『旧東京生命保険本社』“宗教色”の強い保険会社の盛衰|産業遺産のM&A

京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺。本尊は阿弥陀如来を祀る。

真宗大谷派の本山は同じ下京区にある東本願寺(真宗本廟)であり、両派・両寺院を区別するため、「西本願寺、東本願寺」と寺院の通称で呼ばれることが多い。

また、西本願寺のことを京都市民は「お西さん」と親しみを込めて呼ぶこともある。この西本願寺の門前に、明治期の荘厳な建築物が建つ。旧東京生命保険(以下、東京生命)の本社である。

東京生命は、浄土真宗の信徒が創立した生命保険会社でもあった。「東京生命七十年史」をもとに、東京生命の歴史をたどってみた。

明治20年代には“宗教系生命保険会社”が相次いで創立

東京生命は1895(明治28)年、浄土真宗の有力者らが発起人となり、真宗信徒生命保険(株)として京都で創立された。当時の有力な財界人であり、兵庫県伊丹市に本社を置く清酒メーカー、小西酒造の当時の当主が社長に就任し、西本願寺は大株主、スポンサーという位置づけであった。

日本初の生命保険会社である明治生命(現明治安田生命保険)が設立されたのは明治中期の1881年のこと。当時、生命保険会社は多額の資本金が必要ではなく、しかも資産の蓄積が早いという特性を持っていた。そのため、明治20年代には多くの参入があったとされる。

資本金という事業基盤を固めやすいと白羽の矢が立ったのが宗教団体だ。1895年に創立された真宗信徒生命保険のほかにも、1894年創立の仏教生命保険や有隣生命保険、1897年創立の日蓮宗を背景とした日宗生命保険など、多くの“宗教系生命保険会社”が設立された。

各種の様式を取り入れた意匠

『旧東京生命保険本社』“宗教色”の強い保険会社の盛衰|産業遺産のM&A
ガードレールチェーンの支柱にもインド仏教の意匠が……
ガードレールチェーンの支柱にもインド仏教の意匠が……

明治45年(1912)に建築された真宗信徒生命保険本社屋は、仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ。赤レンガが特徴的な設計は、当時の東京帝国大学教授・伊東忠太によるものだ。京都の街に馴染んでいるかどうかは判断が分かれるが、インドのイスラム様式のドームがそびえ、イギリスの建物をイメージしたレンガ壁が囲む。側面には千鳥破風をイメージした日本建築の意匠も施されるなど、さまざまな建築様式を取り入れていた。

真宗信徒生命保険は1914(大正3)年に、共保生命保険と改称した。明治中期に創立した宗教系生命保険のいくつかは、明治後期から大正期にかけて解散したり吸収合併に遭ったりしていたが、共保生命保険への改称は生命保険会社から宗教色を薄める必要があったのだろう。本願寺が所有する株式を本願寺の財産管理財団である本末共保財団という財団に移し、経営陣に対して株式を割り当てたとされる。

真宗信徒生命保険は社名を共保生命保険に改称後、1916年には財務整理のため、本山の所有する社の株式を、有力門徒であり久原財閥の総帥として日立や日産、日立鉱山の礎となる久原鉱業を興し、「鉱山王」と呼ばれた久原房之助に譲渡したとされる。

久原は地理的な不便を解消するため、共保生命保険の本社を京都から東京に移した。京都に置いていた共保生命保険の本社機能は、1921年(大正10年)に停止したとされる。

その後、共保生命保険は1934(昭和9)年には野村財閥の傘下に入り、野村生命保険と改称し、1940年には仁壽生命保険という生命保険会社と合併した。

超高層オフィスビルを持つまでに成長

野村生命保険は第二次大戦直後の1947年に相互会社に組織変更し、東京生命保険相互会社となった。1947年は保険業法の改正や金融機関再建整備法などの施行により、日本の生命保険各社は戦後の混乱からの再出発として株式会社から相互会社へと組織変更した年だ。

東京生命は野村グループである野村證券<8604>や大和銀行(現 りそな銀行<8308>)との関係に重きを置いていたこともあり、大和銀行を主幹事として1987年(昭和62年)に発足した大輪会に加盟していた。

大輪会とは野村財閥の系譜を引く企業や大和銀行の主要取引先企業、近畿地方に地盤のある企業が、1990(平成2)年に開催された「国際花と緑の博覧会」への参加を目的として集まったことがきっかけとなった組織である。

東京生命は順調に業容を拡大していく。1989(平成元)年には東京都千代田区内幸町に、本社機能とホテル(第一ホテル)を兼ね備えた複合型高層オフィスビルの東京生命ビルを建設。さらに1994年には超高層オフィスビルである東京生命大手町野村ビルが竣工した。

逆ザヤ負担が重くのしかかり、経営破綻

時代はバブルの絶頂期から崩壊期を迎える頃だ。全国の県庁所在地や駅前に“生保ビル”が建っていた。旧東京生命も中堅ながら着実に業績を伸ばしていた。だが、生命保険会社にバブル崩壊後の低金利による逆ザヤ負担が重くのしかかった。仕入価格や調達コストが、公定価格や販売価格を上回り、営業する(使う)ほどに赤字になる状態になっていた。

超高層ビルを建て、飛ぶ鳥を落とす勢いに見えた東京生命の経営も厳しさが増していた。2000年以降、第百生命、大正生命、千代田生命、協栄生命と生保破綻が相次いで起き、東京生命にも経営不安が広がった。

しかも、東京生命と親密な大和銀行の経営不安も広がっていた。そうした背景もあり、東京生命は2001年3月に自主再建を断念した。

東京生命は同年のうちに内幸町の東京生命ビルを、東京都中央区日本橋兜町に本社を置き、“兜町の大家”ともいえる平和不動産<8803>に売却し、本社ビルは内幸町平和ビルとなった。このことは東京生命の経営破綻を意味し、東京生命は更生特例法の適用を申請するに至る。東京地方裁判所に金融機関等の更生手続の特例等に関する法律の適用を申請し、破綻した。

当時、東京生命は「超低金利の犠牲になった」との声もあったようだ。大和銀行が約束していた資金支援も打ち切られた。この構図は、千代田生命と東海銀行(現 三菱UFJ銀行<8306>)に似ているという見方もあった。超低金利に助けられていた状態の銀行が、超低金利の犠牲にされた生命保険会社を救済する余裕を失っていたのである。

東京生命が更生手続きを進めていた2001年10月、東京生命は相互会社から株式会社に改組した。さらに太陽生命と大同生命がスポンサーとなり、共同出資を受けて「T&Dフィナンシャル生命保険」へと社名を変更し、事業が継承された。

なお、T&Dフィナンシャル生命保険は、2004年にT&Dホールディングス<8795>という金融持株会社を設立し、その完全子会社となっている。

現在は本願寺伝道院に改称され、研修施設に

『旧東京生命保険本社』“宗教色”の強い保険会社の盛衰|産業遺産のM&A
旧東京生命保険本社
側面には千鳥破風をイメージした日本建築の意匠が施されている

旧東京生命本社屋は、大正から昭和にかけての一時期、建物の一部を神田銀行という銀行が使用し、昭和初期には京都電燈が、第二次大戦後には京福電気鉄道<9049>や関西電力<9503>がこの建物を使っていたようだ。さまざまな企業に使用されたのち、1958年には当時の本願寺布教研究所の施設として使われ、同年には1階部分に貧者たちの施療を目的とする「あそか診療所(現 あそか花屋町クリニック)」が設けられた。

1962年には、浄土真宗の布教を担う施設が伝道院として開院し、旧東京生命本社屋を利用することになった。1972年には本館を除く附属施設が取り壊され、1973年からは伝道院で住職課程(布教使課程)の研修が行われるようになる。

そして1990年には施設名が正式に「本願寺伝道院」に改称され、今日も京都にあって独特の威容を見せている。

文・菱田秀則(ライター)

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