驚異の液晶技術と、産業としての液晶
液晶ディスプレー技術は驚異的な技術です。液晶ディスプレーはテレビ、パソコン、スマホ、自動車などあらゆるものの画面に使用されています。
例えばテレビでは、現在は「4K」と言われる世代が一般的で、水平3840×垂直2160=830万もの画素が敷き詰められています。
30年前、液晶はパソコン用ならまだしも、大画面かつ高精細かつ高速度かつ広高視野角が必要なテレビ用として実用化することは極めて難しいと技術者でも思っていたでしょう。それがわずか30年で、そのような技術の結晶が5万円(40インチ)で買えるようになってしまったのです。技術者というのはすごいものだと驚きます。
一方、事業としてみると、薄型ディスプレー(液晶だけでなくほかの方式のディスプレー含む)の国籍別占有率は、日本:75%→5%です。さらに、堺工場の停止で日本にテレビ用パネルの工場はなくなります。
中小型パネルでは、シャープとジャパンディスプレイ(JDI)が残っていますが、シャープは中小型液晶でも2024年3月期に1100億円超の減損を実施、JDIの最終損益はなんと過去10年連続赤字、その赤字合計額は6500億円、10年間のうち3回は粗利段階で赤字、売上高はピークの9890億円から2390億円まで減少しています。
JDIは、ソニー(歴史的には、豊田自動織機、エプソン、三洋電機の事業を継承)、東芝(同、パナソニック)、日立製作所(同、キヤノン、パナソニック)の3社の事業統合によってできたもので、まさに日本連合軍です。
液晶産業とウサイン・ボルト
筆者が液晶産業をみていて思い出すのはウサイン・ボルトです。
100mの日本記録を世界記録と比べると、1980年代半ばまで0.4秒ほどの差がありました。しかし、1998年には、その差は0.15秒ほどにまで縮まります。そこに登場したのが新興国ジャマイカです。
現在、100mの世界記録はジャマイカのウサイン・ボルトの9秒58。トップスピードでは時速44㎞、1秒あたり12mに相当し、驚異的です。そして、世界記録10傑のうち5人がアメリカ人、4人がジャマイカ人、1人がケニア人になっています。
100mはもともと欧米の「産業」だったところに、日本が参入、続いてジャマイカが参入、「世界産業」になったことで、日本記録(山縣亮太の9秒95)と世界記録の差は再び拡大し、今では0.37秒の差があります。
もう一つの陸上の花、マラソン。100mは日本記録=世界記録の時代はありませんが、マラソンでは1965年、66年には日本記録=世界記録だったのです。
しかしながら、現在の日本記録(鈴木健吾の2時間04分56秒)は、世界記録(ケニアのケルビン・キプタムの2時間0分35秒。人類史上初の2時間切りを達成する選手と期待されたキプタム選手の事故死は痛ましいことです)とは4分超、距離にして1.5㎞の差があります。
現在では、マラソンの世界10傑(同着のため11人)のうち6人はケニア人、4人がエチオピア人、1人がタンザニア人です。日本が世界をリードすると思ったのもつかの間、新興国ケニアとエチオピアが世界市場に参入したことで、日本人が世界トップに立つことは非現実的になったと言えます。
短距離では強靭(きょうじん)で美しい肉体をもったジャマイカ人と、中長距離では軽やかで美しい肉体をもったケニア人と競争しなくてはならないのです。
ボルトと競争していないか?
さて、以上の現実を認識したうえで、(世界1位になりたいと夢見る)選手に100mを勧めるべきでしょうか? 筆者は勧めません。それは、100mでボルトに勝つ可能性はほとんどないと思えるからです。
陸上競技の過去50年間は日本企業を想起させます。戦後、奇跡の復活で欧米企業に追いつき、追い越し、Japan as No.1の地位を獲得しました(Ezra F. ボーゲルのJapan as No.1: Lessons for Americaが発刊されたのは1979年)。しかしながら、栄光は長くは続かず、新興国が台頭し追われる立場となり、ついには分野によっては抜かれてしまったのです。
テレビ産業はその典型と言えます。最初はゼネラル・エレクトリック(GE)とフィリップスの事業でした。そこに日本企業が参入、パナソニックとソニーの事業になり、GEは撤退しました。そこに韓国企業が参入し、日本企業は撤退し、さらには中国企業が台頭した。経営の巧拙を超えて、競技(産業)の選択の問題のように見えます。
ボーゲルの提言とフィンランド
前述のボーゲル氏の著作の改訂版では、勢いを失った日本企業へ提言しています(抜粋)――「中国との競争に備えるためには、立ち直る見込みの少ない会社につぎ込まれている資金を解放し、市場に流すようにしなければならない。新しい企業がより多くの資金を得られる機会が増えれば、ゾンビ企業で張り合いのない仕事をしているような人々も、活性化する機会をえられるようになる」。
大変厳しい意見ですが、このボーゲル氏の意見を具体化したのがフィンランドでしょう。
しかし、フィンランド政府はNOKIAが携帯電話メーカーとして生き残ることを支援したようには見えません。駐日フィンランド大使館の元一等書記官ツッカ・バヤリネン氏は「我が国では競争力を失った企業への支援は行いません。税金はこれから伸びる企業のために使います」と発言しています(WEDGE 2013年5月号)。
日本の長期にわたるマイナス金利・ゼロ金利・低金利政策も早期に見直すべきでしょう。
社員にボルトと競争させないのが経営
自分ひとりの人生なら100mやマラソンのような、いばらの道をあえて選ぶことがあってもよいと思います。勝てないとわかっていても、あえて挑む、美学です。
しかし、人の人生を預かる経営は違います。なるべく効率的に「楽して」利益をあげることを考えるのが経営です。筆者が尊敬する経営者の一人は、「経営者の仕事は、社員が寝ていても、もうかる仕組みを作ることだ」と言いました。
自社の事業が100mではないのか、マラソンではないのか、液晶パネルではないのか。今はそうでなくとも、10年後にそうならない可能性はないのかを考える必要があると言えます。
ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人の社長をつとめた松本晃氏は以下のように語っています(『リーダーシップの哲学』、一條和生夫、東洋経済新報社)。
「ジョンソン・エンド・ジョンソンは経常利益率30%。(中略)粗利益率70%で、30%を経費に、10%を開発費に使えば30%が残る。間違っても粗利40%の事業はやらない」
「利益が右肩下がりでやがて経常利益率15%になりそうな事業は売却する。一般には15%は悪くない数字なので承継してくれる企業をみつけることができ、人を減らすようなことをしなくてよい」
欧米企業が液晶ディスプレーおよび関連事業から撤退するときに引き受けたのは日本でした。
液晶、太陽光、次に懸念されるのは・・・
太陽光発電パネル(シリコン系)産業もテレビ産業と同じ道をたどりました。日本の世界占有率は50%→1%です。
現在心配されているのは二次電池です。二次電池に関しては、完成品だけでなく主要4部材(正極、負極、電解液、セパレーター)においても、日本企業は急速に占有率を失っています。設備投資の速さと大きさを競う事業を日本は得意とするとはいえず、今後が懸念されます。
日本の立ち位置
新しい競争相手の登場に勝ち目がない場合どうしたらよいのか? 競争相手が強すぎる(=さらに成長する)ことを逆手に取るのが一つの考え方です。すなわち、日本の「ニッチ」(=自分だけに許された生物的地位)は、強い新興国との競争ではなく、新興国の発展の恩恵を受けられるように自分の立ち位置を変化させることです。
陸上でいえば・・・
これを企業経営に当てはめると・・・
拙著『電子部品だけがなぜ強い』『電子部品 営業利益率20%のビジネスモデル』(ともに日本経済新聞出版)でこれらについて詳しく検討しましたのでここでは割愛します。社員にボルトやキプタムとの競走(競争)を求めない、大局観にたった事業戦略が期待されます。