「上智大に最速153キロの投手がいるらしい」

 そんな噂を聞きつけ、向かったのは神奈川県秦野市にある上智大のグラウンド(上智短大のキャンパス内)だ。授業を受けるキャンパスは東京・四谷にあるが、週末の練習や東都大学リーグの公式戦会場のひとつとなっているこの場所は、四谷から60キロ以上離れ、都会の喧騒から離れた土地の高台にある。

 現在、上智大は東都大学野球連盟の3部リーグに所属。1部リーグが神宮球場、2部リーグが大田スタジアムなどで試合を行なうのに対し、3部は応援団も控え部員による口ラッパもなく、鳥のさえずりが聞こえるほど静かな環境で試合が行なわれている。

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【上智大史上ナンバーワン投手】

 そんな静寂を切り裂くような剛速球を次々と投げ込むのが、上智大の4年生右腕・正木悠馬だ。アナウンスで紹介される出身校は聞き慣れない「レドモンド高校」。グローバル教育に力を入れる上智大らしく、正木は帰国子女でもある。

 この日の相手は、かつて中部学院大を全国区の強豪に育て、野間峻祥や床田寛樹(ともに広島)らをNPBに送り出した原克隆監督が2年前からチームを率いるなど強化を図っている帝京平成大。

 4月12日の第1戦では、正木が7回3失点と粘りの投球を見せ、打線の奮起もあって上智大が4対3のサヨナラ勝ちを収めた。翌日の第2戦は雨で順延となり、2週間後の4月26日に再戦が行なわれた。

 上智大は初回に幸先よく2点を先制。3回にも1点を追加し、序盤から主導権を握る。印象的だったのは、正木の投球とともに、上智大打線の力強さだ。

 正木は、初回から力強いストレートを軸に、フォークやカーブを織り交ぜる投球で攻めた。相手打線には、桐生第一や県岐阜商、小松大谷など、甲子園常連校出身の選手が並ぶが、バットを短く持って対策してくる相手を相手に、3回の連打と暴投による2失点にとどめた。

6回に味方の追加点が入り、4対2のまま試合は最終回へ。

 観客のなかには、20年来の上智大野球部ファンという男性の姿も。「上智大史上ナンバーワンの投手ですよ」と、熱く語ってくれた。

 だが、帝京平成大も意地を見せる。正木の球数が110球を超えると、無死から連打を浴び、さらに四球や暴投で1点差に。スクイズを敢行され、本塁への送球が野選となり、ついに同点に追いつかれた。悔しそうにマウンドを降りる正木。

 しかし、あとを継いだ聖パウロ学園出身の左腕・岩渕歩(4年)がピンチをしのぐと、タイブレークとなった延長10回、上智大が1点を勝ち越し。その裏も岩渕が無失点で抑え、上智大が連勝で帝京平成大から勝ち点を奪った。

「上智大に最速153キロの投手」スカウトも熱視線を送る正木悠馬の正体 上智大初のNPB選手となるか?
最速153キロを誇る上智大・正木悠馬 photo by Takagi Yu

【米国育ちの異色の野球人生】

 試合後、正木に話を聞くと、開口一番「全然ダメでした」と反省の言葉が口をついた。

「今日というより、リーグ戦全体を通して体のズレを感じています。上半身と下半身のタイミングが合えば150キロが出るんですが、なかなかうまくいかなくて。改善点ばかりです」

 例の"噂"について尋ねると、「先週の学習院大戦で153キロが出ました。

ウチのスピードガンに加え、相手のスピードガンでも計測したようです」と明かす。この日の最速は150キロだったが、「148キロ台を超える球が増えてきました」と手応えを感じ、「プロに行きたい」という思いも強くなってきたという。

 正木は横浜市出身だが、1歳の頃に父・良太さんの転勤でアメリカ・アラスカ州へ。野球とは無縁の土地だったが、小学2年で日本に帰国すると、「気づいたらやっていました」と父もやっていた野球を始めた。

 中学2年からは再びアメリカに渡り、高校はワシントン州のレドモンド高へ。MicrosoftやAmazonの本社が近く、その社員の子どもたちが多く通う同校は学力が高かった。野球のレベルは「僕らの代はコロナで大会がなかったのですが、地区のプレーオフには毎回出ていました。ただ、すごく強いチームというわけではないです」(正木)というチームで、おもに遊撃手を務めた。

 中学1年の時には身長が約150センチ、3年の時にようやく160センチを超えたくらいと成長が遅かったが、父・良太さんによると「それでも足は速かったですね」と身体能力の片鱗を見せていた。

 また「アメリカはいろんなポジションをやらせてくれるので、そこで初めてやったピッチャーが楽しかったんです。それで大学からは投手を本格的に始めました」と、その環境ゆえに投手というポジションに出会い、今につながることになる。

 父の帰国を機に、正木は上智大へ進学。

「上下関係がない環境で育ってきたので、みんな仲が良い上智はやりやすかったです」と振り返るように、10人前後の同期と力を合わせ、実力を伸ばしていった。

「上智大に最速153キロの投手」スカウトも熱視線を送る正木悠馬の正体 上智大初のNPB選手となるか?
上智大初のNPB選手を目指す正木悠馬 photo by Takagi Yu

【背番号21に込める思い】

 平日は東京・四谷キャンパスのグラウンドで練習するため、特に投手は自主性が求められる。正木は身体能力を高めるため、インターネットでトレーニング理論を学び、特にアメリカのトレーナーによるInstagramの情報を参考にした。

 その結果、体重80キロながら、デッドリフトでは240キロ(体重の3倍)を挙げられるまでに成長。ダッシュやボックスジャンプなどの瞬発系トレーニングも取り入れ、フォームは自分で撮影して研究を重ねた。

 身長179センチながらウィングスパン(両腕を左右に水平に広げた時の片方の腕の指先からもう片方の腕の指先までの長さ)は190センチ。長い腕を武器に、最終学年では球速150キロ台を連発し、「野球を続けたい」という想いが芽生えた。現在、就職活動はしておらず、NPB入りを第一志望に掲げ、すでに複数のスカウトが視察に訪れている。

 これまで上智大からNPBに進んだ選手はいないが、今季から独立リーグ・福島レッドホープスでプレーするユエン凱が「上智大初のプロ野球選手」だという(彼もカナダからの帰国子女)。

 一方で正木は、「初のNPB入りとなれたらうれしいですが、それはこれから次第。まだ全然、何も足りていません」と冷静に語る。「どこが足りない?」と問うと、「投手としての技術ですね。

変化球のコントロールや、投球以外の部分も含めて」と、まっすぐな眼差しで答えた。

 理想とする将来像は、「安定してMAXに近い球を投げられることが強み。取りたい時に三振が取れる投手になりたい」と言う。

 普段はクールな表情を崩さない正木だが、背番号「21」の由来を聞くと、「ウォーカー・ビューラー(レッドソックス)が好きで。ドジャース時代に21番をつけていたから」と、少年のような笑顔を見せた。

 今の目標は「3部リーグ優勝」。先輩たちが果たせなかった夢を、自分たちの代で実現したいという強い想いがある。「勝てる投手になりたい」と、まずはチームへの貢献を誓う。

 上智大からNPBという道なき道を開拓しようとしているが、決して驕らず、冷静に、そして自らに限界をつくらず、ひたむきに腕を振り続けている。

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