「牛丼チェーンの担当者や中国人も来るけどコメが本当にないんです」15年で借金は1億円、減反政策のなか脱サラしたコメ農家(39)は“令和のコメ騒動”に何を思うのか?
「牛丼チェーンの担当者や中国人も来るけどコメが本当にないんです」15年で借金は1億円、減反政策のなか脱サラしたコメ農家(39)は“令和のコメ騒動”に何を思うのか?

米騒動から米価高騰、政府の備蓄米放出決定…と日本人の主食・コメを巡る異常事態の原因を探ろうと、集英社オンラインは最前線のコメ農家を回ってきた。規模の大小はあれど、生産者だけが儲からない仕組みの中で、農家はどこも窮状にあえいでいた。

JAを主体とする中間業者、農機具メーカーなど周辺業者を生かすために生産者が踏みつけられている構図だ。後手後手の農業政策を繰り返してきた政府が生み出したこの地獄絵図は、亡国への道に他ならない。取材班は栃木県に移動して、取材を続けた。 

JAの職員が「コメが例年の6割も集まってなくて困ってます」

栃木県さくら市小入で「コシヒカリ」や「にじのきらめき」などを作るコメ農家・岡田伸幸さん(40)は25歳で脱サラし、いきなり「専業」でこの世界に飛び込んだ。先祖代々が300年近く続けてきた米作だったが、年老いた祖父母の後継者が見つからず廃業すると聞き、名乗り出たという。

以来、苦労の連続だった15年で膨らんだ借金は1億円にものぼるという。そんな岡田さんが「米騒動」を予感したのは昨年春のことだった。

「お米がないんじゃないかって感じ始めたのは去年の3月とか4月頃のことでした。卸売業者が『全然コメがない。あるだけのコメを売ってほしい』とやってきたんです。僕は完全予約制で在庫を持たないので、そう言われても出すコメはありませんでした。

6月末になるとコメ不足が騒がれ始めて、今まで来たことのないお客さんがここに直接訪れるようになりました。全国的な牛丼チェーンの担当者が直接『おコメをあるだけ売っていただきたい』と訪ねてきて驚かされたほか、中国やベトナムの方もきました。

しかし、先ほど申し上げたたように売るコメもないので、その事情を伝えて帰ってもらいました。

それにこれまで15年間、米農家をやってきましたが去年初めてJAの職員が『コメが例年の6割も集まってなくて困ってます。少しだけでも都合がつきませんか?』と訪ねてきました。普段僕はJAには出していませんし、数年前は周囲のコメ農家の間でも『コメは余っている』という話でしたからね」

「当初の年収はマイナス100万円ほどでした」

急激に需要と供給のバランスが崩れて「米騒動」にまで発展した原因は何だったのだろうか。

「一番の原因は、これまでの農業政策に尽きると思いますよ。減反政策をはじめ、ずっと『作るな、作るな』という政策を受けてコメ農家が減る一方だったところ、そこに需要がグッと高まったということがあると思います。

それから暑さで収量が減っています。この辺の地域では暑さのなか育ったコメは精米時に15%ほど収量が減少します。暑くなると稲に水をかけて冷やすのですが、そのせいでコメが細くなり糠(ぬか)をまとうので、不可食の部分が増えてしまう。だから今年からはまだ暑さに強い品種の『にじのきらめき』を多めに作ろうと思っています。

需給バランスはもちろんですが、単純にコメ農家の数がどんどん減少していることもあります。コメが足りないから急に収量を増やしたいと言われても、無理な話です。コメは昨日今日で出来るわけではありません。

僕自身、コメ農家になると決めた時、周囲からは『サラリーマンを続けた方がいい。農家は儲からない』ってさんざん言われたし、実際にやってみると本当に利益が出なくて苦労しましたからね」

20代半ばという若さでこの世界に飛び込んだ岡田さんが体験したこの15年間は、激動の連続だった。

「僕がこの世界に入るきっかけは、今から15年前に母方の祖父母がコメ農家を引退することになったからです。僕自身は木材の製材業の会社に勤めていて、木材を運送したり、CADを使って図面を引く仕事が主のサラリーマンで、農業とはまったく関係のない仕事をしていました。ただし、幼いころに祖父母の家に遊びに行って種まきなどを手伝ったこともあって、その記憶は楽しいものでした。

それもあって祖父母に『コメ農家を辞めるなら僕にやらせてほしい』と申し出ました。祖父母はすごく喜んでくれていたのですが、計画的に進めたわけではなく、勢いでコメ農家に飛び込んだという感じでした」

会社員時代に苦手だった人付き合いの悩みも、コメ農家になれば解消されるとの淡い期待もあったという。

「コメを作ってJAに卸すだけで人付き合いとかないんじゃないかと期待していましたが、おコメ関係をはじめ地元の方や政治家など、人付き合いは今までよりはるかに増えました(笑)。

そして収入に関しては言われていた通り激減しました。サラリーマン時代は年収が400万円くらいでしたが、コメ農家を始めた当初の年収は、サラリーマン当時と比べて、マイナス100万円ほどでした。なので日中は工場でバイトして夜に田んぼに出てという生活を送っていました。

トラクターやコンバインなどの機械にお金がかかるのがマイナスの要因なんですけど、僕にとってはモチベーションでもあるんです。

ほら、このコンバインでかくてかっこいいでしょ? 普通のコンバインの2倍くらいの大きさで、僕が買った時は1200万円でしたが今は値上がりして2000万円近くするんですよ」

「まだ借金は1億円ほどありますが…」

働けば給料をもらえたサラリーマンと違い、コメ農家は働いても赤字になることが珍しくない。続けるためには楽しみを見出すことが不可欠だ。

「正直何度も『もう嫌だ』って思いましたよ。でも、もともと車が好きだったのもあってその延長でトラクターを『カッコいい』という感覚で買って、そこが楽しみでもあるんです。あとやっぱりコメ作りも楽しいんですよね。

ただ、まだ借金は1億円ほどありますが……。機械代や倉庫もそうですし、借金があるのに利益が出ない時はやっぱり苦しかったです。最初は8ヘクタールで初めて今は25ヘクタールで従業員は1名います。

JAに卸すと(買い取り価格が)安いというのもあって、販路の拡大も当初は自分で足を使ってやっていました。レストランに行って『良かったら使ってみてください』っておコメ食べてもらって営業して。相手にされないところがほとんどでしたが、それでも少しずつ使ってもらえるところが増えてきて、7年前から年によってですが利益が出るようになってきました」

それでもコメ農家になりたい、という人は今も一定数いるようだが、「参入障壁が高い。そこが問題だ」岡田さんは言う。

いったい、どういうことなのか? 後編に続く。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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