スターダム 上谷沙弥インタビュー 前編
リング上で圧倒的な存在感を放つ上谷沙弥。4月27日の中野たむとの「敗者即引退マッチ」で、壮絶な戦いの末に赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)を防衛したことも大きな話題になった。
【アイドルに憧れた少女時代】
――小さい頃はどんな子どもでしたか?
上谷:小学校低学年の頃は、教室で折り紙を折ったり、手紙を交換したりするような、静かな子どもだったな。
――過去にはさまざまなアイドルグループのオーディションも受けていたそうですが、そういった活動をしようと思ったのはいつ頃ですか?
上谷:小3からダンスをやってたんだけど、高校生の時にEXILEのバックダンサーを経験したのがきっかけだね。あの時、「自分もスポットライトを浴びたい。前に出たい」って本気で思って。当時はAKB48が注目されてて、「ああいうふうに輝きたい」って気持ちが一気に芽生えたんだ。
――なぜ小3からダンスを?
上谷:当時、習いごとは何もやってなくて、母親に「ダンスやってみたら?」って勧められたのがきっかけかな。そこから10年以上やってたよ。ダンス大会で優勝したり、中学の時には世界大会で2位になったこともあった。やるからには、徹底的にやり込まないと意味ないし。
――ひとつのことを極めるのが好きなタイプなんですね。
上谷:ふたつのことを同時にやるのは得意じゃなくて。
――そして2018年10月、スターダムが募集していたアイドルグループのオーディションに合格します。
上谷:高校時代には「バイトAKB」で少し活動してたけど、そのあとはオーディションに落ちたり、太田プロダクションに所属したり、いろいろあって。でも、どうしてもアイドルは諦めきれなかった。だからスターダムのユニットオーディションに受かった時は、「やっとつかんだ」って感じだった。プロレスがコンセプトに入ってたのはちょっと想定外だったけど。とにかく、「これがチャンスだ」と思って飛び込んだよ。
――それまでプロレスに触れたことはあったんですか?
上谷:プロレスなんて見たこともなかったよ。正直、「痛くて怖い」「ちょっと野蛮」くらいのイメージしか持ってなかった。
――そんな世界に、なぜ飛び込めたんですか?
上谷:最初、運営にプロレスをやるかどうか確認したら、「一切やらない」って言われたから。アイドルになるのが夢だったし、活動のなかで少しは練習もしたけど、それよりも「アイドルになってやる!」って気持ちが上回ってたから迷いはなかったね。
【苦難の練習生時代を経てリングへ】
――しかし2019年には、練習生としてプロレスの世界へ。くじけそうになったことはありましたか?
上谷:あったよ。プロレス界は縦社会で、上下関係がはっきりしてるから、率先して動かなきゃいけなかったり、大きい声をハキハキ出さなきゃいけなかったり、体育会系の部分に慣れるのに時間がかかった。でも一番しんどかったのは、練習を始めて1カ月くらいで、エルボーの練習中に胸骨を骨折した時。息を吸うのもきついし、寝返りも打てない。さすがの私も、あの時は心が折れかけたね。

――それはかなり厳しい状況でしたね。
上谷:でも、アイドルとプロレスを両方やってたし、「ここでやめたら、全部が中途半端になる」って思った。どうせやるなら、ちゃんと結果を出したかったから。それに、「プロレスを頑張ったらアイドルとしてもっと輝ける」って、どこかで信じてた。だから逃げずに向き合ったんだ。
――2019年8月、デビュー戦の相手は渡辺桃選手でした。多くのレスラーから、デビュー戦は「緊張で記憶がない」と聞きますが、上谷選手はどうでしたか?
上谷:入場も、リングの上でのこともちゃんと覚えてるよ。
たぶん、アイドル活動やダンスで場数を踏んだのが生きたんだろうね。とはいえ、試合中はとにかく痛かったし、恐怖しかなかった。終わった後も「なんでこんなキツいことをやってるんだろう」って正直思ったよ。
――デビュー後まもなく、キャリア1年未満の選手を対象にした「ルーキー・オブ・スターダム」のトーナメントを優勝。順調なスタートだったのでは?
上谷:ほかに出場していた先輩レスラーたちはプロレス志望で入ってきて、私はアイドル志望からのスタート。アイドル志望の人間が勝ったら、対戦相手もメチャクチャ悔しかっただろうね。でも、アイドルでは生きなかった身長の高さも、運動神経もプロレスでは100%武器になった。そこは、私にしかない強みだったと思ってる。
【プロレスの世界で掴んだ"センター"の座】
――2020年には、林下詩美選手が持つ「フューチャー・オブ・スターダム」の王座に挑戦して敗れますが、そのあとに林下選手も所属していたQueen's Quest(クイーンズ・クエスト)に加入します。ユニットでの経験はいかがでしたか?
上谷:林下詩美は、私が理想とするレスラー像の原点みたいな人。初めてスターダムで憧れた選手で、元タッグパートナーでもある。
――2020年7月、林下選手とともに「ゴッデス・オブ・スターダム(タッグ王座)」を獲得。デビューから1年足らずの初タイトル戴冠でしたが、手応えはどうでしたか?
上谷:正直、"勝たせてもらった"という感覚が強かった。試合のなかでは何もできなかったけど、強い気持ちは持っておこうと思ったし、試合後のマイクで「誰がなんと言おうと、私が未来のスターダムだ!」って叫んだことをすごく覚えているよ。
――2021年には、太田プロを退社していますね。
上谷:続けていくうちにどんどんプロレスにハマっていって、ベルトを巻いたことで自信もついたし、「よし、プロレス1本でいく!」となって。アイドルへの未練もなくなったし、思い切ってやめたんだ。
――2021年6月には、シンデレラ・トーナメントで優勝します。
上谷:シンデレラ・トーナメントでの優勝は、「プロレス1本で頑張る」と決めた気持ちが形になったと思ってる。いい思い、悪い思い、いろんな挫折もあったけど、アイドルではセンターを取れなかった。でも、プロレスではセンターになれた。「諦めずに続けていれば、必ず見ていてくれる人がいるんだ」と、心の底からうれしかった。
【白いベルト獲得とフェニックス・スプラッシュの封印】
――2021年12月には、中野たむ選手を破って白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)を戴冠します。
上谷:2回目の挑戦で白いベルトを巻くことができた。その少し前くらいに、「フェニックス・スプラッシュ」という、プロレス技の中でも一番難易度の高い空中技を使い始めて。この時もその技で勝ったんだよね。
――習得までに時間はかかりましたか?
上谷:運動は得意なほうだけど、形になるまで2、3週間くらいかかった。頭のなかで動きのイメージをするけど、精度を上げるのに苦労したな。
――白いベルトは1年4カ月保持し、最多連続防衛記録となる15回を達成。そのなかで印象に残っている試合はありますか?
上谷:今、AEWで活躍している白川未奈と当たった時、フェニックス・スプラッシュでのフィニッシュの場面で白川の顔に膝が入って、ケガをさせた。それは、今でも忘れられない。プロレスとケガは隣り合わせだけど、あの時は自分自身のミスで白川の歯を折ってしまい、血だらけにして、欠場にまで追い込んだ。
もちろん白川のことも気がかりだったけど、それ以上に、「自分の代名詞だった技で白川にケガをさせた」という事実に、「もう今後使えない」って思ったし、それまで積み重ねてきたものが、すべてそこで終わった気がした。自分自身に対する自信が一瞬で揺らいだ。
――それから、フェニックス・スプラッシュは使ってないのですか?
上谷:横浜アリーナで白川と再戦した時に一回だけ出して、それっきり封印してる。
コーナーポストから飛んで回転するあの技は、相手だけじゃなく自分の身体にも相当ダメージを与えることになるしね。横アリの前から肩にずっと違和感があって、試合後に病院に行ったら、医者には、「肩のじん帯が、3本中2本切れてるよ」って言われた。そういうこともあって、封印した。ただ、フェニックス・スプラッシュが使えなくても、今の私なら他の部分で魅了することができる自信がある。私には、まだまだやりたいこともあるしね。
――2023年7月の5★STAR GPでは、リングを囲む照明塔に登って約5メートルの高さからダイブし、左ひじを脱臼。初めて長期欠場を余儀なくされましたね。
上谷:あの時は、「もっと盛り上げたい」と気持ちが昂って。いつもよりも高い位置から飛んで、自分の手のひらから着地した時に、ひじがガクッとズレたのがわかった。レフェリーには「続ける」って言ったけど、完全に外れてたね。リングドクターがすぐに脱臼を戻してくれたけど、痛みがエグくてレフェリーストップになった。
――4カ月の欠場期間中、どんなことを考えましたか?
上谷:長期欠場は初めてだったから、嫌でも自分と向き合うことになった。ファイトスタイルのこととか、自分自身の今後を見据えていろいろなことを考えたよ。今振り返ると、その時間があったからこそ、今の自分がいるのかもしれない。
<後編を読む>ヒールターンと、中野たむとの敗者即引退マッチ「ここまで私を連れてきたのは間違いなくあの人」>>
【プロフィール】
上谷沙弥(かみたに・さや)
1996年11月28日生まれ、神奈川県出身。子どもの頃からダンスに励み、アイドルの活動もしていたが、2019年にプロレスの世界へ。同年8月10日に後楽園ホールでの渡辺桃戦でデビューし、12月8日には「ルーキー・オブ・スターダム~2019年新人王決定トーナメント~」で優勝。2020年7月26日には林下詩美とのタッグでゴッデス・オブ・スターダム王座を獲得し、2021年6月12日にはシンデレラ・トーナメントで優勝。そして2021年12月29日には中野たむから白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)を奪取し、最多連続防衛記録15回を達成。2024年7月にヒールターンし、同年12月29日には中野たむから赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)を奪取した。