小園健太~Aim for the ace of the Baystars 第1回

 いよいよその時が訪れようとしている──。

「シーズンが終わった時に、よかったなって思える1年にしたいですね。

初登板はゴールではないと思っているし、しっかりとチームを勝たせるピッチャーになりたいと思います」

 横浜DeNAベイスターズの小園健太は、目の奥に光を宿しながら、静かにそう語った。

「ハマの番長」の背番号18を継ぐ小園健太がついに一軍デビュー...の画像はこちら >>

【想定外だったプロ1年目】

 超高校級投手として、2021年のドラフト会議で1位指名され市立和歌山高校からDeNAに入団した小園ではあるが、過去2シーズンは本人にとって苦しいものとなった。

 1年目は身体づくりが中心となり、イースタン・リーグでわずか3試合の登板に終わっている。小園は当時を振り返る。

「想像していた1年目とは違ったので、正直きついなと思うことはありました。初めて関東地方に出てきて、当時は新型コロナにより外出することもままならず、悶々とした日々ではありました。周囲の期待も感じていましたからね」

 まずはプロに対応する肉体をつくり上げるという球団のプランではあったが、投げる機会も限られてしまい、フォームのバランスを崩したこともあった。

まだ10代の青年、環境の変化も含め心の平安を保つことが難しかったことは、容易に想像がつく。

 それでも2年目になると、ようやく本格的な実戦のマウンドを踏むことになる。だが制球が定まらず、思うようなピッチングができない。結局、ファームで17試合に登板し2勝5敗、防御率4.21という成績で終わってしまい、待望の一軍デビューはお預けとなった。

 不甲斐ないと感じていた2年目だったが、小園はここで腹をくくったという。

「シーズン終盤にインフルエンザに罹って、どうあがいても今年は(一軍昇格は)無理だと......じゃあ、これから始まる宮崎でのフェニックス・リーグから来年に向け、アピールしていこうってマインドに切り替えたんです」

 宮崎では、アナリストである東野峻臨時投手コーチ(現・ファーム投手アシスタントコーチ)とともにフォームを見直した。

すると、いい兆しが現れるようになった。

「東野コーチからは『縦回転でしっかり身体を使っていこう』という話をしていただき、試合後に個別でキャッチボールをしてもらい、すごく得るものがありました」

 腕の位置が下がっていた身体の使い方を改善した。するとフェニックス・リーグではボールが走り出し、さらに無四球試合をするなど効果が表われた。身体を縦回転させるための腕の角度の重要性を、小園は次のように語る。

「データに関して、僕は腕の角度を一番重視しています。調子がいいときは、時計の時針(短針)でいうと12時半から12時45分の角度になります。

それが1時15分とか1時半とかになってしまうとボールにシュート成分が多くなり、自分の持ち味であるホップ成分が出なくなってしまうんです」

 最適な角度で投げることができると、ボールをしっかり前で押せるようになり、ストレートのスピン量が増えた。入団時、毎分2200回転だったものが、現在では球界トップクラスの2300~2400回転となり、ストレートで空振りが取れるようになった。

 その後、小園は11月下旬から台湾で開催された2023アジアウインターベースボールリーグに参加し、4試合登板で2勝0敗、防御率1.42、19回を投げ13奪三振、3与四球、自責点3という成績を残している。制球も安定し、来季へ向け光が射した瞬間だった。

【胸に刺さった指揮官からのアドバイス】

 そしてオフになると、前年に引き続き涌井秀章(中日)の自主トレに参加し、アドバイスを受けるなどし、いい状態をキープするように努めた。

「涌井さんからは左肩の使い方について学びました。僕は左肩が開いてしまう癖があって、そうするとやはりボールがシュート回転してしまうので、とくにそこに関しては身になるアドバイスをもらいました」

 自分にとって何がベストなのかを選択することの大切さ。

正直、これまでは経験も少なく、根が真面目なゆえに、あらゆるアドバイスを受け止めてしまい混乱していた部分もあったという。

「でも去年の終盤ぐらいからは、しっかりと取捨選択できるようになりました。一度は意見を受け入れて取り組むのですが、そのなかで必要だと思うことを分けて考えられるようになってきたと思います」

 投手としての成長。はたして自分はどんなピッチャーであり、何か必要なのか。それを客観的に分析し、自ら工夫ができる選手でなければ大成することはできない。小園は着実にプロとして、そして勝つことができる投手としての階段を昇っている。

 DeNAの首脳陣もまた、チームの将来を担うであろう小園にかける思いは大きい。宜野湾キャンプに参加した小園は、初の実戦となる紅白戦で先発を任された。

「チームで一番早く実戦で投げさせていただけたことで、期待されているんだなって感じました」

 だが、キャンプ中の実戦はいささか慎重になりすぎ、自分らしいピッチングを見せることができなかった。そんな時、三浦大輔監督から言われた言葉が胸に刺さった。

「フォアボールを結構出してしまって、三浦監督から『際どいところを攻めすぎている』と言われたんです。『真っすぐでファウルを取るのであれば、(ストライク)ゾーン内にアバウトでいいから強いボールを投げなさい』とも。

そこから考え方が変わって、とにかく甘くてもいいから強いボールを投げようって」

 よく捕手の伊藤光なども言うが、四隅やライン上に投げ続けることができる投手はいない。DeNA首脳陣としても投手陣に求める共通認識は"ゾーン内を攻め、早めにストライク先行のカウントをつくる"であり、小園はその注文に沿って懸命に腕を振った。

 すると横浜に帰って来てからのオープン戦では好投が続いた。3月6日のロッテ戦では4回を投げ、4安打、無失点、無四球で終えると、20日のオリックス戦では雨が降る難しいコンディションのなか、強力打線を相手に5回を投げ、3安打、2失点、1四球と十分な数字を残した。

「ゾーン内で勝負するという意味で、出力を出すというよりは、しっかりと自分のいいボールをキャッチャーに投げ込むことができた結果です。こういうピッチングをすれば一軍でも抑えられるんだって自信になりました」

 生命線となるストレートでファウルや空振りを奪うことができ、それに付随しカーブやスプリット、カットボール、スライダーといった変化球も効果的に使えるようになった。

【ライバルから託された想い】

 だが、小園は狙っていた開幕ローテーションを逃してしまう。好投はしていたものの、濵口遥大や中川颯といったライバルたちにその座を奪われてしまった。そのことを尋ねると、小園から無念さは漂っておらず、真っすぐな目で言うのだ。

「自分のなかでは、できる限りのアピールはできたと思います。たとえば去年のオープン戦は、場に飲まれてしまった自分がいたのですが、今年は制球を乱すことなく落ち着いて投げることができましたし、自分のなかでは一軍に向け準備ができているなと思っています。開幕ローテーションは逃しましたが、決してネガティブな感情はなくて、『(首脳陣から)いつでもあるぞ』とおっしゃっていただいているので、そこに向けてしっかりと集中したいと思います」

 プロ初となる一軍のマウンドを想像すると、どんな感情が湧き上がってくるのだろうか。そう尋ねると小園は、しばし考えを巡らせ口を開いた。

「楽しみ......いや、どうなんですかね。不安もあるので半々ですね」

 小園は正直にそう言うと、苦笑した。はたしてマウンドからはどのような景色が見え、どんな思いが胸に去来するのだろうか。

 一軍のマウンドに上がることは、小園からすれば自分だけではなく、ある選手の想いも背負いながらのピッチングとなる。そのある選手とは、同学年で同期入団の深沢鳳介だ。

 深沢は先発投手として一軍昇格を争ったライバルであり、またプライベートでは食事や買い物に一緒に行き、何でも話すことのできるチーム内で一番の親友である。
 
 深沢はキャンプから対外試合で好投を続け、開幕一軍候補に名が挙がっていたが、2月25日の楽天とのオープン戦で、右ヒジの違和感を訴え緊急降板すると、3月19日に球団からトミー・ジョン手術を受けたことが発表された。

 小園は、緊急降板からヒジの検査、手術の決断に至るまでの一部始終を間近で見聞きしていた。そして手術の際、ライバルであり親友の深沢からある思いを託された。

「今年は頼むわ」

 あらためてこのことについて尋ねると、小園は言葉少なに、青い炎がゆらめくように言うのだ。

「本人としては悔しい思いがあるなかで、僕に『頼む』って言葉をくれたので......やらなきゃいけないって」

 一軍デビューまでのカウントダウンは始まった。小園が冒頭で言っていたように初登板はゴールではなく、あくまでもスタートライン。過去2年間の想い、そして家族や仲間、ファンの願いを背負い、横浜の背番号18が満を持して躍動する──。


小園健太(こぞの・けんた)/2003年4月9日、大阪府生まれ。市和歌山高から2021年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズから指名を受け入団。背番号はかつて三浦大輔監督がつけていた「18」を託された。1年目は体力強化に励み、2年目は一軍デビューこそなかったが、ファームで17試合に登板。最速152キロのストレートにカーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップなどの変化球も多彩で、高校時代から投球術を高く評価されていた。