この記事をまとめると
■アルファロメオの新型SUVは「ミラノ」から急遽「ジュニア」に車名が変更された■「ジュニア」の名の源流を遡ると1966年の「1300GTジュニア」まで辿りつく
■これまでにも「ジュニア」のペットネームを冠したモデルは数多く存在する
発表後の車名変更で誕生することとなった新型ジュニア
この2025年は、いよいよアルファロメオ・ジュニアが日本にも導入される年だ。読んでくださってる方もいらっしゃるかもしれないが、去年の初夏にイタリア本国で行われた国際試乗会に参加したときの印象を、このWEB CARTOPでもリポートさせていただいて、そのなかで僕は絶賛している。バッテリーEVなのにアルファロメオの“らしさ”がしっかりと感じられたからだ。
ジュニアは当初、“ミラノ”という名前で正式発表され、その直後のイタリア政府からのアホな干渉で現在の名前に変更せざるを得なかった、ということでも話題になった。その名称変更の際になぜ「ジュニア」を名乗ることになったのか、疑問に感じられた方もおられるだろう。

ひとつは、アルファロメオのラインアップのボトムに位置することになるモデルだったから。それまでのミトやジュリエッタといったコンパクトなアルファの、歴史的な流れからいえば後継にあたるわけで、もちろん車体もいちばん小さい。そういう意味合いでの「ジュニア」、というわけだ。
そしてもうひとつ。2023年の6月、アルファロメオはこのクルマのモデル名は一般公募のなかから選ぶとアナウンスをして、「ミラノ」もそのなかから選ばれたのだが、車名変更を余儀なくされたときに、あらためて応募のあったネーミングをチェックし直し、そのなかに「ジュニア」があったから。

「ジュニア」もまた、アルファロメオの歴史を知る人たちにとっては聞き捨てならない、歴史的なネーミングだったのだ。
「ジュニア」という名前をアルファロメオが初めて採用したのは、僕の知る限りでは1966年。その3年前のデビューとなる、ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロの手による美しいフォルムをもったジュリアクーペのラインアップに、「GT1300ジュニア」加わったのだ。

そのころのイタリアは高度経済成長の真っ只なか。第2次世界大戦からの復興がメキメキと進んでいて、都市はどんどん大きくなり、高速道路もぐんぐん延び、クルマや家電製品などの消費も大幅に増え、多くの人たちの生活水準が相当に高まっていた。
モータースポーツの世界でも、アルファロメオは大活躍。初代ジュリエッタやジュリアのセダンでツーリングカー・レースを戦い、1963年にジュリア・クーペがデビューするとベース車両をそちらに切り換え、その年に正式なレース部門となったカルロ・キティ率いるアウトデルタがマシン開発やチーム運営を担うようになってからは、まさに快進撃といえるほど。ツーリングカーレースでもスポーツカーレースでも、かなりの数の勝ち星を獲得していた。

GT1300ジュニアは、そうした活気溢れる時代に誕生した。「ジュニア」という名前の意味からも連想できるように、スポーティなクルマを手に入れたいと願う若者たちの想いに応えるために開発したモデルで、センターコンソールやシガーライター、ブレーキサーボといった各種装備を省いて価格を抑え、販売価格やランニングコストを抑えるために上級モデルの1.6リッター109馬力ユニットではなく、ジュリエッタ時代にも使われていた1.3リッターエンジンを搭載していた。

そう聞くとただの廉価版に思われるかもしれないが、装備類を省いたことで車重は90kgも軽くなり、エンジンもジュリエッタからそのまま換装したわけじゃなく軽くチューンナップをしたことで89馬力を得ていた。
じつは上級モデルと較べてもそう見劣りしない、素晴らしくスポーティなアルファロメオに仕上がっていたのだ。

1967年に上級モデルのジュリア・スプリントGTヴェローチェが排気量を拡大した1750GTヴェローチェに発展、そして1750GTヴェローチェは1971年にさらに排気量を拡大して2000GTヴェローチェへと発展。
それに伴って、GT1300ジュニアもGT1600ジュニアへと切り替わる。スプリントGTヴェローチェが搭載していた109馬力の1.6リッターを譲り受けたのだ。1974年にはGT1300ジュニアも復活。1600は1976年まで、1300が1977年まで生産された。

1966年から4年連続でヨーロッパ・ツーリングカー選手権を制したレーシング・アルファロメオのベース車両、ジュリア・スプリントGTAにも「ジュニア」の設定があった。ツインプラグ化やバルブ系の拡大など大幅なチューンナップを受けた1.6リッターでスタートしたが、そのストロークを短くして1.3リッターにしたモデルが、GTA1300ジュニアとして1968年に追加されたのだ。

ジュニアの名をもつジュリアクーペは、1300が9万1195台、1600が1万4299台と、10万台を越える販売を記録したヒット作となった。
「ジュニア」を冠するアルファロメオは時代ごとに存在した
「ジュニア」の名をもつアルファロメオはほかにも存在する。映画『卒業』でダスティン・ホフマンが駆った初代スパイダーのシリーズ1時代の1968年に1300ジュニアが、シリーズ2になってからの1972年には1600ジュニアが、ややシンプルなトリムをもって追加された。いずれもジュリア・クーペのジュニアと同じエンジンを搭載していた。

1969年に発表された初代ジュリアをベースにカロッツェリア・ザガートが独自のボディを与えたスペシャルモデルは、1300ジュニア・ザガートと名づけられ、1972年には1600ジュニア・ザガートに発展する。
ジュニアと名づけられたのは、基本コンポーネンツをジュリアのジュニアから流用してわずかにチューンしたモデルだから、ザガート製モデルの本流と異なりレースへの出場を目的としていなかったモデルだから、などいくつかの説がある。

アルファロメオのボトムレンジを支えてきたアルファスッド、145、146といったラインにもジュニアの名をもつモデルが用意された。比較的新しいところでは、ミト・ジュニア、ジュリエッタ・スプリント・ジュニアというモデルも存在した。
いずれもリーズナブルな価格設定とされ、ジュリア・クーペほどではなかったものの、シンプルな装備類ながらアルファロメオらしい走りという点では、上級グレードにまったく引けを取らない、というモデルだった。

2022年にジュリアとステルヴィオに設定された限定モデル、「GTジュニア」も、なかなか濃いモデルだった。
装備を割愛することなく、シャシーを磨くことでアルファらしい走りの気もちよさをさらに高めたモデル、といえる。もっとも、このモデルはもともとの「ジュニア」としての性質を受け継いだというより、初代ジュリアのGT1300ジュニアへのオマージュ的な存在というべきスペシャルエディションだったのだけど。

新たに車名そのものがズバリ「ジュニア」となったモデルが誕生したことで、グレードとしての「ジュニア」が生み出されることは、この先、少なくともしばらくはないだろう。位置づけが変わって、これからはアルファロメオのボトムをしっかり支えるモデルの車名として機能していく、というわけだ。
そのボトムを支えるモデルの出来映えが素晴らしいのだから、歴史の流れが少し変わってもぜんぜんオッケ! と僕は思っている。

ああ、新世代のジュニアの上陸が本当に待ち遠しい。