YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった——。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。

▼無鉄砲小僧、恐れを知らぬ行動力

 放課後、小学校を出ると、怪しいおっちゃんが不定期に道路に店を開いていました。

 ものすごく長いグニャグニャの鉛筆、ギラギラ光りながら回る丸い物体、こすると煙が出る妖しい粘体…。ちょっと怖いけど、ものすごく魅惑的な品々が並んでいる露店。お金を持っていなかった僕は、じっくり見ることはできずに商品の前をものすごくゆっくり歩きながら進みました。そして、おっちゃんと目が合ったら、何事もなかったように、すぐにその場を立ち去っていました。

 ある日の登校中、通学路のどぶ川に架かる橋の上から川面をのぞくと、大きな亀がいました。その亀は甲羅が割れているのが分かりました。普段は絶対に下に降りないのですが、亀がかわいそうで下まで降りました。ところが、上で見るよりも実際はだいぶ大きくて、小学校低学年では持ち上げられる大きさではありませんでした。

 すぐに学校に行って、担任の先生に亀を助けてほしいとお願いしました。ところが先生は、「どぶ川に降りるなんて危ないことをしてはいけません。それに、どぶ川はとても汚く、ばい菌だらけです。

絶対に入ってはいけません」と、こっぴどく叱られました。

 今から考えると先生の言ったことは大正解で、今の僕なら絶対に入りません。小学生には無敵の行動力がありました。ちなみに下校中にどぶ川をのぞくと、亀はいなくなっていました。

 無敵の行動力、それは小学校に始まったことではなく、幼稚園のころからすでに身に付いていたようです。親にアスレチックへ連れて行ってもらった日、一人で勝手に進み、親が追いつけないほどでした。普通なら「危ないから一人で行ってはダメ」と怒られそうなものですが、親がご近所さんに「この子な、大人も追いつけないほどアスレチックを登るの早いねん」と話すのを聞き、得意げになっていました。

 母親の実家があった奈良に向かう電車に乗ったときには、車内で風見しんごさんの曲を全力で歌って踊り、近くに座っていたおばあちゃんに「うまいねぇ。これあげよ」と焼き栗をもらいました。これが、人前で何かをしてものを頂いた初めての経験でした。

 今から考えると、「これでも食べて黙っておけ」ということだったかもしれません。でも、あの時代は世の中がもっと緩やかでのんびりしていて、知らない人からものをもらうことは珍しくありませんでした。

 そういえば、全く知らない人の家にもよく通っていました。

 この続きはまた次回。

■四代目・玉田玉秀斎

ロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、異文化に触れたことをきっかけに日本文化に興味を持ち、帰国後に講談師としての道を歩み始める。英語による講談や音楽とのコラボレーション、観光地を題材にした講談など、伝統と現代の融合を図る一方、文楽や吉本新喜劇との共演、オーダーメイド講談も精力的に行っている。

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