたものの決定的な役割を担うには至りませんでした。しかし、その意義はイスラエルという国家に「空軍」が確実に存在するという事実を可視化し、国民に対して心理的優位と士気の昂揚をもたらす象徴的効果をもたらしたのです。

 今日、イスラエル空軍は国防予算の過半を投じられる中核戦力として、世界屈指の能力を誇示しています。しかしその源流をさかのぼると、前述したような密輸、偽装、さらには犯罪に踏み込む行為の積み重ねによって、世界中からかき集められた航空機群へ辿り着きます。

 生存を至上命題とする国家にとっては、非合法活動も取りうる選択肢の1つにすぎません。この特異な成立過程こそが、後年に至るまでイスラエルの安全保障思想の根底を規定し続けていると言えるでしょう。

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