個人は自己利益、国家は自国益だけを追求する「自分第一主義」が支配的になりつつある今、世界は法の支配から力の支配の時代へと退行しようとしている〈内田樹〉
個人は自己利益、国家は自国益だけを追求する「自分第一主義」が支配的になりつつある今、世界は法の支配から力の支配の時代へと退行しようとしている〈内田樹〉

混迷を極める永田町、拡大する経済格差、税の不均衡、レベルが落ちた教育界など問題が山積の今の日本。加えて今年の1月にアメリカでトランプ大統領が再任してから、国際情勢も先行きが不安定だ。

思想家の内田樹氏によると現在の日本は「泥舟」状態だという。
どうしてそうなってしまったのだろうか。

最新の著書『沈む祖国を救うには』より一部を抜粋・再構成し、危機的状況にある世界情勢について解説する。

世界で何が起きているのか

今、世界で起きている事態は「近代の危機」と呼んでよいと私は思う。

危機に瀕しているのは、近代市民社会の基本理念たる「公共」である。「公共」という概念そのものが揺らいでいる。

ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていたという話になっている。この弱肉強食の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。

けれども、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しない。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。

どこかで弱みを見せたら、それで「おしまい」というような生き方はいかなる強者にも自己利益の安定性を保証しない。

それよりは、私権の一部、私財の一部を「公共」に供託して、「公権力」を立ち上げて、それがシステムが成員たちの間のトラブルについては理非の判定を下し、場合によっては強力を以て「非のある方」に処罰を下した方が、私権も私財も結果的には安定的に確保できる。

だから、人間がほんとうに利己的に思考し、ほんとうに利己的にふるまうならば、必ずや社会契約を取り結んで、「公共」を立ち上げることになる……というのが近代市民社会論の考え方である。

もちろん、こんなのは「作り話」であって、『リヴァイアサン』で語られたような「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実は実際には確認されていない。社会契約説は、18世紀の人たちが手作りしたフィクションである。

しかし、市民革命を正当化するためにはこのフィクションが必要だった。そして、歴史的条件が要請した物語であれば、作り話であっても巨大な現実変成力を持つ。

個人も国家も「公共」から撤退しようとしている

国際社会も市民社会と作りは同じである。個人の代わりに、国民国家が基本的な政治単位である点だけが違う。だから、国家は自国の国益のみを追求し、自然状態においては「万国の万国に対する闘争」を繰り広げていた。これはある程度までは歴史的事実である。

しかし、二度の世界大戦を経て、多くの国々は自国第一主義と決別した。自国の権利行使と、自国益の追求を抑制して、そうやって「浮いた」国権と国富の一部を国際的な機関に供託して、世界的なスケールの「公共」を立ち上げ、それによって国際秩序を維持するという方向をめざしたのである。

オルテガ※は「文明とはなによりも共同生活への意志である」と『大衆の反逆』に書いているが、これはその通りであって、人類はその文明の進化にともなって「分断」を克服して、「共生」を少しずつ実現してきたのである。

しかし、今の世界では、この近代的な国際秩序の理念そのものが揺れ動き始めたように見える。

個人は自己利益のみを追求すればよい、国家は自国益のみを追求すればよい。

そういう「自分第一主義」が支配的なイデオロギーとなってきた。個人も国家も「公共」から撤退しようとしている。

「法の支配」が終わり、世界は再び「力の支配」、弱肉強食の「自然状態」へ退行しようとしている。そんなふうに見える。

「国家」より「非国家アクター」の存在感が増してきた

では、いったいなぜ、人々は「公共からの撤退」を始めたのか。

一つは国民国家が基礎的な政治単位として機能しなくなったからである。いわゆる「ウェストファリア・システム」では、国民国家が基本的な政治単位だった。

「国民国家」(Nation State)というのは、人種・言語・宗教・生活文化を共有する同質性の高い人々が「国民」(Nation)を形成し、それが政治単位としての「国家」(State)を形成するという国家モデルである。

この国民国家を基礎的政治単位として、「国際社会」が形成されてきた。

しかし、これはあくまで「そういう話になっている」ということに過ぎない。実際に、国際社会は国連加盟193の政治単位だけで構成されているわけではない。

非国家アクターの存在感が局面によっては国民国家よりも大きくなっている。

新たに登場した非国家アクターの一つはテロ組織である。

アルカイダやイスラム国のようなテロ組織にはそもそも守るべき「国民」も「国土」も「国境」も持っていない。

もう一つの非国家アクターはグローバル企業である。

グローバル企業は特定の国家に帰属せず、株主たちの利益を最大化するために経済活動を行う。かつての国民国家内部的な企業は、祖国の雇用を増大させ、国税を収めて祖国の国庫を豊かにすることを(とりあえず口先では)企業活動のインセンティブとしていた。

現代のグローバル企業にはそんなものはない。最も製造コストの安い国で製造し、最も人件費の安い国の労働者を雇用し、最も税率の低い国に本社を置き、どこの国民国家の国益にも貢献しないことで利益を上げている。

テロ組織とグローバル企業という二つの非国家アクターが国際社会の主要なプレイヤーになったことで、「公共」という概念が急激に空洞化した。私はそう考えている。

※ホセ・オルテガ・イ・ガセット スペインの哲学者

写真/shutterstock

沈む祖国を救うには

内田樹
個人は自己利益、国家は自国益だけを追求する「自分第一主義」が支配的になりつつある今、世界は法の支配から力の支配の時代へと退行しようとしている〈内田樹〉
沈む祖国を救うには
2025/3/271,100円(税込)208ページISBN: 978-4838775293

なぜ日本はこんなにも「冷たい国」になったのだろう――
物価上昇にステルス増税、政財界の癒着、そしてマスメディアの機能不全……
激動の国際社会の中で、沈みゆく「祖国」に未来はあるか!?
ウチダ流「救国論」最新刊!!


ここ数年で、加速度的に「冷たい国」になってしまった日本。
混迷を極める永田町、拡大する経済格差、税の不均衡、レベルが落ちた教育界など問題が山積となっている。
また、アメリカの新大統領がトランプに決まり、国際情勢も先行きが不安定である。
生活苦しい国民に手を差し伸べることのない冷たい国で、生き抜いていくためにはどうしたらいいのか……。


この「沈みゆく国」で、どう自分らしく生きるかを模索する一冊!

<項目>
★「観光立国」という安全保障
★「最終学歴がアメリカ」を誇る、残念な人々
★ 加速する「新聞」の落日
★「食糧自給率」が低い――その思想的な要因
★ 第二期トランプ政権誕生の「最悪のシナリオ」
★ 民主政の「未熟なかたち」と「成熟したかたち」
★「自民党一強」の終焉
★ 80年後に残る都市は「東京」と福岡のみ
★ 今、中高生に伝えたいこと ……etc.

<本文より>
今の日本は「泥舟」状態です。一日ごとに沈んでいるし、沈む速度がしだいに加速している。
もちろん、どんな国にも盛衰の周期はあります。勢いのよいときもあるし、あまりぱっとしないときもある。それは仕方がありません。国の勢いというのは、無数のファクターの複合的な効果として現れる集団的な現象ですから、個人の努力や工夫では簡単には方向転換することはできません。歴史的趨勢にはなかなか抗えない。
勢いのいいときに「どうしてわが国はこんなに国力が向上しているのだろう」と沈思黙考する人はいません。そんなことを考えている暇があったら、自分のやりたいことをどんどんやればいい。でも、国運が衰えてきたときには、「どうしてこんなことになったのか?」という問いを少なくとも、その国の「大人」たちは自分に向けなければいけません。【中略】 読者の中には、読んでいるうちに「自分こそが祖国に救いの手を差し伸べる『大人』にならないといけないのかな……」と思って、唇をかみしめるというようなリアクションをする人が出て来るような気がします。そういうふうに救国の使命感をおのれの双肩に感じる読者を一人でも見出すために僕はこれらの文章を書いたのかも知れません。
――「まえがき」一部抜粋

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