「円が大暴落」日経平均6万円でも“1ドル360円時代”まで後退していた…不倫大臣が教育行政のトップに立つ日本を世界が見放す
「円が大暴落」日経平均6万円でも“1ドル360円時代”まで後退していた…不倫大臣が教育行政のトップに立つ日本を世界が見放す

日経平均株価が一時6万円を突破し、「次は7万円」との強気な声まで聞こえ始めた日本市場。だが、その熱狂の裏で、日本人の生活を支える“円の力”が、実は半世紀以上前の水準まで落ち込んでいることはあまり知られていない。

実質実効為替レートは、1ドル360円だった時代と同水準――株高に沸く日本で、いま静かに進行している“本当の劣化”とは何なのか。

円の力そのものが、半世紀以上前の位置まで後退

日経平均6万円。次は7万円だという声まで聞こえてくる。市場だけを見ていれば、日本はまるで新しい黄金期に入ったかのように見える。だが、本当にそうなのか。私はそこに、強烈な違和感を覚える。

株価は上がっている。だが、円の実力は想像以上に落ちている。実質実効為替レートは56年前、1ドル360円の時代、日本がまだ“安さ”で戦っていた頃の水準に戻ってしまった。

これは単なる円安ではない。日本という国の通貨の力そのものが、半世紀以上前の位置まで後退しているということだ。

56年前と聞けば、「当時とは経済の成熟度も国際的信用も違う」との反論が出るだろう。確かにその通りだ。

あの時代の日本は、いまより未熟だった。

だが、忘れてはならない事実がある。あの頃の日本は、成長の途上にあり、人口は増え、社会は拡張していた。働き手が増え、将来への期待があり、人口は綺麗なピラミッドを描いていた。

いまはどうか。少子化が進み、将来は見えず、働き手は減り、支える側が減る中で高齢化だけが進んでいる。つまり、日本は当時より成熟したにもかかわらず、人口という最も強力な基盤を失った状態で、通貨の価値を落としている。

どちらが良い時代かという単純な話ではない。だが少なくとも、成長と人口ボーナスを持っていた時代と同じ水準まで通貨の力が落ちているという事実だけは、直視しなければならない。

為替の話ではなく、生活水準そのものの話

実質実効為替レートとは何か。難しい言葉に見えるが、本質は単純である。ドル円だけではない。ユーロや人民元など、主要な貿易相手国との関係をまとめ、さらに物価差まで加味して、日本円がどれだけの購買力を持っているかを示す指標だ。

為替の話ではない。生活水準そのものの話である。

かつて1万円は、感覚的に言えばおおよそ100ドルに近い価値を持っていた。だが今はどうか。為替と物価を合わせて見れば、その価値は60ドル台半ば程度にまで落ちていると言っていい。日本人は同じ1万円を持っていても、世界の中で使える力が、知らぬ間に4割近く削られているのだ。

輸入物価は上がり、食料は上がり、エネルギーは上がる

海外に行けばすぐに分かる。食事は高い。ホテルは高い。タクシーも高い。かつて日本は「高い国」だった。だが、いまは「安い国」であり、日本人は「海外では弱い通貨を持つ人間」になった。この変化は静かだが、決定的である。

それでも世の中は株価の上昇だけを見て喜んでいる。NISAが増えているから大丈夫。日経平均が上がっているから将来は安心。そう信じる人たちが増えている。ここに大きな錯覚がある。

株が上がることと、国民生活が豊かになることは同じではない。通貨の価値を犠牲にして作られた株高は、豊かさではなく、将来の購買力の前借りに過ぎない。

いまの政権運営は、そう見えてしまう。利上げを先送りし、円安を容認し、株価を支える。その結果、NISA依存層の含み益は膨らむ。支持率も維持される。だが、その裏側で輸入物価は上がり、食料は上がり、エネルギーは上がる。

生活は確実に圧迫されている。

ここで語られるのが消費税減税である。一時的な負担軽減にはなる。だが本質はそこではない。通貨の力そのものが落ちている局面で、小手先で消費税をカットしたところで、その効果は為替に呑み込まれる。問うべきは、「何円で買えるか」ではない。「その円にどれだけの価値があるか」である。

高市氏の総理就任直後の行動は「経済でも円でもなかった」

株価6万円という数字は派手だ。実質実効為替レートの下落は地味で見えにくい。国民は目に見える株価には反応するが、通貨の劣化には気づきにくい。気づいたときには、生活水準はすでに下がっている。

ここで、日本人特有の性質が顔を出す。挙国一致という名の熱狂である。

サッカーワールドカップ、ラグビーワールドカップ、WBC。一度「これはいける」と空気が出来た瞬間、街は一色に染まる。普段は関心のなかった人間まで熱狂に参加する。

だが結果が出なくなれば、一斉に離れる。熱しやすく、冷めやすい。冷めた後は無関心か、あるいは攻撃に転じる。この構図は政治にもそのまま当てはまる。

高市フィーバーの時、消費されたのは政策ではない。文具、ファッション、好きな食べ物。人はリーダーを評価していたのではない。物語に乗っていただけである。物語には必ず賞味期限がある。

その象徴が、就任直後の行動だ。経済でも円でもなく、トランプ大統領をノーベル平和賞に推薦した。

教育行政のトップとして倫理を語る「不倫」大臣

強いリーダー像への共鳴、分かりやすい物語の選択、空気を作る政治。その縮図である。その後の発信にも違和感は残る。トランプ大統領の襲撃未遂には即座に「暴力は許されない」とコメントした。姿勢としては当然だ。問題は、その範囲である。

米国とイスラエルによるイラン攻撃。その緊張の中で、ハメネイ師を巡る状況を含め、多くの民間人の命が失われたとされる局面について、明確な見解は示されていない。個別の暴力には即応する。国家規模の暴力には沈黙する。ここに優先順位が表れる。倫理ではない。“選択された沈黙”である。

その構造は安全保障政策にも表れている。武器輸出の実質的解禁。国家の根幹に関わる決定が、限られた一部の者だけで決められ、国会での議論もなく事後報告で済まされる。

スピードか、効率か。それとも統治の劣化か。市場であればガバナンスの毀損である。短期的には回る。だが長期的には信認を失う。国家も同じだ。

松本文科大臣の不倫問題も同根である。問われているのは不祥事そのものではない。議員会館という公的空間で起きたと報道がなされた。公の場が私的に使われる。ここに公と私の境界の崩壊がある。

その人物が教育行政のトップとして倫理を語る。この時点で言葉と現実は乖離している。そして、それを是正しない政権の判断が価値観を示す。子どもは見ている。言葉ではなく行動を見ている。

通貨の劣化を株高で覆い隠す構造

地方選も同じ構造だ。支持率は高い。だが自民推薦候補は負ける。支持率は温度であり、選挙は重さである。温度が高くても票にはならない。

有権者は分かっている。国政では物語に乗る。地方では現実を見る。これは反発ではない。分散である。

石油も同じだ。供給不安の中で節約や自粛を求める。大丈夫なら自粛はいらない。自粛が必要なら大丈夫ではない。負担は国民に回る。「節約してください」「相談してください」。責任の外注である。

すべては一本につながる。株価は上がる。だが円は弱い。支持率は高い。だが地方では負ける。制度は整う。だが信頼が伴わない。

このズレの正体は、信頼の劣化である。ハリボテは遠くから見れば立派に見える。近づけば薄さが分かる。熱狂は終わる。そのあとに残るのは現実だけだ。

いま起きているのは株高ではない。通貨の劣化を株高で覆い隠す構造である。その構造を支えているのが、にわか的な熱狂である。だが、通貨の力を失った国で、資産価格だけが上がり続けることはない。どこかで、必ず帳尻は合う。

日本は何に対して、挙国一致で戦うのか

問題は、その瞬間に気づくのか。それとも、すでに始まっている逆回転に気づけるのか。いまはまだ、多くの人がそれを見ていない。だからこそ、最も危ういのである。

ここまで見てきたのは、通貨の力の劣化であり、信頼の劣化である。だが本当の問題は、ここから先にある。通貨も金融も国家も、すべては「信用」という見えない前提の上に成り立っている。

そしていま、その前提そのものを揺るがしかねない存在が現れている。人工知能(AI)––––とりわけ、クロード・ミソスに象徴されるような高度生成AIである。

決済は止まらない。データは改ざんされない。システムは守られている。これまで当然とされてきた前提が、もはや絶対ではなくなりつつある。

円の価値が揺らぎ、国家の信認が問われる中で、その基盤である金融とセキュリティが同時に脅かされるとすれば、それはもはや次の局面ではない。別のゲームの始まりである。

だからこそ問われる。日本は何に対して、挙国一致で戦うのか。株価か。支持率か。目先の景気か。それとも、国家の信用そのものか。次に来る脅威は、すでに見えている。クロード・ミソスのような、“信用を壊し得るAI”である。

この領域においてこそ、日本は本来持っているはずの精密さと信頼性、すなわちセキュリティの国としての力を、挙国一致で発揮すべきではないのか。熱狂に乗るのではなく、基盤を守る。それができるかどうかで、この国の次の10年は決まる。

文/木戸次郎

 

 

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