この記事をまとめると
■アウディから「自動運転に関する通説と真実」というリポートが発表された■自動運転にはまだまだ実現し難いさまざまな問題があることがわかる
■「自動運転車は生死を決定する必要がある」という意見には大いに考えさせられる
技術的には実現していても実装するには多くの問題を抱える
アクセルあおってナンボ、タイヤすべらせてドヤ顔という読者諸兄にとって、自動運転のニュースほど眠たくなるものはないでしょう。もっとも、その手のニュースは意識高い系だとか、訳知り顔の学者さんが書いてることが少なくないので、到底クルマ好きの琴線に触れるとも思えませんがね。
かのアウディが先ごろ発表した「自動運転に関する通説と真実」というリポートも、ドイツのスペシャリストがサポートしているとのことなので「世界的な意識高い系」に違いありません。
たとえば、「通説1:自動運転車はドライバーがいないだけで、通常のクルマと同じような存在になる」です。以下の引用について正確なところはぜひご一読いただきたいのですが、この中で自動運転車は「乗員が必ずしも前を向く必要がなくなる」「ペダル、シフトレバー、ステアリングホイールなど不要な要素を一時的に格納することで、インテリアのスペースを最大限に活用」とのことですが、どこが通常のクルマと同じなのかよくわかりません。
いっそのこと、お茶の間にタイヤくっつけて、ミカン食いながらテレビ見て移動できるクルマとでも表現したほうが分かりやすくないでしょうかね。
それから「通説2:統合された安全なソフトウェアが開発されると、自動運転車はどこでも運転できるようになる」とのこと。この真実として「自動運転のシステムだけでなく、交通環境全体の完全な信頼性と統合された安全なソフトウェアの開発が必要」とされ、果たして「理想的な姿は、渋滞や混乱のないスムースな交通の流れが実現」するのだそうです。

これまた難しそうじゃありませんかね。完璧に安全なシステムなんて存在するとも思えませんし、仮にハッキング不可能なシステムができたとしても、運用にはAIが欠かせないはずで、そうなると映画「ターミネーター」で描かれたように、AIが地球にとって有害だと人類を駆逐し始めてしまうのでは? 飛躍しすぎというなら、まずは「完全な信頼性」という絵空事のような前提を考え直してもらいたいものです。
乗員を生かすか歩行者を助けるか選択すべきシーンも出てくる
そして、クルマ好きが食いつきそうな通説がこちら「通説3:自動運転車は運転が楽しくない」です。これに対する真実が「自動運転車が、運転の楽しみを奪うことはありません。

運転したくなったら自動運転オフにすりゃいいじゃん、てことなんでしょうが、そうすると通説2の交通環境全体のハーモニーに不協和音が混じるんじゃね? と矛盾を感じざるを得ません。それに、ドライバーが前向いてないクルマで運転するのも不安で仕方ありません。揚げ足取りと言われるかもしれませんが、取られるような真実こそ「絵にかいた餅」に過ぎないのではないでしょうか。
さらに「通説4:自動運転車はハッキングされる恐れがある」です。きたコレ! なまじっかハッカー映画とか観てると、やっぱコレが心配! ここはアウディの調査チーム「SocAlty」エキスパート、サム・アブエルサミド氏の真実コメントをご紹介。「自動車業界は、現在この問題を真剣に受け止めています。そのためには、設計の初期段階からプロセス全体、そしてビジネスのあらゆる側面に至るまで、セキュリティ対策を組み込むことが重要です」って、当たり前すぎて裏の意味でもあるのかと勘繰ってしまいます。額面通りに受け止めたとしたら、中学生、いや最終学歴:教習所という筆者レベルの「陳腐な真実」で、読んでいてもっともガックリきたポイントでしたね。

もちろん、ドイツの意識高い系だけあって、「通説5:自動運転車により、必要な駐車スペースが減る」や、「通説6:自動運転技術は既に開発されているが、自動運転に関する法制度がまだ追いついていない」といったトピックには思わず納得。ドイツの事例が引かれていますが、いずれは世界各国でこうなるだろうという指摘であり、クルマ好きで自動運転好きじゃない! って方でも受け入れやすい内容です。
また、「通説7:極端なケースでは、自動運転車は生死を決定する必要がある」では、乗員を守るために歩行者を犠牲にするか、それとも歩行者を助けるために乗員を危険に晒すかの究極の選択を迫られる可能性が指摘されている。クルマ好きだけでなく、私たちの次の世代にも問いかけたい、答えを求めたくなるような内容ですので、ぜひご一読ください。
アウディが提示してくれた自動運転の真実について、きっと自分なりの最適解を考えたくなるはずですよ!