和歌山県御坊市を走る紀州鉄道は全長2.7kmのローカル私鉄。鉄道事業は赤字で、リゾートビジネスが収益の柱です。
紀州鉄道は、紀伊半島の西側の海沿いにある御坊駅(和歌山県御坊市)と西御坊駅(同)を結ぶ、営業距離2.7kmの短いローカル線です。運営会社名も紀州鉄道。社名からは、和歌山県、あるいは紀伊半島を網羅する鉄道というイメージが湧きます。しかし実態は、運営する鉄道路線が西日本で最短です。ちなみに2002(平成14)年に千葉県の芝山鉄道が2.2kmで開業する前は、ケーブルカーを除いて日本一鉄道路線の営業距離が短い鉄道会社でした。
紀州鉄道の、鉄道の営業規模は日本一小さいといえます。国土交通省の鉄道統計年報によると、2016(平成28)年度の輸送人員は10万7000人。1日1km平均の利用者数(輸送密度)は8人/日で、最も少ない数値です。経営は厳しく、距離が短いとはいえ赤字は見過ごせません。ところが今まで、廃止やバス転換などの動きは一切なく、沿線自治体への支援要請もしていません。
紀州鉄道のキハ600形ディーゼルカー。
紀州鉄道が廃止にならない理由、それは「会社の看板」だからです。紀州鉄道の前身、御坊臨港鉄道は経営不振のため、東京の別荘分譲会社(磐梯電鉄不動産)に買収され、紀州鉄道に社名変更しました。その理由は「鉄道会社は信用されるから」だといいます。阪急電鉄や東急電鉄など、大手私鉄が不動産事業で成功しました。それを見て、不動産会社が紀州鉄道の事業と看板を買いました。
実は、紀州鉄道は観光・リゾートホテル業界で有名な会社です。ホテル事業として、紀鉄ホテルグループの紀州鉄道軽井沢ホテル、紀州鉄道片瀬江ノ島ホテル、ホテルナチュレ大阪梅田のほか、会員制リゾートクラブを全国に展開しています。最も規模の小さな鉄道は、日本有数のリゾートビジネス事業を営む会社の一部門というわけです。
前身は御坊臨港鉄道 紀州鉄道は115期目を迎えたとはいえ、不景気、合理化、経営改革という流れのなかで、紀州鉄道は鉄道部門を切り離す選択肢もあったはずです。現に十勝鉄道や有田鉄道のように、鉄道事業を廃止しても鉄道会社を名乗る会社はいくつかあります。ではなぜ、紀州鉄道は鉄道を残しているのでしょうか。

無人販売で買ったみかんの甘さを覚えている(2004年11月、杉山淳一撮影)。
杉山淳一(鉄道ライター。この記事の筆者)「2004(平成16)年に紀州鉄道に乗りました。西御坊駅から先の廃線跡を散歩したら、民家の庭先でミカンの無人販売がありまして、そのみかんの香りと甘さ、そしてディーゼルの油煙の臭いを覚えています。今は車両が更新されましたが、路線にはのんびりした雰囲気が残っているようですね。よく残っているなあと、鉄道ファンとしては嬉しいです」
中川社長「大手私鉄さんでも盲腸線(行き止まり路線)を維持していらっしゃいますけれども、盲腸線だけを100%民間で維持する会社は少ないと思います。会社の成り立ちについては皆さんおっしゃるとおりで、社史としては御坊臨港鉄道から始まっています。今年度で115期目ですね」
紀州鉄道が存続する理由 それは社名と鉄道に対する愛着と信用杉山「ズバリ聞きたいことがふたつあります。ひとつはなぜ、現在も赤字の鉄道事業を維持しているのか。もうひとつは、なぜ紀州鉄道という会社名を維持しているのか、です。紀州鉄道のビジネスはずっとリゾートビジネスが主体で、当時はリゾート業界が急成長していました。
中川社長「不動産会社がリゾートビジネスを成功させるために、紀州鉄道を買収して社名を残したという話は事実です。当社のリゾートビジネスは会員制事業から始まっていまして、紀州といえば徳川御三家、政界の中心、永田町の隣に紀尾井町、ここにも紀の字がある。だから、鉄道だけではなく、紀州の『紀』の字にも意味があるんですね
なぜ鉄道を維持するか、紀州鉄道の名を残しているかというと、社名と鉄道に対する愛着と信用です。紀州鉄道は沿線の人々に愛され、応援されています。同時にサスティナビリティ(持続可能性)もあります。永続的に事業を続けていくことは私自身の目標です。紀州鉄道というブランド名は、当社の事業すべてにおいて浸透したブランドになっています。
少子高齢化といわれるなかで、鉄道事業に伸び代はありません。和歌山県は人口減少率が高く、なかでも御坊市は過疎化率が高い。しかし、100年近く継続している鉄道事業と会社名を変えることは、むしろ他の事業に影響が出るだろうと」
鉄道の赤字が数千万円なら、広告費だと思えば…杉山「会社名を変えるとイメージ一新、それは事業継続性に区切りを付けたように見えてしまうと。そして地域への影響ですね。沿線から元気を奪ってしまう。
中川社長「いまのところ鉄道部門は数千万円の赤字で済んでいます。この程度でしたら、看板代、広告費用といえるでしょう。企業経営者として、やめたらいくらかかるんだ、という計算もありますよ。廃線撤去の費用とか、どのくらいの損失が出るんだとか」
杉山「会社全体の事業規模からすると、廃線よりキッチリ運営したほうがメリットですね」
中川社長「最近は多くの鉄道ファンがいらっしゃる。その熱意も感じます」

紀州鉄道が創業50周年を記念して製作した「開運釣鐘乗車券」(2019年11月、大藤碩哉撮影)。
杉山「鉄道イベントも盛況のようですし、鉄道事業から紀州鉄道を知った人が、将来はリゾートビジネス事業の顧客になってくれるかもしれませんしね。鉄道が愛されれば、会社も愛される、という感じでしょうか。
ところで10年くらい前まで、紀州鉄道の公式サイトでは鉄道部門が目立たなかったような気がします。いまの公式サイトはトップページの一番上に鉄道事業のバナーがあります。鉄道趣味の盛り上がりもあったかと思いますが、鉄道を前に出す理由はなんでしょうか」
中川社長「私が社長になってからですね。先ほどの事業継続性に関連しますけれど『鉄道をやっている会社』『100年近く続いている』という情報を前に出したほうが、ホテル事業にも良い影響があると思いました。一時期は創業事業というだけで、最低限の修理費用しかかけなかった。
杉山「鉄道の持つポテンシャルですね」
中川社長「鉄道事業を営む会社は少ないですから、それだけで貴重です。古い友人と会うと『鉄道会社の社長の名刺なんて初めてもらった』なんて言われます」
会社同士が競合関係になりにくい鉄道業界中川社長「鉄道部門のイベントも前向きに考えています。というのは、会員制リゾートビジネスの柱は宿泊とイベントなんですね。イベントのなかには体験会、鑑賞会、グルメなどいろいろありますけれど、会員の年齢が上がってきて、宿泊しないまでも楽しい催しに参加したいという方が増えています。この15年間で2000回以上開催して好評です」
杉山「いま、鉄道事業者が観光に力を入れています。それはつまり、紀州鉄道が100年前から手がけている観光不動産分野に進出しているということです。最近の観光列車ブームもそうですが、鉄道が『便利な道具』から『楽しい道具』に転機を迎えています」

紀伊御坊駅の駅窓口で販売している乗車券。厚紙を使った硬券だ(2019年11月、大藤碩哉撮影)。
中川社長「人口減の社会では、移動手段の鉄道は行き詰まってしまいます。それをどう盛り上げるか。将来的な構想としては、ローカルな民鉄の皆さんと観光面で連携して、ひとつの形にまとめたいと思っています。鉄道業界の良いところは、会社同士が競合関係になりにくいんです。
杉山「鉄道業界は協力しやすい業界といえますね。お互いのノウハウを交換できますし」
鉄道と観光の橋渡し イベント開催やグッズ販売で齋藤鉄道部長「紀州鉄道は知名度が低かったんです。でも、SNSで発信し、自社イベントを開催するようになってから、いろいろなイベントにお声がけをいただくようになりました。運輸収入だけではなく、グッズですとか、ビジネスになる要素がいろいろあると気づいたところです」
中川社長「紀州鉄道がリゾート事業として大きくなったために、逆に鉄道事業をしっかりやっているという認知度が低かったようです。しかし最近は、鉄道商材の売り込み先として認知されるようになりました。最近の事例ですとWi-Fiソリューション企業とアライアンス契約をしました。当社は交通事業会社とリゾート事業関連会社と、両方のつながりがありますから、通信環境による地方創生、地域活性化のお手伝いができます」

紀州鉄道が製作しているグッズのひとつ、列車の写真が入ったカレンダー(2019年11月、大藤碩哉撮影)。
杉山「鉄道業界と観光業界のふたつのネットワークのゲートウェイになるわけですね。鉄道そのものは今後どうなっていきますか」
齋藤鉄道部長「鉄道趣味が多様化していますから、イベントやオリジナルキャラクターグッズの販売など、伸び代があると思っています。鉄道の現場は少ない人数で回していますけれど、彼らのアイデアを実現して盛り上げていけるように、本部はバックアップします。そのうえで、御坊市の交通機関として必要とされている。その役割もしっかり果たしていくと思います」
「鉄道そのもの」が観光資源中川社長「鉄道ファンの方はアニメ系、二次元系がお好きですね。『鉄道むすめ』やラッピング列車とか、鉄道会社間で互いにノウハウを共有して広まっています。その輪のなかに紀州鉄道も参加していこうと。アイデアをいただくだけではなくて、こちらからも提案したい。民鉄各社と観光振興でまとまっていけたらいいと思います。地方鉄道会社同士は連携していて、鉄道車両の融通もしています。たとえば一畑電車さんに行くと、まるで古い車両の博物館のようですね。その車両を見に行くことも観光だし、鉄道そのものが観光資源ですから」
杉山「そういえば、紀州鉄道も元・信楽高原鐵道の車両を運行していますが、その縁で信楽高原鐵道沿線の人が来てくれるという効果もありますね。……社長、もしかして鉄道が大好きなのでは」
中川社長「いえいえ。鉄道に関心はありますけど、『鉄ちゃん』ではないですよ。撮り鉄でも乗り鉄でもないです。個人的にあえて言うと、踏切が好きですね。住んでいる近くにすごい踏切があって……。踏切のなかまで分岐器がかかっていて……。これって珍しいですよね」
杉山(「設備鉄」だよ、この社長さん……)
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紀州鉄道の代表取締役 中川源行さん(右)と鉄道部長の齋藤 智さん(左)。社章はレールの断面がデザインされている(2019年11月、大藤碩哉撮影)。
インタビューの冒頭で、鉄道を残してくださってありがとうございますと伝えたところ、お礼を言われるまでもない、という反応でした。紀州鉄道が鉄道を残すなんて当然のことをしているだけ、という雰囲気でした。
ちなみに紀伊半島の小さな私鉄、紀州鉄道には、2.7kmの区間に18か所の踏切があります。そのうち、警報器と遮断機がない「第4種踏切」は2か所あるとのこと。「設備鉄」には人気だそうです。