「スカG伝説」や「レース=スカイライン」を作り出した

市販車をベースにしたレース用の車両は、レースごとにレギュレーションで改造範囲が定められている。レース車はFIAなどから公認を得た車両で参戦しなければならないので、自動車メーカーは規定の範囲内でレースに有利になるようパフォーマンスを高めた特別なクルマ、ホモロゲーション(承認・認証)モデルを送り出してくることがある。



国産車のなかで、その代表的なホモロゲーションモデルをいくつか振り返ってみることにしよう。

メーカー別でいうなら、この手のクルマが多いのは日産だ。



1)スカイライン2000GT-B(S54-B)

まずは2代目スカイラインのS54-B(デビュー当時はプリンス自動車。1966年に日産に吸収合併)。



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第2回日本GPで勝つために開発されたこのクルマは、もともと1.5リッター4気筒のエンジンを積んでいたスカイラインに、グロリアの2リッター直列6気筒エンジンを搭載して(エンジンルームを20mm拡大!)、パワーアップ。



6台すべてが伝説の名車! レースで勝つために生まれた日産の市販車たち



国産最強のGTカーとなったが、ライバルのトヨタポルシェ904GTを投入。レース中にポルシェを追い抜き、一時的にリードすることができたので「スカG」伝説が生まれた。



2)スカイラインGT-R(KPGC10)

ツーリングカーレースで49連勝(通算52勝)の大記録を達成した、初代GT-R=ハコスカGT-R。1969年のデビュー当時は4ドアオンリーだったが、1970年にハンドリングを重視してショートホイールベース化した2ドアハードトップが登場。



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エンジンは本格的なレーシングカーであるR380の心臓、GR8型のディチューン版の直列6気筒DOHC24バルブ+ソレックスキャブ3連装のS20エンジン。レース=スカイラインのイメージを確立した一台だ。



3)スカイラインGTS-R(R31)

1985年に登場した7代目スカイライン=7thスカイラインは当初4ドアモデルしかなかった。しかしR30スカイラインで出場し、苦戦していたグループAレースで巻き返しを図るために1987年に800台限定のGTS-Rが追加された。



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2ドアのGTSをベースに大型タービンのギャレット製TO4Eタービンや大型インタークーラー、ステンレスの等長エキマニ、FRP製の大型リヤスポイラー、ダブルコーンシンクロの5速MTなどでチューニング。グループAでは6勝している。



ハイパワーをより効率よく使えるようにし、一時代を築いた

4)スカイラインGT-R(R32)

レースに勝つために生まれてきたクルマといえば、このR32GT-Rのインパクトがもっとも強烈。当時のグループAレースの大一番、富士スピードウェイで行われるインターTECでフォードシエラやジャガーなどを打ち破るために、富士の目標タイムを1分30秒に設定。



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レギュレーション上で、ターボ係数をかけても排気量が4.5リッター以下になるギリギリの2.6リッターツインターボのRB26DETTを、GT-Rのためだけに開発した。また、600馬力のハイパワーをグループAのレギュレーションで決められたタイヤのキャパシティの中で路面に伝えきるために、トルクスプリット4WDのアテーサE-TSを採用。



前後マルチリンクサスや4輪ベンチレーテッドディスク、対抗4ピストンキャリパー、16インチホイール、アルミボンネット・フェンダーなど、最先端の技術を投入しグループAレースでは29勝無敗。N1耐久でも29戦28勝し、一時代を築いた。



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1990年には500台限定でフードトップモール、リヤスモールウイング、フロントバンパーダクトなどの空力処理と、メタル製のニスモタービン、エアコンレスなどで約30kgの軽量化がはかられたGT-R NISMOも発売された。



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5)フェアレディZ 432R

初代フェアレディZ(S30)にハコスカGT-Rの心臓部、DOHCのS20エンジンを搭載したレースベースモデルの432Rがあった。432というネーミングもS20エンジンの「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」からきている。432Rはその432をベースにレース用にチューニングされたもの。



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ボディの鋼板は0.2mmほど薄くしてあり、ボンネットやリヤスポイラーはFRP製、リアとサイドウインドーはアクリルと約100kgも軽量化。耐久レース用にガソリンタンクは40リットルプラスの100リットルになっていた。生産台数は50台ほどといわれている。



6)パルサーGTI-R

パルサーGTI-Rは「ラリーの日産」の復権をかけて、1990年に登場したホットモデル。N14パルサーがベースで、コンパクトボディに、230馬力にチューニングされたSR20DETを搭載した。



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大型ターボ、大型インタークーラー、4連スロットル、クーリングチャンネル付きピストン+オイルジェット、ナトリウム封入バルブ(排気側)とフルスペック。



エクステリアはボンネットの大型のパワーバジルと巨大なリヤテールスポイラーが特徴で、フルタイム4WDというモンスターだった。しかし、あまりにもフロントヘビーで、しかもタイヤサイズが小さく、熱対策も整備性にも問題があって、WRCをはじめモータースポーツでは期待したほど活躍できなかった……。



6台すべてが伝説の名車! レースで勝つために生まれた日産の市販車たち

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