2021年にサッカーのプロレフェリーを引退した村上伸次さんインタビューの後編は、「Jリーグのすごかった選手たちトップ10」。村上さんがプレーヤーだったJFL時代、そして審判としてピッチで選手を見てきたなかで、印象的だったプレーヤーをランキング形式で挙げてもらった。

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【異次元のテクニック】

10位 ドラガン・ストイコビッチ(元名古屋グランパスほか)

 ストイコビッチは私がJFLの西濃運輸でプレーしていた頃に、公式戦ではないんですが対戦したことがありました。実際にピッチで対峙した時は、そのテクニックに驚きましたね。

 とにかくプレーが柔らかくて、ボールをトラップする時は、まるで磁石のプラスとマイナスのようにボールが足にくっつくんですよ。でもボールをキックすれば、こんどはプラスとプラス。ものすごいスピードでボールが飛んでいくんです。でもパスではそこに優しさも加わっている。

 当時の日本のレベルでは、ちょっと見たことのない異次元のテクニックでしたね。

私はDFだったのでボールを取りに行くんですけど、まったく触らせてもらえませんでした。うまい具合に誘われて、そこに食いつかされてはきれいにかわされました。ほかの選手となにが違うのかと考えても、まったくわかりませんでしたね。

9位 ピーター・ウタカ(現ヴァンフォーレ甲府

 10年くらい前に中国Cリーグのレフェリングをしたことがあって、その頃に彼が北京国安でプレーしていて、「この選手はすごいな。日本でプレーしたら化けるだろうな」と思っていたんですよ。そうしたら翌年に清水エスパルスへ移籍してきて、「中国で笛吹いたことあるけど覚えてる?」と聞いたら「あ! あの時のレフェリーだ!」って覚えていてくれたんですよね(笑)。

 とにかく身体能力が高くて、手足も長いので「これは取れないだろうな」と思うボールでも彼は収めちゃうんですよ。今は39歳になって当時のようなスピードやキレはないですけど、テクニックは相変わらずで起点になれる選手ですね。

 ナイジェリア出身で、すごく陽気なんですよね。ちょっと強面ですけど、笑ったらチャーミングで性格もすばらしい選手でした。

8位 李漢宰(リ・ハンジェ/元サンフレッチェ広島、FC町田ゼルビアほか)

 広島で9シーズンと長くプレーしましたが、中盤の汗かき役でピッチ上ではプレーのすごく激しい選手でした。彼は北朝鮮代表選手でもありましたが、彼らや韓国の選手たちは、メンタルが日本人選手よりも強靭という印象で、彼もまさにそうでした。

 でもピッチを離れるとすごく紳士的で、言葉遣いもとても丁寧なんですよね。練習試合の時などによく話をすることがありましたが、サッカーに対して非常に情熱を持った選手でしたね。

【レフェリー泣かせのスピード】

7位 岡野雅行(元浦和レッズヴィッセル神戸、ガイナーレ鳥取ほか)

 彼はみなさんもご存知のとおり、とにかく尋常じゃないスピードで、これはレフェリー泣かせでしたね(笑)。私も現役の頃は100mを11秒前半で走ったんですけど、彼の場合はドリブルに入った瞬間にフルスプリントをかけておかないと、もう離されてしまうんですよ。

 現役の最後のほうは切り札として後半途中から出てきて、それはレフェリーも疲れている時間帯だったりするので「うわぁ、来たな」と(笑)。それで、そこからギアをひとつ、ふたつ入れ直すわけです。だから試合の流れを変える、キーとなる選手という印象が強かったですね。

 阿部勇樹さんの引退試合で私は後半から笛を吹かせてもらったんですけど、その時に彼がベンチの前を走って会場を盛り上げていて面白かったですね。スプリントひとつで会場を沸かせられる数少ない選手でした。

6位 永井謙佑(現名古屋グランパス)

 彼も岡野さんと同じようにレフェリー泣かせな選手でした(笑)。とにかく驚異的なスピードで、彼がいるだけで私は気にしてしまうし、それ以上に副審が大変ですよ。

 彼がいる時はよく副審に「今日は頑張れよ」と声をかけていました(笑)。副審もちゃんとトレーニングをしていて、足の速い人もいるんですけど、さすがに彼のスピードには追いつけないと言いますね。

 彼がいるとカウンターでそのスピードを活かすというのはわかっているので、相手がポゼッションでボールを持っている時は、必ず後ろを見て常に彼がどこにいるかを確認しながらカウンターに備えていました。

 レフェリーも試合の走行距離とかスプリント回数、時速とかを計測する機会があるのですが、彼のように足の速い選手がいる試合では最高時速が30km以上出ていたり、カウンターが多いと走行距離も1試合で13、14kmくらい走りますね。だから彼が出る試合では「今日はよく走ったなあ」となります(笑)。

5位 カレカ(元柏レイソルほか)

 カレカも私がJFLの西濃運輸時代に対戦したことがあって、選手目線で印象的だったプレーヤーです。

 とにかくフィジカルが強靭でした。"柔"と"剛"で言えば、完全に剛というタイプ。

私はDFだったので、彼を止めようと当たりに行くんですが、簡単にはじき返されてしまう。ヘディングの競り合いで、私が先に飛んでいるのに負けてしまいました。

 ひとりでは止められないので、ふたりで前後に挟んでマークしても、そこにパスを通されてすごいシュートを決められてしまいました。セレソン(ブラジル代表)はこんなにもすごいのか、ちょっと次元が違うなと驚きましたね。選手時代、レフェリー時代に柏サポーターからブーイングをいただいたことはいい思い出です。

【レフェリーの話をよく聞いてくれる】

4位 米本拓司(現名古屋グランパス)

 米本選手はリパプールの遠藤航選手と似ていて、ボール奪取率が非常に高いボランチですよね。2009年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝が、FC東京川崎フロンターレで、私がレフェリングを担当しました。

 当時、彼はFC東京に所属していました。下馬評では川崎が優位だったんですけど、高卒ルーキーだった彼がボールを奪いまくって、川崎の攻撃の芽を次々に摘んでいくんですよ。あれはすごかったですね。

 レフェリーなので彼のように球際に激しく寄せるタイプはどうしても目につくものですが、彼はそのなかでもとくに強く印象に残った選手でした。

3位 本間幸司(現水戸ホーリーホック

 彼のボールに対する飛び出しの勢いはちょっと凄まじかったですね。今で言うDOGSO(決定的な得点機会の阻止)の対象となる場面でも、味方をなぎ倒しながらおかまいなしに平気で飛び込んできますから。

 あと水戸のピンチにつながるような笛を吹いた時の彼の威圧感もすごかったですね(笑)。ただ、水戸のナイターの試合を担当した時に、水戸のホテルに泊まったら彼もいたんですよ。それで「村上さんお疲れさまです」と声をかけてくれて、ピッチとはうって変わって優しい笑顔のナイスガイです。

 最近はなかなか出場機会が得られない時期が続いていますけど、46歳で現役を続けているのは本当にすばらしいと思います。JリーグにGKはたくさんいますが、彼にもスポットライトが当たるといいなと思って選ばせてもらいました。

2位 阿部勇樹(元ジェフユナイテッド市原・千葉、浦和レッズほか)

 彼が中盤の底でプレーすることによって、チームが安心感を持ってゲームを進めることができる存在でしたよね。レフェリーとの駆け引きもよく心得ている選手で、ある一定の線を超えたらまずいというのをよくわかっていましたね。

 ジェフや浦和でキャプテンをやっていたので、彼とコミュニケーションを取る機会も多かったですが、レフェリーの話をよく聞いてくれる選手でした。私もレフェリングをする上で、どうしても譲れないところがあったりしても、ちゃんと耳を傾けてくれる数少ない選手のひとりでした。

 彼は私が最後のレフェリングをした名古屋対浦和の試合で現役を引退されて、そのあとの引退試合で笛を吹かせていただけました。そんな気遣いができる人間的にもすばらしい人で、今後指導者として日本のサッカー界に大きく貢献されると思いますが、本当に頑張っていただきたいなと思っています。

【特等席からFKを見させてもらった】

1位 中村俊輔(元横浜F・マリノス、横浜FCほか)

 彼はやっぱりフリーキック(FK)がすごかったですね。とくにあのカーブの曲がり具合。もうほかの選手とは全然違いました。彼のFKは本当に楽しみでした。

 ゴールに近い位置からのFKの場合、壁の選手が5、6枚ならばハンドを見るためにキッカーの真後ろにポジションを取るんですね。それはもう特等席ですよ。ボールの軌道がゴールの隅へ点々と描かれているのが見えるようで、蹴った瞬間につい「入った」と言ってしまうこともありましたね(笑)。

 あと印象的だったのが、彼は前半と後半でスパイクを変えるんですよね。同じ型のスパイクなんだけど、色違いを履いていて新しいスパイクを慣らしていたみたいですね。それもすごく印象に残っています。

<特別賞> 
槙野智章(元サンフレッチェ広島、浦和レッズほか)

 彼は特別賞で選ばないわけにはいかないです(笑)。私がプロレフェリーとして最後の試合が名古屋対浦和で、試合後に両チームの選手たちが花道を作ってくれまして。そこで彼がアンダーシャツにメッセージを書いて待っていてくれて「やられたな」と思いましたね(笑)。

 どうやってやり返そうかと考えて、アドリブでイエローカードを出しました。その時にほかの審判員とつながっているインカムを通して「もう試合後だから公式記録には載せないでください」とお願いしておきました(笑)。

 広島時代などは結構ケンカ腰で、やんちゃ坊主という感じでした(笑)。最初は「おい! レフェリー!」だったのが、「レフェリー!」になって、そこから私の名前を呼ぶようになって。そうやって見ていくと人間的に成長しているんだなと思いました。

 それだけではなくて、ファールを取ると「なんで?」と聞いて、私が説明すると納得してくれて、聞く耳を持ってくれるようになったのはすごいなと思いましたね。

 ちなみに彼と私は誕生日が一緒です。

審判目線のJリーグトップ10プレーヤー「レフェリー泣かせ」の選手を村上伸次が明かす
村上伸次 
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校-立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。