「電子マネーは日本以上に普及」マサイ族の第二夫人になった日本人女性が語るケニアの近代化と結婚事情「かつては恋愛という概念がなく…」
「電子マネーは日本以上に普及」マサイ族の第二夫人になった日本人女性が語るケニアの近代化と結婚事情「かつては恋愛という概念がなく…」

1996年にケニアへ移住、2005年に一夫多妻の制度下にあるマサイ族の男性と結婚し、それから「第二夫人」として暮らす永松真紀(ながまつ・まき、58歳)さん。彼女は、約30年のあいだにケニア社会、そしてマサイ族に大きな変化が訪れていると語る。

いったいどんなことが起こっているのか。

しょっちゅうお金を巻き上げられてきた

――永松さんが初めてケニアを訪れたのはいつですか?

永松真紀(以下、同) 1989年ですね。大学時代にさだまさしさんの「風に立つライオン」という曲を聴き、「行ってみたい」と思ったのがきっかけでした。その中で歌われているアフリカの大自然に、すごく惹かれたんです。当時は何もわからないまま、自分でチケットを買って出かけたんです。

――最初の印象はどうでしたか?

若かったので、目に見えるものをそのまま受け止めていました。「アフリカの人々は明るく親切で、目がキラキラしている」と思っていました。でも、それは大きな間違いでした。後で気づいたのは、裏には必ず“下心”があるということ。あの頃は皆が貧しかった時代で、外国人は「金」にしか見えなかったんでしょうね。

――1996年にケニアへ移住した永松さん。もし、当時に戻れるとしたらまたケニアを選びますか?

選ばないと思います(笑)。当時はケニアの気候に惹かれて移住しましたが、ジャクソン(現在の夫でマサイ族の戦士)と出会う前に、別のケニア人男性と結婚・離婚を経験し、ケニア社会の表も裏も知り尽くしてしまいました。

私はマサイを深くリスペクトしていますが、ケニアそのものは好きではないのです。治安があまり良くなかったのですが、まだ若かったから、ナイロビ(ケニアの首都)の危険な香りすら魅力的に思えました。都会特有のスリルに惹かれていたんです。今となっては、わざわざ同じ苦労を繰り返したいとは思いません。

――前の旦那さんはどんな方でしたか?

当時、私は“マタトゥ”というケニア独自の乗り合いバスのオーナーをしていました。そしてそのマネージャーをしていたケニア人と結婚したんです。時間は守らない、嘘つき、女たらしという典型的なダメ人間したね(笑)。

でも、環境のせいもあるだろうし、日本に行けば変わるかもしれないと期待して、結婚と同時に彼と一緒に帰国しました。けれど、日本でも彼は彼のまま。他人や家族に迷惑をかける恐れもあったので、すぐに離婚しました。

――どうして“マタトゥ”ビジネスを辞めてまで、当時の旦那さんと一緒に日本へ帰る決心をしたんですか?

当時のケニアの警察では賄賂が横行していて、現金商売のマタトゥは格好の餌食でした。ことあるごとに賄賂を要求されるのです。

特に私のマタトゥはこだわりを詰め込んだ目立つ車体だったので、狙われやすかったんです。それに「日本人=金持ち」というイメージもまだ強く、しょっちゅうお金を巻き上げられていました。

そうした状況がすごく嫌になり、日本へ帰ることを選びました。

――嫌になったのに、どうしてまたケニアに戻ろうと思ったのですか?

離婚をしてから、「私がケニアを嫌になったのは前の夫のせいだったんじゃないか?」「この人抜きのケニアを見てみたい」と思うようになったんです。

それで仕事の機会があって再びケニアに戻ったのですが、しばらくしてマサイ族と出会いました。彼らは一般的なケニア人とはまったく違う文化や考え方を持っていて、「ケニア人の中にマサイを入れてほしくないくらい別物だな」と思うほどです(笑)。

ケニアで電子マネーが普及した理由

――永松さんはケニアに関わって30年以上になりますが、移住当時と比べて今のケニアは変わりましたか?

経済力のある人が増え、都会には裕福な層もいます。ただ、田舎は今でも自給自足が当たり前です。そしてケニア人にとって土地を持つことは何より大切で、農耕民は畑を耕し、牧畜民であるマサイはその土地で牛を放牧します。形は違っても、土地なくして暮らしは成り立ちません。さらに老後は必ず田舎に戻るのが“正しい生き方”とされています。

いっぽうで、教育費や通信費など「お金」が必要な時代となり、スマホや電子マネーが急速に普及しました。

今ではケニア人は(マサイ族も含め)日本人以上に電子マネーを使いこなしています。

――どうして電子マネーが急速に普及したんですか?

銀行も郵便局もない村では、これまで送金が非常に大変でした。そもそも、ケニアでは銀行口座を持たない人が山ほどいるんです。ところが、電子マネーは携帯番号さえあればやり取りできる。ネット接続すら不要で利用できる仕組みだったため、一気に普及しました。今では生活の必需品になっています。

――電気も水道もガスもない自給自足の村で、どうやってスマホを使っているんですか?

充電は小さなソーラーパネルでしています。村でインターネットは繋がる時と駄目な時があって、もしかしたら風向きによって変わるのかもしれません。調子が良いとYouTubeも観れますが、駄目な時はずっと読み込み中のサインがぐるぐるしています。LINEは重いので、ケニアには不向きですね。ちなみに、ケニアはほぼみんなプリペイド式で、必要な分だけの通話料、データ量を事前に購入しています。

――結婚事情の変化についてもお伺いします。

マサイにとって、かつて結婚は“家と家をつなぐ契約”だったと伺いました。

はい、もともとは家と家の結婚が一般的で、「恋愛」という概念自体が存在しませんでした。家同士がそもそも仲良い家族だったほうが、若い2人に何か問題が発生した場合でも両家の介入で問題を収めたり出来るので、利点が多かったんです。末永く幸せであるためには、家族同士がそもそも親しいほうがいいよね、的な感じですので。

――では、恋愛結婚は禁止されているのでしょうか?

いえ、禁止されているわけではありません。今の子たちは学校に通うのが当たり前になったので、そこで出会った相手と恋愛結婚することも増えています。さらに、昔に比べて未婚のまま子どもを持つケースも少なくありません。

――こうした変化の中で、マサイ族内でのジェネレーションギャップは生まれないのでしょうか?

マサイの人たちは本当に目上の人を尊敬しているんです。学校に行っていなくても、長く生きてきた経験や知識は圧倒的で、若者がどう頑張ってもかなわない。

長老がスマホを使えなくても、牛の世話や儀式の知識は若者よりはるかに優れている。そういう“適材適所”をマサイはよく理解していて、それぞれの役割を尊重し合っています。だから世代の違いがあっても対立は生まれません。

小さな頃から「長老は何でも知っているから正しい判断をする」という価値観で育っているのですね。

――マサイ族の村で生活をする永松さんがこの先、「こうなりたい」と思うことはありますか?

若い頃のように「あれもしたい」「これもしたい」という欲は、もうほとんどありません。ただ、「これからもずっとマサイの行く末を見届けたい」というのが一番の願いです。私は自分を“歴史の証人”のように考えていて、マサイが望む形で生活できることをそっと支え続けたいと思っています。

ただし、私が主導して変えていくつもりはありません。この20年間もそうでしたが、彼ら自身が主導権を持ち、私はあくまで協力者として寄り添う。そうやってマサイを見守り、サポートしていきたいんです。

また日本の皆さんに対しても、マサイの魅力を伝える講演活動は続けていきたいですね。今年も9月後半から11月にかけて、日本で講演ツアーを予定しています。

そして、人生で最大の目標は、夫のジャクソンが育てている若者世代が、やがて長老になる儀式を見届けること、その瞬間に立ち会うことです。おそらく30年後、もしかするともっと先になるかもしれませんが、そのときは「ミッションコンプリート」と心から思えるでしょう。そのために、とにかく長生きしたい。

そして、儀式をやり遂げて安堵したジャクソンの顔を、この目で見たいんです。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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