戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで

21世紀のいまなお「史上最大の戦艦」の座に君臨する戦艦「大和」は、旧日本海軍の威容と落日を象徴する艦でもあります。なぜ建造され、いかに戦い、沈んだのでしょうか。最期を迎えた1945年4月7日に至るまでを振り返ります。

「大和」東シナ海に沈む

 1945(昭和20)年4月7日は、旧日本海軍の戦艦「大和」が沈んだ日です。

戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで

進水後の1941年9月20日、呉海軍工廠で最終艤装中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。

 そのおよそ1週間前の1945(昭和20)年4月1日に、アメリカ軍は沖縄本島へ上陸を開始、太平洋戦争の最終盤である熾烈な沖縄戦の幕が上がりました。これに対し日本は特別攻撃、いわゆる「特攻」を中心に対抗、その中には史上最大最強と形容された戦艦「大和」も含まれていました。しかし「大和」は沖縄に到達することなく、東シナ海の「北緯30度43分17秒、東経128度04分00秒」地点に没しました。死者は2740名、生存者は269名(戦闘詳報より)、単独でここまで犠牲を出した軍艦は、ほかにはないでしょう。史上最大とうたわれた戦艦「大和」ですが、就役から戦没までわずか5年弱と、短命に終わってしまったのでした。

戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで

1941年10月20日、豊後水道入口、宿毛湾沖合で公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。
戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで

1941年10月30日、宿毛湾沖で全力公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。
戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで


 戦艦「大和」が建造されるに至ったきっかけは、大正時代にさかのぼります。


あわせて読みたい

乗りものニュースの記事をもっと見る 2019年4月7日の社会記事
この記事にコメントする

\ みんなに教えてあげよう! /

新着トピックス

社会ニュースアクセスランキング

社会ランキングをもっと見る

コメントランキング

コメントランキングをもっと見る

国内の人気のキーワード一覧

新着キーワード一覧

このカテゴリーについて

国内に起きた最新事件、社会問題などのニュースをお届け中。