短期集中連載・第3回

中谷潤人×ティム・ウィザスプーン ㏌ フィラデルフィア

(第2回:中谷潤人が映画『ロッキー』の名所で受けたレッスン 元ヘビー級王者が現役時代に味わった苦難には「哀しい気持ちになった」>>)

 6月半ば、WBC/IBFバンタム級チャンピオンの中谷潤人は、束の間の休暇を利用してアメリカ・フィラデルフィアを訪れた。大ヒット映画『ロッキー』誕生の地で、WBA/WBCの元世界ヘビー級王者ティム・ウィザスプーンと出会った中谷は、何を感じたのか。

中谷潤人がアメリカのマイナス面にショック 元ヘビー級王者の境...の画像はこちら >>

【道中の壮絶な光景】

 フィラデルフィア美術館を後に、次の目的地へ向かう。「ロッキー・ステップス」から、北東におよそ10キロの地、イースト・タスクルム・ストリート。およそ15分のドライブだが、倍以上の時間に感じた。

 タスクルムまで5分となったエリアの様子に、中谷潤人もマネジャーを務める弟の龍人も、そして私も息を呑んだ。フィラデルフィア警察のパトカーが停車し、あたり一面、ゴミが散乱している。男女問わず、道のあちらこちらに人が座り込んでいる。寝そべっていたり、中腰のまま固まったかのように動けなくなった姿が視界に飛び込んでくる。そんな人間たちが、40~50名はいるだろうか。

「薬物中毒だよ。昔から変わらない光景だ。もはや社会復帰は無理という重症患者さ。病院にも入れず、こうしてストリートでなんとか生命をつないでいる。なかには社会保障制度を利用し、リハビリセンターで預かってもらえるタイプもいるが、一時的に回復の兆しを見せても、また元に戻っちまう。

地獄だぜ」

 元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーンは語った。

「でも、ここは犯罪多発地域ってわけじゃない。まともに歩くことさえできないんだから、罪を犯す力もない。ジャンキーのなれの果てだな」

 そのティムもドン・キングによる度重なる搾取で捨て鉢になり、コカインに溺れた時期がある。
彼は助手席から前方を指差し、問わず語りに話した。

「我がファミリーが住んでいたフィリー(フィラデルフィア)の南側のほうが、ここよりよっぽど危険だ。ギャング同士の殺傷事件なんて、全然珍しくなかった。俺は気の弱い"チキン"だったから、そういうグループとは関わらずに、スポーツばかりしていたけれど......。フットボール、サッカー、ベースボールってさ。競技が守ってくれた」

 サッカーでは地域のMVP選手となり、アメリカンフットボールでは大学からスカウトされた。ボクシンググローブをはめたのは、アメフトのプロ、NFLを断念してからである。大学1年の時、猛タックリを受けて腰を痛め、ホームシックもあってミズーリ州立大学リンカーン校を中退している。

【中谷潤人が住んでいた地域は「背筋が凍る」】

 私はティムに訊ねた。「あなたの故郷と、潤人選手が15歳で生活し始めたロスアンジェルスのサウスセントラルなら、どちらが危険だと思いますか?」と。

 元世界ヘビー級王者は即答した。

「そりゃあ、サウスセントラルだ。間違いない。アメリカ東部の人間にだって、あそこに関するニュースは伝わってくる。黒人の怒りが爆発して暴動が起き、それが1日や2日じゃ治まらない。オレンジジュースを買おうとした黒人の少女が、店の女主人に撃ち殺される。背筋が凍るよ。

 高校生くらいの頃は、『俺の住むフィリーのゲットーって、なんてひどい場所なんだ!』って毎日のように感じていた。でも、サウスセントラルほどじゃないね」

 ティムは一瞬、後部座席の中谷を振り返り、言葉を続けた。

「15歳でサウスセントラルに移り住んで、ゴールに向かって突っ走ってきたんだな。心から尊敬する。

俺にはとてもマネできない生き方だ。並の度胸じゃない。だから今のポジションに到達したのさ。これから、もっともっとビッグになるだろう。モハメド・アリやマイク・タイソンのレベルまで行ってほしいよ。

 それに、ジュントは謙虚なところが魅力だ。世界チャンプって、偉そうに肩で風を切って歩くようなヤツが多いだろう。でも、彼はそうじゃない。純粋なボクシング愛と、人柄のよさを感じる。ファイティングスタイルにも出ているな」

 WBC/IBFバンタム級チャンピオンは、目の前の情景に唖然としながらも、こんな感想を漏らした。

「サウスセントラルでも、ドラッグ所持で逮捕されている人を見たことがありますが、これほど大勢の人が一カ所に固まっている場面には出くわしていません。アメリカの一面なんだとショックを覚えると同時に、哀しい気持ちになります。

この国は、貧富の差が激しいですね。ただ、ああなるのも本人の選択ですから、第三者にはどうしようもないことだと思います。

 ティムの育ったエリアに関しては、また違った種類の怖さを感じますね。それに、サウスセントラルのほうが危ないという彼の発言には、ただただ、恐ろしいなと。住んでいたとはいえ、そこまでの感覚はなかったので......」

【ボクシングと「丁寧に向き合わなければ」】

 イースト・タスクルム・ストリートには、映画『ロッキー』のなかで、主人公が亀と生活していたアパートがある。ロッキーを演じ、脚本も手掛けたシルベスタ・スタローンは、生活に困窮する前座ファイターの苦悩を描く折、現実の重みを盛り込んだのだ。

 同アパートは1920年に作られており、床面積およそ70平方メートル、3部屋のベッドルームに、バスルームが1室。物件の値段を調べると、7万5300ドルから9万5517ドルとのことだ。同地区の3ベットルーム賃貸物件の平均家賃は、1791ドル。

 NeighborhoodScout社のデータによれば、ひとり当たりの所得を比較した際、タスクルム・ストリートの住民以上に貧しい生活をしている人は、全米中で3.7パーセントしかいない。また、近隣で貧困状態にある子供の割合は61.7%に及ぶ。このエリアに住む52.5パーセントがプエルトリコ系、13.5パーセントがドミニカ系となっている。

 2人のチャンプは、ロッキー・バルボアが早朝のフィラデルフィアをロードワークする前、壁に手をつきながらアキレス腱を伸ばしたシーンをマネて写真を撮った。ふと、中谷はその場でシャドウボクシングをした。食事に行っても、買い物に出掛けても、中谷は自然とパンチが出る。その様子を見たティムが囁いた。

中谷潤人がアメリカのマイナス面にショック 元ヘビー級王者の境遇に痛感する「ボクシングに打ち込める場所」があることの幸せ

中谷潤人がアメリカのマイナス面にショック 元ヘビー級王者の境遇に痛感する「ボクシングに打ち込める場所」があることの幸せ
『ロッキー』のワンシーンをマネる中谷(上)とティム

「俺にもあんな時期があった。若い頃は、体が勝手に動いたもんだよ。今、チャンプは27歳だよな」

私がうなずくと、ティムはロッキー・バルボアが生卵を飲んでいたアパートの扉に視線をやりながら言った。

「27歳の時、俺はベルトを失い、途方に暮れていた。26歳でWBCタイトルを獲得したが、初防衛戦にはまったく集中できなかった。ろくに飯も食えないような状況に追い込まれた......。それでも、リングで闘う以外にできることはなかった。

 チャンプは、集中してボクシングに向かえている。

とにかく、彼の望む形で闘い続けなければいけない。これから最盛期を迎え、さらに大きくなっていく男なんだから」

中谷潤人がアメリカのマイナス面にショック 元ヘビー級王者の境遇に痛感する「ボクシングに打ち込める場所」があることの幸せ
アパートの前でシャドウボクシングをした中谷

"ピーク"という時期がないまま、45歳までリングに上がった元チャンピオンは告げた。

「俺みたいな思いは絶対にさせちゃダメだ。27歳なんて、ボクサーとして一番いい時だぜ。俺にとっては絶望の日々だったけれど」

 ティムの言葉を受けた中谷は、元世界ヘビー級チャンピオンに感謝を伝えながら語った。

「当時のティムは、ボクシングを楽しめていなかったでしょうね。そんな状況下で、力を発揮できるはずがありません。薬物に逃げてしまった過去があっても、人間味を感じます。

 僕は、15歳でアメリカに来てから、どんどんボクシングにのめり込んでいきましたし、今もそうです。喜びを感じながら練習しています。1年前より今年、昨日より今日のほうが、ボクシングが好きだな、という毎日です。誰と一緒にやっていくか、そこが大きなポイントになるんだと、教わった気がしますね」

 ティムはその後、ドン・キングを訴え、法廷で決着をつけるべく闘う。自身の評判が下がることを恐れたキングは、執拗なプレッシャーをかけた。使用済みの薬莢(やっきょう)を送りつけ、「示談に応じないなら命を奪う」なる脅迫を繰り返した。

 中谷は呟いた。

「それもアメリカの一部なのでしょう......。ティムはもったいなかったですね。才能を開花させられなかった代償は、ものすごく大きいです。僕には、ボクシングに打ち込める場所があります。だからこそ、丁寧に向き合わなければと、あらためて感じますね。リングで自分の生き方を見せたいです」

(第4回:中谷潤人が元世界ヘビー級王者と訪れたモハメド・アリのライバル「ジョー・フレージャー」像を前に「僕も、そんなレベルのチャンピオンになりたい」>>)

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