錦織圭という奇跡【第23回】
伊藤竜馬の視点(1)

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「なんや、この子!?」

 初めて錦織圭の試合を見た時の驚きを、伊藤竜馬さんは、今も鮮明に覚えている。

 それは、伊藤さんが小学6年生、錦織が5年生だった暑い夏の日。

東京都で開催された「全国小学生テニス選手権大会」の会場での邂逅だった。

小5の錦織圭を見て「なんや、この子!?」の衝撃 1歳上の伊藤...の画像はこちら >>
「あの年の大会には、僕と同じ三重県出身の仲のいい子も出ていたので、彼の試合を応援に行ったんです。その友だちの対戦相手が、圭でした。

 友人はシードがつくほど強かったし、相手は5年生なので、普通に勝つだろうと思っていたんです。そうしたらボコボコにやられていて、びっくりした。『この子は、きっと強くなるだろうな』というのが、最初に圭を見た時の印象です」

 伊藤さんが驚いたのは、友人が負けたという結果にだけではない。対戦相手の少年は小柄ながら、ボールをクリーンにとらえて、質の高いショットを左右に打ち分ける。さらにはドロップショットやボレーも、いとも簡単そうに決めていた。

「驚きました。当時の僕は、ボレーとかできないレベルだったから」と、伊藤さんは柔和な目もとに大きなシワを刻んで笑う。

「なんでもできる。めっちゃ器用」

 それが、錦織圭に対して抱いた第一印象だった。

 錦織よりも一歳年長の伊藤さんは、2012年に自己最高位の世界60位を記録。グランドスラムやATPツアーで戦い、2012年ロンドンオリンピックにも日本代表として出場した。

 そのようなトップ選手でありながら、伊藤さんがテニスを始めたのは9歳の時と遅め。それでも数年後には、全国大会の常連となるまでに成長した。

 ただ、中学1年生時にはひじにメスを入れ、1年近くラケットを握れない日々を過ごす。時を同じくして、錦織は盛田正明テニス・ファンドの奨学生として、アメリカへと渡った。やがて錦織は、世界中の猛者が集うIMGアカデミーでも一目置かれる存在となる。一方でケガの癒えた伊藤さんは、大阪の長尾谷高校に進学し、部活動で腕を磨いた。

【プロ転向を決意した18歳の夏】

 こうして離れたふたりの足跡が、再び交錯するのは5年後の夏。ニューヨークの全米オープン会場だった。

「2006年に僕は全国選抜高校テニス大会で優勝して、そのご褒美として全米オープン・ジュニア予選のワイルドカード(主催者推薦枠)をいただいたんです。僕にとっては、初めての海外遠征。

 いろいろと心配だったんですが、帯同してくれたウィルソンの関係者の方が圭のことを知っていて、『彼についていけば大丈夫だよ』と言ってくれたんです。

それで全米オープン会場で圭に会って、話すようになりました。

 お互いに名前は知っていましたが、話すのはあの時が初めてだったと思います。圭のお父さんもいたので、挨拶をして、少し話もして。圭のお父さんが僕のことを『たっちゃん』と呼んでいたので、圭も同じように僕のことを『たっちゃん』と呼ぶようになりました。

 僕は、最初は『錦織くん』って呼んでいたけど、徐々にくだけて『圭』って呼ぶようになったと思います。それでも最初は、ちょっと遠慮していましたね。『ケ、ケ、ケ......ケイ』みたいな感じで」

 相好をクシャっと崩し、伊藤さんがワハハと笑う。

 不安を抱えた異国の地で、海外慣れした少年と親交を温めた、20年前の日──。その当時を回想する時、今でも伊藤さんは時折、記憶のなかの少年を「錦織くん」と呼んだ。

 この時の全米オープン・ジュニアで、伊藤さんは予選を突破し、本戦でもひとつの白星を勝ち取る。海外の同世代の選手とも戦えたことが、大きな自信になっただろうか。2006年12月25日、高校卒業を待たず伊藤さんはプロ転向した。

「18歳で出た全米オープン・ジュニアのあと、本格的にプロになりたいという意思が固まったんです。あそこで予選を勝ち上がり、本戦でも一回勝てた。グランドスラムというテニス最大の大会に出て、プロの試合も見ることができて、すごくいい刺激になったんです。『錦織くんもプロになると言っているし、僕も絶対になろう』と決意したのが、あの時の全米オープンでした」

【錦織は「世界への道しるべ」】

 伊藤さんにとって、プロの道を選ぶ決定機となった全米オープン。その後、伊藤さんが再び錦織と会ったのは、プロ転向1年目の10月──東京開催のジャパンオープンの会場だった。

 伊藤さんはATPツアーの同大会に予選から出場。一方で錦織は、ワイルドカード(主催者推薦)を得て本戦に出場した。この大会に合わせて錦織はプロ転向も発表。1年前にジュニアだったふたりは、いずれも「プロ」として再会した。

「ジャパンオープンの時も、圭のお父さんと一緒に3人でご飯を食べたりしました。主に圭のお父さんのほうからだったと思いますが、遠征にはどれくらいの費用がかかるのかとか、プロ契約はどんな内容なのかとか、聞かれた覚えがあります。

 僕もプロ1年目で、知りたいこともあったので、いろいろ質問しましたね。アメリカのフューチャーズ(ツアーの下部大会群)の環境とか、どういうふうにスケジュールを組んでいるのかとか。

『アメリカに行ったら、フロリダのIMGアカデミーで練習させてもらえるの?』と聞いたりもしました。錦織くんは『大丈夫だよ』と言ってくれて、そこからは何度か行かせてもらいました。たしか、その年の年末だったのかな? 12月に2~3週間、合宿みたいな感じでIMGで練習させてもらい、その後にアメリカに遠征したこともありました。

 その時の圭は、もうランキング200位台にいたと思います。圭とも練習したし、ほかのプロ選手ともたまに打たせてもらえたり。僕は海外のアカデミーとのつながりもなかったので、圭に仲介してもらえたのはありがたかったですね」

 地元・三重県員弁郡北勢町(現在のいなべ市)でテニスを始め、部活動を主戦場とした伊藤さんにとって、錦織は盟友にして、数少ない「世界への道しるべ」でもあった。

 そんな環境に身を置く1歳年下の錦織を、伊藤さんは「いいな」と思いこそしたが、妬むことはなかったと述懐する。それは、環境は与えられたものではなく、錦織が自らの覚悟で勝ち取ったことを理解していたからだ。

【熱を帯びた「世界一になりたい」】

「うらやましいと少しは思いましたが、盛田正明テニス・ファンドの奨学生に選ばれるのは本当に数人だったわけで、そのなかでチャンスをつかんだのが錦織くんだった。しかも、そうやってIMGアカデミーに行った日本人の子のなかでも、成功している人は少ないですよね。厳しい環境でホームシックにもなるなか、ハングリー精神が求められると思うんです。

 IMGで生き残った日本人は、圭が初めてだった。

チャレンジし続ける強い意志があったからだと思います」

 伊藤さんの記憶に残る『錦織くん』は、今と変わらず「ちょっと天然っぽくて、若干、内向的な感じ」である。ただ、「独自の間合いや、トップアスリートならではの空間」が、当時からあったとも述懐した。

 そして時折、さりげなく口にする「世界一になりたい」というようなひと言に、とてつもない熱が帯びていたとも。

 初めて錦織の試合を見た時に、伊藤さんが「なんや、この子!?」と覚えた衝撃。それから年月を重ね、互いを深く知るにつれ、いつしか自然と思えるようになっていたという。「彼なら本当に、世界一になれるかもしれないな」──と。

(つづく)

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【profile】
伊藤竜馬(いとう・たつま)
1988年5月18日生まれ、三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)出身。9歳からテニスを始め、大阪・長尾谷高時代は数々の国内ジュニアタイトルを制し、2006年にプロ転向を表明する。2008年からATPツアー参戦を開始し、2011年の全米オープンにてグランドスラム初出場。2012年のロンドンオリンピック日本代表に選出される。2024年4月に現役引退を発表し、10月でラストマッチを終える。ATPランキング最高60位。

ATPチャレンジャー通算6勝。身長180cm。

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