錦織圭という奇跡【第44回】
杉山愛の視点(1)

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「ジュニア時代の彼のプレーを見て、『こんなにワクワクするテニス、見たことないな!』って。それが、圭の試合を初めて生で見た時の第一印象でした」

 20年前の日を思い出すと、まるであの時の「ワクワク」も蘇るかのように、杉山さんの顔に笑みが広がり、声が弾む。

錦織圭はジュニア時代も今も変わらない 引退した杉山愛の助言も...の画像はこちら >>
 シングルス最高8位、ダブルスは世界1位。打ち立てた62大会連続グランドスラム出場のマイルストーンは、当時の世界新記録としてギネスにも認定された。

 その杉山さんは現役時代、自身が出ていたグランドスラム大会で、ジュニア部門に出場する錦織圭のプレーを見た。

 ジュニア部門が始まるのは、大会が折り返し地点に差しかかる頃。プレーヤーズラウンジにいる選手の数も日に日に少なくなるなか、勝ち残っている杉山さんは、錦織少年と会場で顔を合わせた。

「コートの外では、すごくシャイ」というのが、杉山さんが抱いた第一印象。それでも、どこか人懐っこいところもある錦織とは、「よくご飯を食べに行った」という。

 もっとも杉山さんにとって錦織は、初めて会う以前から、その名をよく聞く存在だった。

「私も関わっていたジュニア大会に、圭も出ていたので名前は知っていました。彼が13歳くらいの頃だったと思います。『すごい選手がいる』と評判でしたし、私の母も、圭のお父さんから相談を受けていたりしたんです」

 杉山さんの母・芙沙子さんは、杉山さんのコーチでもあり、自身が運営するテニスアカデミーでジュニア育成にもあたっていた。

 その芙沙子さんに、錦織の父・清志さんは、我が子の進路について助言を求めることがあったという。

日本人の先駆者が少ないなか、清志さんにとって杉山母娘は、数少ない羅針盤だった。

「ちょうど、圭の進路をどうするか、ベースをどこに置こうかと悩んでいる時に、清志さんが相談した相手が母でした。

 母はその時、清志さんに『大きな器を用意してあげてください』と言ったそうです。小さなグラスから水がこぼれてから、別の器に移すのは大変。そういう意味でも、あふれる前に大きな器を用意してあげたほうがよい。

 圭というすばらしい素材を育てるには、彼にふさわしい環境を用意することが大切だというようなことを、母が清志さんに伝えたと聞きました。実際に、圭がアメリカのIMGアカデミーに行った理由のひとつとして、母の助言があったようです」

【印象は「すごくスマートな選手」】

 そんな縁もあり、杉山さんは時間の許すかぎり、錦織の試合を見るようになる。2006年の全仏オープンでは、杉山さんはダブルスで決勝に進出。錦織はジュニア部門のダブルスで優勝。コートサイドで錦織を応援し、優勝の瞬間も見届けた杉山さんは、「お祝いにブランド品のお財布をプレゼントしてあげた」という。

 後日、「なくしてしまいました......」と謝られたのも、今では懐かしい笑い話だ。

 そのように、オフコートではおっとりした少年が、コート上では躍動感にあふれ、一瞬にして見る者を魅了する。

「本当に、将来どれくらいまで行くのかっていうのは、もうその頃......ジュニア時代から楽しみにしていました。

同時に、オンコートとオフコートのギャップが彼の魅力のひとつでもあるな、というふうにも思いましたね」と、杉山さんが振り返る。「それは今も変わらないですけれどね」と、優しい笑みを浮かべながら。

「人の意見に耳を傾け、柔軟に取り入れる姿勢も、彼の魅力のひとつですよね。私が現役引退したのが2009年で、圭がプロになったのが2007年。お互いツアーを回っているなかで、1~2年間は一緒の大会に出ることもけっこうありました。

 その頃の彼はまだ、それこそ飲み物の取り方ひとつ、食べ方ひとつとっても、知らないことばかり。なので、一緒に過ごすなかで、私が助言したこともあったんです。そういう時も彼は、素直な心で私の言葉をすんなり聞いていました。

 もちろん全部が全部、誰の言うこともすべて聞くというのではなく、必要なところを選別して、自分のものにしていた。すごくスマートな選手だなという印象を、その頃からずっと持っています」

 2009年に約17年に及ぶキャリアに幕を引いた杉山さんが、国別対抗戦『ビリー・ジーン・キング(BJK)・カップ』の日本代表監督に就任したのは2022年末。その当時の錦織は、リハビリや調整で日本にいる時間も長かったため、ふたりは東京のナショナルトレーニングセンター(NTC)で、再び頻繁に顔を合わせるようになる。

【無駄がそぎ落とされていった】

 そんな時に杉山さんと錦織は、昔に戻ったかのようなやりとりをすることもあったという。

「私が監督になったこの4年間、圭はケガをしてNTCに来ることも多かったので、会うことも増えたんです。

 そんな時、私が圭を見ていてちょっと気になることがあったので、本人に『ビデオを撮っていい?』と断ったうえで撮影して、一緒に見ながら『ちょっとここの動きが気になるんだよね』と言ったことがあったんです。すると圭も、『あ、本当だ。たしかにこれは気になりますね』って。そういう素直というか、まず一回は聞いてみようというスタンスは、ずっと変わらないですね。

 意固地にもならず、上に行ったからといって周囲をシャットアウトすることもない。ずっと変わらない彼の本質があるからこそ、ああやって進化し続け、どんどん洗練されていったのかなと思います」

 今回、杉山さんにお話をうかがった場所は、錦織が「キャリア最後のグランドスラム」を戦い終えた全米オープン会場だった。

 当時18歳の錦織が、全米オープン3回戦で世界4位のダビド・フェレール(スペイン)を破り、世界にその名を知らしめたのが2008年。なお、その年の杉山さんは、ダブルスでベスト4。シングルスでは3回戦進出を果たし、最終的に同大会を制したセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)に敗れた。

 それら自身の思い出や、種々の感情も染み込む地で、杉山さんは錦織の歩んだ道に思いを馳せる。

「圭は、初めてここ(全米オープン)で試合をした頃などと比べても、階段を上がるように、どんどん進化していきましたよね。

動き方も最初の頃は、もっとバラバラしていました。

 それが、トレーニングや練習を重ね、洗練された動きになっていきましたから。無駄がそぎ落とされて、どんどんシンプルになっていく。それでも動くべきところは動いているので、躍動感もある。

 調子の振れ幅も少なくなったので、全盛期の頃は本人が『調子が悪い』と言っても、ほかの選手と比べたら全然悪くないくらいまでになりました。それは彼のベースの力が抜きん出ていたからだし、コントロール能力があったからだと思います」

 年齢を重ねるとともに、地位もプレースタイルも、体や顔つきも変わっていく。それでも、変わらぬものもある。

「やっぱり何より一貫して変わらないのは、彼のテニスの魅力ですよね。ジュニア時代から最後の最後まで......それこそこの間、ここで(坂本)怜とやった最後の試合もそうだけど、常にこんなにワクワクするテニスをする選手って、やっぱりいないよなって思うんですよね」

 そう言うと杉山さんは、いくばくの寂寥感をにじませて、また柔らかく笑った。

(つづく)

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【profile】
杉山愛(すぎやま・あい)
1975年7月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。4歳でテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位となる。1992年にプロ転向。

WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス38勝を挙げ、世界ランキングはシングルス8位、ダブルス1位を記録。四大大会では女子ダブルスで3度、混合ダブルスで1度優勝。四大大会シングルスに62大会連続出場し、男女を通じた世界最高記録(当時)を樹立する。オリンピックには4大会連続(1996年、2000年、2004年、2008年)で出場した。2009年に現役を引退し、2023年度から国別対抗戦「ビリー・ジーン・キング・カップ」日本代表監督に就任。身長163cm。

内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

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