実況アナ・舟橋慶一が振り返る「猪木vsアリ」(2)

(連載1:猪木vsアリの実況アナウンサーが振り返る猪木の本当の心情>>)

 昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。幾多の名勝負をリングに刻んだ"燃える闘魂"が世界の格闘技史を揺るがせた試合といえば、1976年6月26日に行なわれたモハメド・アリとの一戦だろう。



 その「格闘技世界一決定戦」を実況した元テレビ朝日アナウンサー・舟橋慶一さんが、当時を振り返る短期連載。第2回は、アリ戦の前哨戦として行なわれた、柔道家のウイレム・ルスカとの試合(1976年2月6日、日本武道館)を回想した。

(以降、敬称略)

「あれはアントニオ猪木でなければ見せられない瞬間だった」実況...の画像はこちら >>

柔道金メダリストのルスカ(右)にコブラツイストをかける猪木

プロレスvs柔道で証明したかった「最強」】

 オランダ人のルスカは、1972年のミュンヘン五輪の柔道で重量級、無差別級の二階級を制覇した、当時最強の柔道家だ。ただ、猪木サイドはルスカをプロレスラーとしてリングに上げることはなかった。

 試合はあくまで、「プロレスが世界最強であることを証明する」と掲げたアリ戦へのステップ。プロレスが他の格闘技を圧倒する図式を世間に見せつけるべく、「プロレスvs柔道」を全面的に押し出した。

 興行の看板は「格闘技世界一決定戦」、あるいは「異種格闘技戦」。

ルールが違う格闘技の選手が同じルールで戦うことで、「誰が」「どの格闘技が」世界で一番強いのかを見せる構図を世間に植えつけた。

 ルスカ戦を実況した舟橋は、この構想を理解していた。

「ルスカをプロレスに引き込んでしまったら、猪木さんと同じ土俵で闘うことになり、『あらゆる格闘技の中でプロレスが最強』ということを証明できません。ルスカを柔道家としてリングに上げ、勝つことで『プロレスは柔道よりも強い』とアピールする。そのこと以外に、プロレスの市民権を取り戻す方法がないと猪木さんは考えたんでしょう。私もそれは理解できましたし、同じような思いを抱えながらこの試合を実況しました」

 時間無制限一本勝負となった「プロレスvs柔道」の異種格闘技戦。
ルスカは柔道着のままリングに上がった。

「ルスカが柔道着を着たのは、猪木さん側が希望したんでしょうね」と明かす舟橋は、実況でも通常のプロレスの試合とは違う内容になるように心掛けた。

「私が実況で強調したのは、プロレスvs柔道という論点。違う格闘技の選手が闘うことの意味に軸を置きました。日本で生まれた武道の柔道。対するプロレスは、日本では力道山さんによって認知されて発展しました。
そうした歴史や競技の特徴なども、視聴者にわかりやすく伝わるように意識して実況したと思います」

【猪木だから見せられたバックドロップ3連発】

 ただ、アントニオ猪木の闘いにかける情熱を伝えることは、いつもと変わらなかったという。

「猪木さんが『プロレスの市民権』をすごく気にしていたのは肌で感じていました。師匠の力道山が亡くなったあと、世間から『プロレスはショーだ。スポーツじゃない』と言われ続ける中で、アントニオ猪木が目指したのは本当の強さの追求でした。その真剣な強さを、プロレスで表現しようとしていた。その気持ちは常にこちらにも伝わってきました。

 これは私の実況の原点なんですが、テレビ朝日はもともと『日本教育テレビ』という民法の教育局でしたから、実況でも猪木さんの『諦めない心』『あくなき探求心』『闘いへの魂の雄たけび』などを、教育的な表現でどのように実況していこうかと常に考えていました。

初めての異種格闘技戦となったルスカ戦でも、根っこにあった思いは同じでしたね」

 緊迫の異種格闘技戦。ゴングが鳴ると、放送席の舟橋は猪木の動きに釘づけになった。

「ルスカの動きも相当に速かったことを覚えています。さすがオリンピックの金メダリストで、最強の柔道家たる姿を見せつけました。しかし、炸裂したのは『心技一体』となった猪木魂。強い者への憧れを募らせた観衆と呼応して、一世一代の大勝負という気迫がみなぎっていましたね。
『プロレスは強い』ということを、リング上でフルに表現していました」

 フィニッシュは、猪木のバックドロップ3連発だった。

「猪木さんは、ルスカの脳天をマットに突き刺しました。あれだけの投げを、しかも三連発できる肉体の強さと技術。あれはアントニオ猪木でなければ見せられない瞬間でした」

【猪木に感じたオーラと、アリに対しての殺気】

 ルスカ戦が終わってからから約1か月半後、1976年3月25日にニューヨークのプラザホテルで調印式が行なわれ、アリ戦が正式に決定する。ラフなジャケット姿で現れたアリに対し、猪木は紋付き袴姿で登壇した。

 大声で挑発を繰り返すアリを、猪木は静かに受け流した。

現地で取材した舟橋さんは、あらためて猪木のオーラを実感した。

「あのアリと並んでも、猪木さんはまったく見劣りしない堂々たる佇まいで、むしろアリを見下ろすような殺気がありました。『これぞアントニオ猪木だ』と私は感動しましたよ」

 紆余曲折を経て辿り着いた、アリ戦の正式決定に舟橋も万感の思いだった。

「ついに猪木さんが夢をかなえた。とうとうアリを捕まえたと感動しました。あらためて、とてつもない男だなと思ったものです」

 契約書にサインした時点で試合は正式決定。しかし、舟橋が抱き続けてきた不安が完全に消えることはなかった。

「柔道とプロレスもルールは違いますが、投げや関節技などは噛み合う部分も多かった。だからルスカ戦は、観客もそれほど違和感なく見ることができたんです。

 だけど、プロレスとボクシングはまったく違う。だから当時の私は、正式に試合が決まったあと、『どうやって試合を成立させるのか?』という不安が大きくなっていきました。土壇場で試合が流れる可能性もあると思っていたんです」

 舟橋さんが抱いた不安は、図らずもアリの来日後に形になって表れることになる。

(3)猪木とアリには共通点があった。実況アナが明かす試合前の10日間>>

【プロフィール】

舟橋慶一(ふなばし・けいいち)

1938年2月6日生まれ、東京都出身。早稲田大学を卒業後、1962年に現在のテレビ朝日、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。プロレス中継『ワールドプロレスリング』の実況を担当するなど、長くプロレスの熱気を伝え続けた。