この記事をまとめると
■島根県の観光名物「堀川遊覧船」にホンダの電動船外機が取り付けられた■静かでコンパクトなので乗客との会話が弾んだり見晴らしがよかったりとメリットが多い
■この電動船外機は実証実験のために導入されており、モバイルパワーパックe:で駆動する
島根県松江市とホンダが実証実験をスタート
島根県松江市といえば、何を連想するだろうか。城好きであれば国宝・松江城をいの一番に思い浮かべるかもしれない。
そして松江城をグルっと取り囲むお堀は、なんと建築当初からほとんど形を変えていないこともマニアには知られているところだろう。
ゆったりとお堀を行く遊覧船には日よけの屋根がついているが、水面との隙間が少ない橋をくぐるときには乗客がうつ伏せ状態になり、屋根を格納して通過するというのもアトラクション的で、松江観光には欠かせないプログラムでもあるのだ。
今回、そんな堀川遊覧船に乗る機会があった。といっても観光に行ったわけではない。2023年度のSDGs未来都市である松江市が目指すカーボンニュートラル観光を実現するために、ゼロエミッション遊覧船が実験的に導入されるということで、そうした現場を取材すべく“試乗”してみることにしたのだった。
言うまでもなくゼロエミッションの手法は電動化で、実証実験に使われる電動推進機はホンダとトーハツという船外機大手が共同開発したものを使うという。
まずは、従来からの遊覧船に乗ってみた。
これまでも松江市の堀川遊覧船は環境へ配慮した運行を目指しており、古くからホンダ製4サイクルエンジン船外機を使ってきた歴史があるという。現在では、ホンダの「BF9.9」を使っている。

船外機というと小型パワフルな2サイクルエンジンが多い印象もあるが、ホンダの4サイクルエンジン船外機は排気の匂いも気にならないし、222ccの2気筒エンジンを低回転メインで使っていることもあって、振動が大きいという印象もない。正直、このくらい快適なのであれば、わざわざゼロエミッションの電動化をするメリットは少ないのでは? と感じるほどだった。

しかし、電動推進機に乗ると、想像以上に静かで快適なものだった。
先ほどのエンジン式船外機では感じた振動が皆無になっている。小さな遊覧船だけに、エンジンの振動が乗客にも伝わってくるのはクラシカルな趣きもあるのだが、完全に振動がない船上でお堀の水面を眺めていると、松江城400年の歴史に思いを馳せたくなるから不思議だ。

操船するスタッフの方に聞けば、「エンジンの船外機では音がうるさくてお客様と会話するのが難しいですが、電動になるとコミュニケーションが取りやすくなります」と好印象の模様。具体的に、5km/h程度で遊覧している状態での騒音は、エンジンの船外機が75dBとなっているのに対して、電動化により70dBまでに下げることができているという。

さらに、通常の船外機はエンジンを積むぶん筐体が大きくなってしまうが、電動推進機はかなり薄型のボディとなっているおかげで、乗客が振り向いたときの視界が確保されているのも観光船としてはメリットといえそうだ。
よく見れば操縦するバーハンドルも電動推進機は専用品で、エンジン船外機では前進後退を切り替えるのにガチャンと切り替えるレバーを使っているが、電動のほうは指先でスイッチを操作するだけ。はたから見ていても、エンジンの船外機では操縦する腕がプルプルと震えていたが、電動になると振動も少なく、労働環境としても改善されていそうに感じた。

電動化により小まわりが利くようになっているのもメリットだという。実際、転回してもらったが、クローラー車両のようにその場でクリルと向きを変える様子には驚かされた。
船外機はまだ序章! 松江市の実験から始まる無限の可能性
さて、堀川遊覧船が採用した電動推進機の構造・構成について整理しよう。
このプロトタイプを共同開発したのは日本における小型船外機の有力プレーヤーであるホンダのトーハツ。ホンダがモーターや制御系、バッテリーなどの電動パワーユニットを担当。

前述したように専用ボディとなっている電動推進機は、さぞかし専用パーツだらけで高価なものと想像してしまうが、じつはそうではないという。
この電動推進機プロトに使われているモーターや制御系、バッテリーは、ホンダのビジネス用電動スクーター「ジャイロe:」のそれをほとんどそのまま流用しているのだという。

モーターのスペックは定格0.6kWで最高出力4.4kWと、通常の堀川遊覧船の採用するエンジン船外機が9.9馬力(7.3kW)となっているので、比べると見劣りするが、そんな心配がいらないのはEVを体験したことのある自動車クラスタであれば理解できるだろう。
このクラスの船外機はエンジンとスクリューが直結となっているわけだが、222ccエンジンが低回転域で発生するトルクよりも、電動スクーター用モーターのほうが低回転で圧倒的に太いトルクを発生できることはいうまでもない。

モーターの制御系についても、基本的には電動スクーターでのマッピングをベースとしながら船を動かすという特性に合わせてチューニングしたものだという。ユニークなのは電動スクーターにはない回生ブレーキ制御を搭載している点だ。
船の場合は機械式ブレーキというものはなく、スクリューを逆回転させることで減速させるのだが、そうしたシチュエーションでのモーター特性の合わせ込みを考えると、回生ブレーキでいったんモーターを停止させ、そこから逆回転させる必要があるのだという。ただし、回生で得られる電力はわずかなので航行距離を伸ばす効果はさほど期待できないようだ。

二輪の電動化に興味がある方ならご存じのように、ホンダをはじめとした国産二輪メーカーは規格化した交換式バッテリーによって電動スクーターを走らせる方向で進んでいる。そのベンチマーク的存在となるのが、ホンダの電動スクーターに採用されている「モバイルパワーパックe:(以下、MPP)」だ。

今回、堀川遊覧船で使われる電動推進機ではジャイロe:と同じくMPPを2個使う仕様となっている。
おおよそのイメージ、遊覧船が規定のコースを1周するのにMPPの電力は30~40%くらいを消費するという。つまり、2周ごとにMPPを差し替える必要がある。

運用方法としては、3セット6個のMPPを用意して、1セットで運航している間に残りの2セットを充電しておき、イメージ80%を超えるくらいまで充電してあるMPPに交換して連続的な運用を目指しているということだ。
MPPの交換における手間や充電管理、バッテリーの寿命といった未知の要素もあるだろうが、そうした課題を抽出することも今回の社会実験における狙いだという。

また、松江城のお堀は海水の混じった汽水域となっている。MPPや電動ユニットの塩害対策についても、この社会実験により明確になっていくことが期待される。
そして、この実験により小型船舶の電動化について目途がたてば、将来的にはMPPを使う電動スクーターと電動推進機を組み合わせたエコシステムを構築することも見えてくる。
小型船舶やスーパーカブが使われているような小さな港であれば、そこにMPPの充電ステーションを設置して、水上および陸上のマイクロ物流を一貫してゼロエミッション化するといった未来の実現も夢ではないだろう。
ちなみに、堀川遊覧船における電動船舶は、当面は一艇だけの運用になるという。松江を訪れた際には堀川遊覧船をチェックして、電動船舶の静かさをその耳で確認してほしい。
