の記事をまとめると
■かつて各社は1600ccのベーシックカーに力を入れていた



■それらの名機やシャシーを活かしたスポーツモデルも続々登場



■そこで今回は「テンロクスポーツ」の歴史を振り返る



1気筒あたりの排気量は400cc前後が理想とされていた

今ではすっかり少数派になってしまったが、かつて1600ccのベーシックカーは、もっとも売れる商品で、各社が一番力を入れて開発していた。



その筆頭がトヨタのカローラで、6代目カローラは1990年に年間30万台の新車販売台数を記録している。



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カローラのほかにも、日産サニー、パルサー、ホンダ・シビック、三菱ミラージュ、マツダ・ファミリア、いすゞジェミニなどが、1.6リッタークラスいわゆるテンロククラスでしのぎを削っていた。



なぜ各社の主力が1.6リッターだったのかというと、ガソリンエンジンでは、燃焼効率や振動、燃費、省スペース性などにおいて、1気筒あたりの排気量は400cc前後が一番理想とされ、400ccの倍数の排気量が好まれてきたため。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
日産パルサー(3代目)のCA16DE型エンジン



とくにベーシックカーでは、400cc×4気筒の1600ccが定番となり、名機と呼ばれるエンジンも多い。



その名機と、大量生産されたベーシックカーのシャシーを活かし、各メーカーが若者向けのスポーティなモデル出してきたのも当然の流れで、若き走り屋のエントリーモデルの多くはテンロクスポーツだった。



その先駆けになったのは、ツインカムエンジンの2T-Gを積んだ、トヨタのダルマセリカと初代レビン・トレノのTE27。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
トヨタ・カローラレビン(初代、TE27)のフロントスタイリング



115馬力のDOHCエンジンをカローラクーペをさらに軽量化したボディに積んできたのだから、テンロククラスはもちろん、2リッタークラスよりも瞬発力はあるぐらい!



ラリーなどモータースポーツでも活躍し、TE37、TE71を経て、AE86へバトンタッチ。



AE86からはエンジンが4バルブの4A-Gになり、レース、ラリー、ジムカーナなどで大活躍。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
トヨタ・カローラレビン(4代目、AE86)の走り



とくにレースでは、1985年からはじまった全日本ツーリングカー選手権(JTC)=グループAに1600cc以下のクラスが設けられたのが大きかった。



そのJTCでは1985年の初レースを、大排気量車を尻目にAE86が制し(総合優勝)、年間チャンピオン(クラス)も獲得。富士フレッシュマンレースや、C/SNC(カローラ/スプリンターノーマルカップ)など、ワンメイクレースも盛んになって、レビン・トレノがテンロククラスのモータースポーツを牽引していく。



テンロクスポーツには魅力的なクルマが多数

そうしたトヨタのレビン・トレノ軍団に最大のライバルとして立ちはだかったのは、ホンダのシビック。



まず注目されたのは、S800以来、15年ぶりにホンダが開発したDOHCエンジン=ZCを積んだワンダーシビック(AT)。



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ホンダ・シビック(3代目、ワンダーシビック)のフロントスタイリング



ライバル、トヨタの4A-Gは130馬力だったが、ZCは135馬力。

しかもエンジンブロックがアルミ製で軽く、ロングストローク型なので中低速トルクも大きく、ドライバビリティの良さが光っていた。またF1エンジン直系のロッカーアームを介したスイングアーム式を採用し、バルブのリフト量を稼いできたのも画期的。



シビックはグランドシビックから四輪ダブルウイッシュボーンサスになり、EF9からテンロク最強のエンジン、VTEC付きのB16Aにスイッチ。その後1991年にEG6にモデルチェンジ。さらにシビックタイプR(EK9)に続き、テンロクスポーツの覇者になっていく。



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ホンダ・シビックタイプR(初代、EK9)の走り



ちなみにグループAレースでは、カローラが22勝、シビックが36勝。ポールポジションはカローラが9回、シビックが49回と、かなりシビックが優勢だった(グループAのカローラは、AE86→AE82カローラFX→FFのAE92→5バルブのAE101という流れ)。



レビン・トレノとシビック以外でも、当時のテンロクスポーツには魅力的なクルマが多かった。



トヨタでいえば、まずミッドシップのAW11(MR2)。これも4A-G搭載車で、スーパーチャージャー付きのモデルもあった。ミッドシップらしく、旋回性能が高く、トラクションもかかったのでジムカーナでは大活躍。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
トヨタMR2(初代、AW11)の走り



ホンダでも兄弟車、CR-Xがシビックよりもさらに軽量コンパクトで、小型FFスポーツの頂点的存在として君臨。



マツダはけっこう独自路線で、同じテンロクでもファミリアは4WDターボで、WRCでも活躍。



そして1989年にユーノスロードスターを発売。トヨタとホンダのテンロク パワー競走には乗っからずに、非力なB6のまま、FRで速さよりもハンドリングが楽しめる、本格的なライトウエイトスポーツカーとして世界中で大ヒット。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
マツダ・ユーノスロードスターのフロントスタイリング



三菱は1985年から、ミラージュによるワンメイクレース、ミラージュカップを開催。3代目ミラージュに、ギャランGTOのMR以来であるDOHC16バルブ、しかもインタークーラーターボの4G61型エンジン(145馬力→160馬力)を積んだり、4代目で世界最小の1.6リッターのV6エンジン6A10や、175馬力のMIVECエンジンを積んだりしたが、スポーツカーとしてのイメージは高まらなかった……(ミラージュカップは、賞金が高く、ベテランのトップドライバーから若手の有望ドライバーまで多くの選手が参戦し、毎回ハイレベルな戦いが繰り広げられ、注目度の高いレースだった)。



その他、忘れてはならないのが、スズキのスイフトスポーツ。スイフトスポーツの2代目(ZC31S)と3代目(ZC32S)は、NA1.6リッターDOHCのM16Aエンジンを搭載。



かつて日本の若者からオジサンまでを熱狂させたテンロクスポーツ! 珠玉の名車たちと1600ccだった理由とは
スズキ・スイフトスポーツ(2代目、ZC31S)の走り



そしてGRヤリスの272馬力を誇るG16E-GTSもテンロククラスといえばテンロククラス?  GRヤリス専用設計の高性能3気筒DOHCターボだが、排気量が1618ccとわずかに1600ccをオーバーしているので微妙な線……(rally2のレギュレーションの上限が1620ccのため)。



テンロクスポーツは、安くて、軽くて、速くて、流通量が多く、とても魅力的なカテゴリーだったが、ミニバン人気やSUV人気、若者のクルマ離れや、大きく、豪華なクルマを求めるユーザーに答える形で、一気にしぼんでしまった感がある。



テンロクスポーツに育てられた世代としては、寂しい限りだが、テンロク、もしくは1.5リッタークラスのスポーツカーが復活するかどうかが、次の世代のクルマ好きを増やすためのカギになるのではないだろうか。

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