松永浩美が語る山田久志 後編

(中編:松永に「お前、勘違いしてないか?」 その後の野球人生を変えた言葉の真意とは?>>)

 松永浩美氏に聞く山田久志氏とのエピソード後編では、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)のエースとして活躍した山田氏とパ・リーグ他球団の強打者との対戦、山田氏が試合でKOされたことが原因で起きた「野球人生で一番大きい出来事」などを聞いた。

山田久志が清原和博を「痛めつけていた」理由 一方で松永浩美は...の画像はこちら >>

【デッドボールを当てた清原に「よけんか!」】

――落合博満さんや門田博光さん、清原和博さんらパ・リーグの強打者たちと、山田さんとの対戦は常に注目を集めていました。松永さんが印象に残っている対戦はありますか?

松永浩美(以下:松永) キヨ(清原和博)がデビューした頃の対戦ですかね。

とことんキヨを"痛めつけていた"イメージがあるんです。それは、成長させるためだと思っています。

――成長のために厳しく攻めた?

松永 大ベテランの山田さんも、キヨを初めて見た時に「これはパ・リーグの宝、球界の宝になる」と感じたはずです。ある試合で、山田さんがキヨにデッドボールをぶつけた時があったのですが、ぶつけた山田さんは「よけんか!」と怒ったんですよ。

――ぶつけた側の山田さんが怒ったんですか?

松永 そうです。マウンドからバッターボックスにいるキヨに近づきながら怒鳴っていました。

それまで、山田さんが若いバッターにデッドボールを当てた時に、そんなことを言ったことはありませんでした。いつも「あぁ、悪いな」という感じの表情をするくらいでしたね。

 なので、キヨへの態度を見た時に、「これからスターになる選手だ」と認めているんだなと思いました。「デッドボールをうまく避けないといい打者になれない」と言いたかったんだと思いますけど、いずれにせよ山田さんは、自分が認めた選手に対しては自分のチーム、敵のチーム関係なく厳しかったです。

【ロッカールームで山田から「偉そうにするな!」】

――落合さんとの対戦も印象的でした。

松永 山田さんは、落合さんに関しては打ち取れる自信があったみたいです。だけど、西宮球場でのロッテ戦(1982年4月29日)で、落合さんにホームランを3本打たれた時があったんです。

落合さんにとって山田さんは"天敵"で、それまではほとんど打てなかったのですが、その試合では山田さんの得意球のシンカーを狙いすましたように打っていました。

 落合さんは「このボールしか待たない」と決める方で、そのボールが来たら多少ボールでも打つタイプです。だけど、落合さんは低めをあまり打たないタイプでもあるので、どうしても低めに来るシンカーは苦手だったんでしょう。あの試合ではそれをホームランにしていましたが、打たれた山田さんの「しまった......」という表情は印象的でした。

――自分のチーム、敵のチーム関係なく厳しかったということですが、松永さんにも厳しかったんですか?

松永 すごく厳しかったです。確か1986年の、ある藤井寺球場での試合前にもキツく叱責されることがありました。

藤井寺球場のロッカールームにはテーブルが少なくて、荷物を置くスペースがあまりなかったんです。その日は、たまたま大きいテーブルが3つぐらい置いてあったのかな。私はそのうちのひとつを自分のほうに引き寄せて、ラーメンを食べていたんです。

 そうしたら山田さんが来て、そのテーブルの脚をドーンっと足で蹴って、「2年連続で3割打ったぐらいで偉そうにするな! まだレギュラーでもなんでもない。3年連続で打ってから偉そうな顔をしろ」と言われたんです。私は「くっそ~」と心の中で思いながら、蹴られたテーブルを元の位置に戻した記憶があります。

悔しかったですけど、見返してやろうと思って、その年に3年連続で3割を達成できました。

――松永さんがシーズンを重ねても、厳しさは変わらなかった?

松永 厳しかったですね。教えてくれることも多かったですが、厳しいところは厳しかった。ただ、「お前はいつもエラーばっかりしやがって」などと言う一方で、「でも、何勝分かは助けられているしな」と言ってくれたり、優しい一面もありました。

 山田さんに次男が生まれた時は、照れくさそうにしていましたね。山田さんが30代中盤頃に生まれたんですが、「あんまり周りに言うなよ」とクギを刺されました。

恥ずかしかったんでしょうね。その後、長男を球場に連れて来ることもあって、その瞬間だけは「山田さんも親なんだな」と思っていました。普段は家庭を持っている雰囲気がありませんでしたから。

【酔って記憶をなくし、山田にまさかの頭突き】

――山田さんとの試合以外のエピソードで、印象に残っていることはありますか?

松永 1984年、阪急の優勝が早々と決まったので、球団からのお祝いで有馬温泉に一泊で旅行に行ったんです。私はお酒が進んで記憶がなくなるくらい酔っ払ってしまって......。後で聞いた話だと、山田さんにビールを注ぎに行った時に、山田さんの髪の毛を両手でつかんで「何が日本のエースだ! 大事な試合で7点とられて、このやろう!」と言いながら、何回か頭突きをしていたらしいんです。

――それは壮絶な場面ですね......。その大事な試合というのは?

松永 優勝が近づいていた時期で、勝てばマジックが6から4に減らせる試合で山田さんが先発したんです。そうしたら初回に7点を取られてKOされ、負けてしまったんですよ。山田さんがKOされるなんて想像したこともなかったので、かなり戸惑いました。「天下の山田が、なぜこんな打たれ方をしてしまったのか」となったんだとは思いますが、それが酔った勢いで、変な形で爆発してしまって......。

――当然、怒られましたよね?

松永 翌朝、朝食の会場で山田さんに「俺に近づくな」と言われたんですが、記憶がない自分は「えっ、なんでだろう」と思うじゃないですか。その30分後くらいに住友平さん、天保義夫さんらコーチ陣に呼ばれて、「マツは昨日の夜の出来事を覚えてるか?」と聞かれました。覚えてないことを伝えたら、「お前、山田に頭突きしたらしいぞ」と言われました。二日酔いが一気に冷めましたよ。

 それで「これは絶対に怒られる」と思ったら、その2人には褒められたんです。「やったこと自体はよくないと思うけど、若いマツがエースの山田にあそこまで言えるのはすごいことや。それだけお前も成長したってことだからオレは逆に嬉しかった」って。驚きましたよ。特に天保さんは、挨拶など教育面ですごく厳しい方でしたし、絶対に怒られると思っていたので。

――当の山田さんはいかがでしたか?

松永 あらためて、殴られる覚悟で謝りに行きましたが、「確かに、俺も7失点したからな」と全然怒っていませんでした。「お前がせっかく前の試合で、サヨナラのランニングホームランを打ってチームを勢いづけてくれたのに、オレが勢いを消したもんな」って。

それでも、先輩たちからは「お前、ヤマにそんなことをよくできたな」と言われましたし、自分の気持ちは複雑で......すごく悪いことをしたと思っていましたよ。

――それは、松永さんが何歳ぐらいの出来事ですか?

松永 24歳の時です。レギュラーになって3割も打って、リーグ優勝にも貢献して......みたいな感じで、そこそこ自信を持ち始めた時期でした。山田さん以外だったら殴られていたかもしれませんね。

 思い返せば、山田さんが「マツ、やめろ! やめろ!」と言っていたのはなんとなく覚えているんです。ただ、どうやって近づいたか、などはまったく記憶にありません。山田さんに頭突きをしてしまったことは、自分の中では「野球人生で一番大きい出来事」でした。あの大エースに頭突きをしてしまったわけですから。

――ある意味、それだけ山田さんが打たれたことがショックだったんでしょうね......。松永さんにとって、山田さんはどんな存在ですか?

松永 いろいろ教えてもらいましたし、自分を成長させてくれた方です。今回は、タイムをかけるタイミングや、エラーをしていた時に「お前、勘違いしていないか?」と言われたことなどを話しましたが、今の若い選手が同じような教え方をされることはないでしょう。本当に自分を変えるきっかけ、成長するきっかけをたくさん与えていただきました。

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。