「体調が良くなった!」「がん細胞が消えた!」なぜ私たちは身近な経験談を信用してしまうのか…科学的根拠がないグルテンフリー食ブームが教えてくれること
「体調が良くなった!」「がん細胞が消えた!」なぜ私たちは身近な経験談を信用してしまうのか…科学的根拠がないグルテンフリー食ブームが教えてくれること

「グルテンフリーで体調が良くなった」「パフォーマンスが良くなった」という経験談を耳にしたことがある人も多いだろう。しかし、一部の病気を持つ人以外、実はグルテンフリーの効果に現時点で科学的根拠はない。

なのになぜ私たちはそれをやみくもに信じて、積極的に試したくなってしまうのか。

一般に広まっている健康知識の真実を東大教授が科学的根拠に基づいて解き明かした『よく聞く健康知識、どうなってるの?』より抜粋・再構成して、そのメカニズムを解説する。

グルテンフリー食をしてもパフォーマンスは良くならない

日本でグルテンフリー食が広まった要因の一つに、ある有名プロテニス選手の経験談が書籍化・翻訳され、ベストセラーになったことがあげられます。血液検査によって体調不良の原因が判明したということなので、この選手はセリアック病(もしくは小麦アレルギー)だったと推察されますが、彼はこの本のなかでグルテンフリーを実践することで世界のトップまで上りつめたと述べています。

そのような経験談から、「グルテンフリー食が優れたパフォーマンスを生み出す要因だ」と考えるスポーツ選手も増えたようです。ある調査では、半分以上の食事においてグルテンフリーを実践しているスポーツ選手(セリアック病ではない選手)が全体の4割を超えており、さらには、そのような選手の半数以上が「グルテンフリーによってパフォーマンスが向上すると思う」と回答しています。

ちなみに、グルテンフリーを行っていない選手でも、その4分の1が「グルテンフリーでパフォーマンスが向上すると思う」と回答しています。このようにスポーツ界では、「グルテンフリーにはパフォーマンスを向上させる効果がある」という考え方が広まっているようです。

セリアック病を抱えた選手では、当然のことながら、グルテンを摂取すると体調が悪化し、パフォーマンスも低下しますが、セリアック病ではない健康な選手でもグルテンによってパフォーマンスが低下する/グルテンフリーの食品によりパフォーマンスが向上するのでしょうか?

この疑問を解決すべく行われた研究を一つ紹介します。この研究では、セリアック病ではない自転車競技選手(13名)に対して、グルテンフリー食とグルテン含有食(1日あたり16グラムのグルテンを含む食事)をそれぞれ1週間ずつ摂取させたのちにパフォーマンステストを実施するという実験が行われました(どちらの食事を先に摂取するかはランダムに決め、両試行の間には、影響が残らないように最低1週間以上の間隔を設けてあります)。

その結果、パフォーマンステストの成績ならびに胃腸系の症状は、グルテンフリー食を摂取した試行とグルテン含有食を摂取した試行との間でまったく差がなかったことが明らかとなりました。もし、グルテンの摂取によって体調が少しでも悪化するようであれば、全力を発揮することができず、パフォーマンスに明確な差が見られるはずですが、そのような変化は認められていません。

グルテンとパフォーマンスに関する研究はまだ数が少なく、この研究における介入期間も1週間と比較的短期間であったため、より長期的な介入研究が今後行われた場合には結論が変わる可能性は十分にあると思われます。

しかしながら、現在のところ、セリアック病ではない健康な選手において、グルテンがパフォーマンスを悪化させる/グルテンフリーがパフォーマンスを向上させるということを支持する結果は得られていません。

先ほど紹介した有名プロテニス選手は、セリアック病であったがゆえに、グルテンフリーは必要不可欠であったと思われます。しかしながら、これまでに報告されている結果に基づいて判断すると、セリアック病ではない選手が積極的にグルテンフリーを実施することのメリットはほとんどないと考えられます(ノセボ効果とは逆のプラセボ効果によって、パフォーマンスが向上する可能性は十分にありますが……)。

また、グルテンフリー食品だけを摂取しようとすると、食品の選択肢が少なくなり、重要な栄養素が不足することもあります。世界トップの選手の場合には、グルテンフリーであっても栄養素が不足しないように、食事の面でのサポート体制も万全であったはずですが、そのようなサポートが受けられない場合、グルテンフリーにすることで、重要な栄養素が不足してしまい、パフォーマンスがむしろ悪化してしまう可能性が高くなります。

なぜグルテンフリーが広まっているのか?

セリアック病の患者および適切な検査によってグルテン過敏症と診断・判定された方にとっては、グルテンフリー食は欠かすことのできない食事法であるといえます。しかしながら、これまで紹介してきたような研究データ・知見をそのまま素直に判断すれば、健康な人やスポーツ選手に対してグルテンフリー食を積極的に推奨できる根拠はほとんどなく、それによって恩恵を受ける人の数も、予想されている(ネット上でいわれている)数よりは少ないと考えられます。にもかかわらず、世間からの注目度は増し、グルテンフリー食品の市場規模も年々大きくなっていますが、それはなぜなのでしょうか?

先ほど示したテニス選手のような有名人がグルテンフリー食を摂取している姿や経験談がTVやネットで紹介されたりすると、研究データよりも身近でわかりやすく、とても効果的であるように映ります。その結果、「彼らの強さや健康・美の秘訣はそこにある!」という考えを抱くとともに、そのような情報を重視するようにもなります。

このように、科学的・医学的に証明されている治療法よりも、経験談などの身近で目立つ情報を優先して判断してしまう認知バイアスのことを「利用可能性ヒューリスティック」と呼びます(がん患者が、科学的なデータやそれによって裏付けられた治療法よりも、「これでがん細胞が消えました!」というセンセーショナルな広告の内容を信じてしまい、怪しげな民間療法にとびついてしまうのも、利用可能性ヒューリスティックの一例です)。

実際、先ほど紹介したスポーツ選手を対象とした調査でも、「ネットや指導者・トレーナーおよび他の選手からの話が主な情報源となっている」という結果が報告されており、科学的・医学的なエビデンスを参考にしている人の数はとても少ないと予想されます。

先ほど、グルテン過敏症の診断において明確な診断基準やバイオマーカーがないことやグルテンに関してはノセボ・プラセボ効果が現れやすいことを述べましたが、こうした特徴も以下のような流れを形成することに寄与し、グルテンフリーの流行に拍車をかけているように思われます。

(1)自分の体調が優れない場合、何かにその原因を求めたくなる。

(2)グルテンフリーで回復したというような経験談をネットや書籍で目にすると「私の体調不良の原因もグルテンかもしれない」「グルテンフリーを試してみよう」と考える。

(3)事前にグルテンフリーを実践した人の経験談を読んで、「グルテンフリーは効果的!」「グルテンこそが原因だ!」と思い込んでいる(期待している)ため、グルテンフリー食を実施した際にプラセボ効果(グルテンによるノセボ効果)が現れやすく、「グルテンフリーが効いた!」とその効果を信じるようになる。

(4)明確な診断基準・バイオマーカーがないため、「グルテンこそが体調不良の原因だ」「グルテンフリーは効果的」という考えは否定されにくい。

(5)このような経験をした人たちが自らの経験談(「原因不明の体調不良がグルテンフリーで消えた!」というような経験談)をSNSに載せることで、その数がさらに増え、世の中に広まっていく。

ベストセラーとなった『「学力」の経済学』では、著者の中室牧子氏が第1章の冒頭で以下のように述べています。

「子育てに成功したお母さんの話を聞きたい」という欲求自体に問題があるわけではありません。しかし、どこかの誰かが子育てに成功したからといって、同じことをしたら自分の子どもも同じように成功するという保証は、どこにもありません。子どもの成功にはあまりにも多くの要因が影響しているからです。

このことは、健康問題にも当てはまります。私たちの体調・健康はとても多くの要因によって調節されていて、その状況は個人個人で大きく異なります。誰かの成功例と同じことをしたからといって、自らの体調に関する問題が同じように解決するわけではありません。

また、「〇〇を行うことで症状が改善した」という経験談も、確かにそのような人が存在するのかもしれませんが、改善したのは全体のうち何名なのか?もしかしたら、成功例よりも失敗例の方が多かったという可能性も否定できません(研究でもそうですが、ネガティブな結果・事例は公表されにくい傾向にあり、このことは「パブリケーション(出版)バイアス」と呼ばれます)。

加えて、その行為以外の伝えられていない部分のほうが、健康状態の改善に大きく貢献していたという可能性も十分に考えられます。とくに、スポーツ選手やセレブリティは健康意識が高く、生活習慣全般が健康的であり、そのことが体調や美しさを保つことにつながっている可能性が高いはずです。

文/寺田新

よく聞く健康知識、どうなってるの?

坪井 貴司 , 寺田 新
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よく聞く健康知識、どうなってるの?
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