昔、女子プロレスが好きだった。
好きな団体は、今はなき全日本女子プロレス(以降全女)。
パチンコ屋の駐車場でやるような、地方興行にも行ったことがある。今で言う「推しメン」か。あれをプロレス界でいち早く取り入れていたのも全女だった。全女にはファンクラブがあったのだが、好きな選手ごとに別れて入ることが可能だったのだ。あれ、入ろうかどうしようかずいぶん悩んだよなあ。
私が地方興行でぼんくらな顔をしてリングを見上げていたころ、同じように女子プロレスにはまっていた記者がいた。
その記者は、自身が所属していた「Number」でおそらく同誌初となる女子プロレス特集を実現させてしまったのである。高級イメージのある「Number」の表紙を女子プロレスラーが飾ること自体が画期的な出来事だった。その記者こそ、『1993年の女子プロレス』の著者、柳澤健だ。アントニオ猪木が行った異種格闘技戦の数々に取材した『1976年のアントニオ猪木』の著者として知られる人物である。

今となっては信じられない話だが、女子プロレスが東京ドームで興行を打ち、満員の観衆を集めたことがある。1994年11月20日のことである。

きっかけは1992年に4団体による対抗戦が始まったことである。4団体とは全女、ジャパン女子プロレスが分解して出来たJWPとLLPW、男女混合のFMWである。意地と意地の火花が飛び、文字通りのつぶしあいがリング上では展開された。その熱気が、会場にファンを呼びこんだのだ。
その対抗戦の興行における最高傑作といわれるのが、1993年4月2日に横浜アリーナで行われた「夢のオールスター戦」である。6時間を超す異常な興行で、メインイベントの最中に日付が変わった。
試合中にもかかわらず観客席からは日付変更の秒読みが自然発生し、最後まで残った人の多くが終電を逃した。みんな、どうかしている。今でも語り継がれているのがメイン前、すなわちセミで行われた北斗晶(当時全女)と神取忍(当時LLPW)のシングルマッチだ。開始早々北斗が拳で神取の顔面を打ち抜いて半失神に追い込んだ。報復とばかりに神取が北斗の肩を脱臼させる。リング下に転がり落ちた北斗はセコンドの助けを借りて肩をはめ直すという地獄絵図で、場外戦では両者とも大流血、プロレス史上稀に見る凄惨な試合となった。
柳澤はこの試合を観て女子プロレス特集を思い立ったのだ。
『1993年の女子プロレス』は、1990年代の対抗戦時代を体験した女子プロレス史に名前を刻む重要人物13人のインタビュー集である。登場するひとびとの名前を記しておこう。
ブル中野、アジャ・コング、井上京子、豊田真奈美、伊藤薫、尾崎真弓、ロッシー小川、ジャガー横田、デビル雅美、ライオネス飛鳥、長与千種、里村明衣子、広田さくらの13名である。このうちロッシー小川だけが選手ではなく(全女の元フロントスタッフ)、現役を引退しているのがブル、デビル、飛鳥、長与の4名。他の8名は現役だ。
もっとも現役でいる期間が長いのは1977年デビューのジャガー横田で、1961年生まれの彼女は2011年現在の最年長女子レスラーでもある。
収録されたインタビューの初出誌は格闘技雑誌「kamipro」である(現在休刊中)。単行本の並びは掲載順とは異なっており、あるストーリーに沿って構成されている。この配置で柳澤が1990年代の女子プロレスをどう見ていたかが判るのだ。
絶大な人気を誇っていたクラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種)が1989年に現役を引退したあと、全女はいったん凪の時代に入る。クラッシュを応援していた女子ファンがさっといなくなったからだ。
本書にも登場する伊藤薫は同年にデビューをした平成元年組と呼ばれるグループの選手だが、同期のレスラーの中にはわずか7人という選手よりも観客の数のほうが少ない会場でデビューをした選手もいる(長谷川咲恵。引退)。その惨状に危機感を持ち、改革のために獄門党を結成して立ち上がったのがブル中野だ。クラッシュと抗争を繰り広げたダンプ松本は凶器攻撃によってヒール(悪役)の凄みを見せつけるレスラーだった。ブルはダンプとは違った道を選ぶ。反則ではなく技で見せるヒールになろうとしたのだ。その敵役として浮上してきたのが男子レスラーの団体に出張し男性ファンを引き連れて全女に戻ってきたアジャ・コングだった。クラッシュなきあとの全女を最初に支えたのはこの2人の闘いである。
ブルvsアジャ抗争の最初のクライマックスは1990年11月14日に訪れた。リングを4mはある金網で囲み、脱出した者を勝者とする金網デスマッチ。ここでブルは金網最上段から飛びギロチンドロップ(仰向けに寝かせた相手の喉下に自身の膝裏を落とす技)でアジャを仕留めた。膝裏から落ちるといっても自分の臀部だってマットに打ちつけられるわけである。怪我をするかもしれないという恐怖はなかったのだろうか。

ーー(柳澤。以下同)自伝の『金網の青春』を読み返してみると、試合の前に「『そうだ! 私、金網から飛び降りればいいんだ』『あそこからギロチンをやればいい』と思って、その日はグッスリ寝た」って凄く簡単に書いてあったんですよ。僕からしてみれば、どうしてそれでグッスリ寝られるんだろう、と(苦笑)。理解できないです。おかしいです!
ブル あそこから飛び降りてギロチンをしたら、お客さんは絶対に納得するだろうな、と。
ーーそりゃしますよ!(中略)
ブル 金網から飛び降りたとき、「背骨が突き抜けて死ぬかもしれないけど、まあいいや」って感じで。だから、下のアジャがどうかとか考えてなかったです。……いま考えたら申し訳ないですけど(笑)。
(笑)じゃないよ! 相手のアジャ・コングはこう語る。
ーー(前略)ヘタすりゃ死にますよ! ブル様が飛んだのも信じられないんですけど、あそこで下にいたアジャ様は「死ぬかも」って覚悟を決めたんじゃないですか。
アジャ 死ぬとは思わなかったです。この人は確実に自分の上に落ちてくるんだろうなって。いつもどおりにきちんとしたかたちでギロチンで落ちてくるんだろうなって思ってましたね。(中略)あの人はそれをする人だなって。だから勝てねえんだなって。

もともと、アジャ・コングはブル中野の獄門党に所属していた。ブル中野はアジャにとって最も信頼できる先輩レスラーだった。当時の全女は1年で200試合以上をこなす超過密スケジュールをこなしており、長距離バスでの移動が日常という旅芸人一座のような集団だった。当然その中では擬似家族のようなつながりも出来てくる。ブルとアジャの間にも一時は強固な紐帯があった。だが敵対関係ができたことにより両者は口もきかない冷戦状態に入る。ブルと相棒のバイソン木村(引退)はバスを降りて電車移動で会場へ行くようになるのだ。プロレスの世界では観客に見せる表面上の敵対関係が必ずしも現実を反映したものではないことがよくある。だが全女というおそろしい団体では表面の緊張関係と内部の人間関係が常に同期していた。観客はリングの上で本物の喧嘩を見せられていたのだ。経営者である松永一族のおそるべき人心操作の賜物だ。その熱気が1990年代の女子プロレス・ブームの土台になっていると柳澤は見ている。だから、巻頭にくるのはブル&アジャなのである。
アジャ (前略)2年間バチバチやり合ってるときは、最初のうちは憎しみが前面に出てたんですけど、途中からは自分の中ではどこかでスイッチしていきましたから。(中略)最初の半年、1年くらいは、中野さんと試合をするたびに「殺してやりたい、でも試合をするのは痛いし辛いし嫌だ」と思っていました。試合が終わると「このまま朝がこなきゃいいのに」と思ってたんですけど、そのうちに「プロレスラーとしてこの人を抜きたい」って思うようになった。リングの上で「あなたを抜きたいんです」「まだ抜かせないよ」みたいな会話を、ずっとしてきたような気がしますね。
1992年11月26日、アジャ・コングはついに念願のブル中野超えを果たしWWWA世界シングル王座を獲得する。そして、他の3団体を巻き込んだ対抗戦時代が始まるのだ。
ブル、アジャの次に、井上、豊田という対抗戦時代の立役者が並ぶ。続く伊藤は少し下の世代で対抗戦を通じて成長し次代の主役となったレスラー、尾崎はJWPという外敵の立場から全女に闘いを挑んだレスラーである。ジャガー、デビル、飛鳥、長与の4人は、対抗戦時代以前から業界に携わり、その変質を見つめていたリビング・レジェンドだ。そして長与が育てた2人のレスラーがインタビューの掉尾を飾る。里村は長与2世となることを期待される重圧と闘い続けた。逆に広田は対抗戦時代のレスラーたちと正面切って戦う道を選ばずに上の世代を観察し時にパロディの手法で切り結んでいった選手である。それぞれの立場から「1990年代の女子プロレス」へと向けて光が照射された結果、複雑な陰影が浮かび上がってきた。1つの事件に相反する複数の証言が出てきている場合もあるが、インタビュー集ということもあり柳澤による真相の断定は行われていない。相手は強大な自我を持つプロレスラーなのだ。おそらく真相は、関係した人間の数だけある。
残念ながら、本書には対抗戦次代の最大の功績者である北斗晶は登場していない。「kamipro」146号にインタビューは掲載されているが、本書への収録を断られたのだという。先に書いたとおり北斗は横浜アリーナ興行の主役であった。全女凪の時代においては、内部抗争による感情のもつれが一因となり試合中に頚椎を怪我して長期休場を強いられるなど、いくつかの出来事の結節点に位置した人物でもある。掲載を拒否した意図はわからず推測するしかない。雑誌掲載という単発の形であれば問題はないが、インタビュー集という網の中に自分の談話が入ることによって不可避的に結論めいたものが浮かびあがってくる。それを避けたかったのではないか、というのが私の推論だ。
マニアの人向けには伝えなければいけないことがまだまだある。人を人とも思わない選手の使い方をする全女フロント(というか松永一族)のおそろしさ、リング上で行われていた「押さえ込み」という名のガチンコ、その他もろもろのスキャンダルの真相など。400ページを超す大部の本である。バラエティに富んでおり、マニアにももちろん満足していただける内容、とだけ書いておこう。特に栄光のクラッシュ・ギャルズ時代を経て復帰、病気による挫折を味わってどん底から女子プロレス大賞をつかむに至るまで這い上がった、ライオネス飛鳥の談話は感動的である。この部分だけでも一読の価値はある。
最後に一つだけ著者に苦言を。目上の選手と、里村・広田ら若年の選手とでインタビューアの態度が変わっている部分がある。いくら年齢が下でも、アスリートである相手に対する敬意が感じられないというのは失礼だろう。そこにファンゆえの甘えが感じられ、唯一残念だった。
(杉江松恋)